往復書簡の件はもう1回お休みして(^^;、6月30日に横浜アリーナで始まったシャングリラIIIのレポートを書きたい。
この日は久しぶりに2人での外出となった。ここのところずーっとローテンションだったマサノリが数日前からにわかにテンションが上がってきて、何に乗っていく?(鉄だからね)とか、何食べる?(B級グルメが好きだからね)とか、言い出した。
結局前日に東京新横浜間の新幹線特急券と地元から新横浜までの乗車券を購入してきた。まあごく普通のコースと相成ったわけだ。
昼食は東京駅のキッチンストリートで食べたいということになったのだが、八重洲北口の「改札外」という情報を見落とし、ぐるぐる回った末に時間がなくなり駅の中のお蕎麦屋さんで食べるというトホホなことになった。
そんなこんなで横浜アリーナに到着。入場後すぐにグッズ売り場に並んだが、開演時間が迫り、終演後にまた並ぶことにした。
そしていよいよ開演。まず驚いたのがステージの見事な仕掛け。マサノリがネタバレを嫌って23日のメイキング番組を見ないで出かけたため、本当に驚いた。あの仕掛けを十分に活かした演出にも魅了された。
曲目の中で特に印象的だったのが、「ハルジョオン・ヒメジョオン」。この曲は壁紙作りでも思い入れがあるので特になのだが、夕陽のアクトと照明の美しいことといったら。ユーミンは「ヒメジョオンに埋もれて」というところでヒメジョオンの背丈を示すような振りをしたりして歌っていたが、最後は夕陽と共に新たな世界へ…。
もう一つ印象に残ったのが「別れのビギン」。今までもこの曲は何度かステージで歌われたが、今回ほど妖しい「別れのビギン」はなかった。空中で男女が絡みあって踊るあのアクトとこの曲の雰囲気がとっても合っていた。
演出にはストーリーがあるということだったが、「朝陽の中で微笑んで」くらいまではなんとか自分なりにつなげたが、その後の3曲の時間軸がわからず混乱した。それでも「時のないホテル」の迫力はすごかったねぇ。あとは最初と最後でピシッと決めたというところか。
終演後のグッズ並びのときにマサノリが「TOTOのホームページとかに何か情報が載ってるかもねぇ」などと言っているから、
「シャングリラ公式ページもあるしブログもあるよ。
うちのサイトからも飛べるよ」
と言ったら、「あんたのホームページ見てないもん」と来た(^^; あらら、そういえばリンクのこと言ってなかったか(^^;;;;
だけど「あんたのホームページ」とは……いちおうマサノリの名前も入っているんだけどねぇ(^^;;;;;;;
帰宅後は23日のメイキング番組をじっくり見て余韻に浸った。
でも、やはり1回ではつかめなかったなぁ。今は皆さんのところで書かれているセットリストをじっくり眺めて繋げている状態だ。
次は9月9日までお預け。今から待ち遠しいわ。
往復書簡の話は1回お休みして、先日、「HTML差込ツール EXCEL2HTML フリー版」について問い合わせがあったのでその件について書きたい。内容は、「処理に失敗しました プロシージャの呼び出し、または引数が不正です。」というエラーは何が考えられるかということと、EXCELファイルの代わりに、CSVファイルでの運用はできないかということだった。
まず最初のエラーの件だが、フリー版の場合、1つのフォルダを選んでその中にファイルを作るのだが、実は、保存ファイル名を
test¥orange.html
のようにサブフォルダ名とファイル名を¥マークで区切って入力することで、そのフォルダの中のサブフォルダに保存することもできる。
その際に、あらかじめ必要なサブフォルダは作っておく必要があるのだが、このサブフォルダを用意していない場合、上記のエラーが起きる(Pro版はフォルダを自動的に作ります)。
次のCSVファイルでの運用だが、これはフリー版もPro版も問題なく運用できる。
というのは、裏でEXCELでファイルを開いて処理するので、CSVでもタブ区切りテキストでも、EXCELでリストとして認識できるものであれば問題ないのだ。なので、CSVやタブ区切りで用意されたデータをわざわざXLS形式に保存し直す必要はない。
こういうことは質問されて初めてわかる不明点だ。もしかしたら
「うちでよく使うのはCSVだからなぁ」
と、このツールを検討枠から除外している人もいるかもしれないので、CSVやタブ区切りテキストについては早速ツールと説明ページに説明を入れさせていただいた。
サブフォルダの件は圧縮ファイルの中の「はじめにお読みください.txt」に書かせていただいたが、説明ページの方にも書いた方がいいかな。一気に出来たファイルの画像もほしいところだし、この際説明ページをもう一度見直してみよう。
なお、vectorの方も差し替え依頼を出したが、実際に差し替わるのはもう少し先になると思う。
ところで今回質問してくださった方だが、実は5年くらい前に1、2度お会いしている人だった。メールでお名前を拝見したときに、「おやっ?」と思ったので「ご無沙汰しております」と書いたら、やはりそうだった。ご本人は私だと気づかずに問い合わせをされたそうだが、世の中広いようで狭いなぁ(^^)
