ラブレターズ

その275(2005.09.29)『サウスバウンド』

奥田英朗著『サウスバウンド』を読んだ。
2部構成の長編だ。第1部は東京中野を舞台に、第2部は沖縄西表島が舞台になる。
父親がかなり個性的だが、中野ブロードウェイを遊び場にしているごくごく普通の小学6年生が、不良中学生にお金をせびられたことから始まる出来事が、終始子供の目線で描かれている。
父親は元左翼のグループにいたが、グループ内の権力闘争に嫌気して、グループからは抜けている。が、家に来る役所の人間や学校の先生に議論を