「あの○○さん」(今や伏字の意味なし(^^;)と気づかなかったとお返事をいただき、それはそれで別の意味で嬉しかった。「あの○○さん」には「ん?」って思ったけどね(^O^)
2007-06-25 本日vectorの方でも差し替えが完了しました。
2007-06-28 Pro版のver.2をリリースしました。
この改訂により、可変項目にテキストファイルを指定することができるようになり、長文を差し込んだ際に全文が見えなかったりセルが巨大化して操作がしにくくなるという煩わしさが解消できます。
また、リストの上から順に保存されていきますので、上の行で小組みを組んで、それを下の行で差し込むなどという技も可能になります。
今回お問い合わせいただいた方のご要望に応えてのバージョンアップです。
おかげさまでさらに便利なツールにすることができました。感謝です。
この書簡集は、昭和26年から昭和40年までの往復書簡が収録されている。
読んでいくと、最初は事務的な話が多かったのだが、だんだんと谷崎がのめりこんで行くに従って、谷崎の手紙はかつて松子夫人に宛てた手紙のようにどんどんへりくだっていく。それと並行して千萬子さんの方も夫婦仲があやしくなり、もともと2人の姑とはソリが合わないこともあり、谷崎を精神的に頼りにしてく様子が伝わってくる。
渡辺夫妻の問題がはたして谷崎と関係あるのか、まったく別の次元なのかはわからないが、まあ、多少は影響していたであろうことは予想できる。ご主人の方にもいろいろな情報が耳に入った(入れられた)ことは間違いないだろうから。
そういえば姑である重子夫人にも、谷崎が重子夫人を手元に置いておきたいばかりに、夫である明氏が地方に重子夫人を連れて行こうとしたときにも夫婦揃って引き止めたりして、なかなかしっくり行かないということがあったが、明氏の晩年になってようやく夫婦同居が叶い、幸せな時間を過ごせたという経緯がある。
そして夫の死後、重子夫人は谷崎夫妻と同居していたわけだが、往復書簡の中には、谷崎が重子夫人を手元から離さないことについて千萬子さんが触れたドキッとするようなものもあり、その手紙を読んだときには思わず「よく言った!」と思った。
谷崎夫妻が重子夫人を手放さないことにはそういう事情もあったのかと改めて驚いたのだが、そのひと言を書くのにどれほど勇気がいったか。この手紙が書かれたのが昭和37年10月15日。もちろん松子夫人も(隠れて)読んだだろう。
手紙に書いたこと自体は両姑のことを思っての言葉だったが、果たして、これが両姑に素直に受け止められたか。その直前の12日の手紙と合わせて考えると、かなり警戒感を持たれたのではないかと思う。
さらに翌38年には、書かれずじまいになった遺言ともいえる小説の構想が具体化しており、小説上とはいえ夫のこうした計画は松子夫人にも漏れていたはずだ。さらにこの年の谷崎と千萬子さんの間でのやりとりはかなり濃密なものになっていたとのことで、もはや一刻の猶予もならないと、松子夫人が千萬子さんを谷崎から遠ざける作戦に出るきっかけの一つになったかもしれない。(つづく)
『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』を読んだ。
この往復書簡集は、晩年の谷崎と、義理の息子(戸籍上では義妹の息子)の嫁である千萬子さんとの間に交わされた手紙を収録したものだ。
この中で谷崎は彼女からインスピレーションをもらう対価という(口実?)でさかんに高価なプレゼントやおこづかいを渡す。経済的にいつも大変な状態の中でおおっぴらにこづかいを渡すものだから、そりゃ彼女は困るわねぇ。
松子夫人にしても面白いわけはなく、ちょっとピンチだからと千萬子さんから借りて返さなかったりしている。結局それは彼女から谷崎への手紙で谷崎の知るところとなり、谷崎はその分を彼女に送金するのだが、まあ、大変なことだ。
プレゼントについては、高価なものについてはなるべく家の人に知られないようにして贈るのだが、知られないわけはない。手紙の送り方についても、速達にすれば家の人に読まれずに済むということで谷崎はさかんに速達にしろと言うのだけれど、その真意がなかなか千萬子さんに伝わらず、随分多くの情報が松子夫人に渡ったであろうことが大いに推察できる。
谷崎は『痴人の愛』のモデルで千代夫人の妹であるせい子さんにも、「迷惑をかけた」ということで長いことこづかいを渡していたが、そういうことでつながりを保ちたかったのかもしれない。
千萬子さんに対しては実際に翻訳の仕事など谷崎の手伝いを任せたり、芸術の話をしたり、新しい世代の息吹を知る媒介として、確かにいい刺激になっていた。
それに対して千萬子さんも少し背伸びをしながら精一杯応えていたといえる。
橋本関雪の孫である彼女は芸術家を身近に見てきたため、谷崎の芸術へのそうした姿勢を比較的無理なく理解できたようだ。
そうでないごく普通のお嬢さんなら、こういう難儀なおじさんの扱いには困るものだ。でも、そういう環境に育ってきたからこそ、逆に谷崎の言動のほとんどをお芝居ととってしまうことにつながり、それがこういう微妙な手紙のやりとりを長く続けさせたともいえるし、逆にこのやりとりに突然終止符が打たれる原因になったともいえる。
結局最後は松子夫人とその妹で彼女の姑である重子夫人の2人と、彼女、どちらをとるかということになり、谷崎は松子夫人とその妹を取った。谷崎はここで人生最後の大芝居を打ったのかもしれない。手紙という、自分、さらには松子夫人の死後に生かされるべき遺産を遺して。
次回から何回かに分けて、この往復書簡の中にあったいくつかの手紙を中心に書いていきたいと思う。
先月18日、XMLコンソーシアムWeekのXMLコンテンツDayに行ってきた。
午前中はクロスメディアパブリッシング部会、午後はXMLDB勉強会の発表だった。
この日は私の仕事にとって身近な分野のクロスメディアパブリッシング部会の発表を聴くのを主な目的に出かけた。
午後のXMLDBについては、以前この種のソフトをさわってみたのだが、私にとって使いにくく、「もういいや」という気になっていたのだが、せっかくだからと参加してみた。
これが大正解だった。
XMLDB勉強会の発表で標記の本が紹介されたのだが、実はこのXMLDB自体、一度キャズムに落ち込んでいる製品だ(だから、私も「もういいや」という気分だったともいえる)。ところが先ごろXQueryという問い合わせ言語が標準化されたことから、再び可能性が出てきた。
勉強会では、XQueryの使用例を日本語化するという事業をされていた。
ここでキャズムについて少し説明すると、ハイテク技術やサービスが、メインの市場に出てくるまでには、深い溝が存在する。それは、ハイテクオタクやビジョン先行派から形成される初期市場のあと、企業で予算と力を持っている人たちに受け入れられるまでに存在する大きく深い溝のことだそうだ。この溝があまりに深いため、多くの技術がここで消滅していった。
ジェフリー・ムーア著『キャズム』では、その大きく深い溝の越え方がケーススタディを交えて説明されている。
奥付を見ると、2002年1月22日初版発行、2007年3月1日初版第9刷発行となっている。日本語訳が2002年、この本が最初に刊行されてから10年以上、多くのハイテク事業者のバイブルとして読まれ続けているそうだ。
この本の中で、キャズムはどのハイテク企業にも訪れるが、マイクロソフトについてだけは例外と書かれている。だが、今ではそのマイクロソフトさえも巨大なキャズムと闘っているように思う。たとえばASP.NET。
この技術は長いことPHPと闘ってきた。Webサーバー分野ではWindwsの方が少数派なので、まずは初期市場のユーザーのために、ASP.NETが使えるレンタルサーバーがなくてはどうにもならないということで、マイクロソフトではASP.NETが使えるレンタルサーバーを紹介し、メインの企業ユーザーのためにはその他の技術と共に導入事例を提供している。
ASP.NETの利点は、Windowsサーバーであれば、.NET Frameworkのバージョンの違いはあるが、XMLが標準で扱えることだ。もちろんXSLTも。AmazonのWebサービスでXSLTを覚えた個人ユーザーの中には、他のWebサービスでXSLTプロセッサが提供されないために躓いている人も多いと考えられるので、このXSLTが標準で使えるというのはかなり有利に思える。
一方、PHPはどうかというと、かなり有利に展開している。が、XMLを扱うとなると、とたんに面倒なことになる。PHPはバージョン5がリリースされてから随分経つが、レンタルサーバーの世界では今も4が主流だ。そのような中では、XMLを扱う場合には別にモジュールをインストールする必要がある。自分のところで管理しているサーバーなら問題ないのだが、そうでない場合、プログラムを動かすサーバーではどのモジュールが使えるか等、いちいち調べなくてはならない。とても面倒だ。特に人に依頼されてWebプログラムを作る際にはさらに面倒だ。
そんな中、Ajaxが出てきた。AjaxはPHPやASP.NETのようなサーバー側の技術ではなく、ブラウザによって動きが変わるという欠点があるが、prototype.jsのような便利なライブラリが出てきて、Webサービスユーザーには必須の技術になりつつある。このままいくと、レンタルサーバーユーザーは、Ajaxになだれを打ち、XSLTは忘れられる。
でも、ここへきてなぜだかメディア木龍のサイトでもXSLT関係のアクセスが増えてきた。もしかして、XQueryの標準化がXSLTへの関心を呼び覚ましたのだろうか。
2008-01-12 XSLTに関心が再び集まってきているのは、携帯サイトの関係の方が大きいかもしれませんね。携帯サイトでは基本的にJavaScript使えないし。
それに、携帯サイトをXSLTで作ると、HTMLが書ける人ならとても簡単にカスタマイズできるし。検索系のコンテンツには魅力的な選択肢だと思います。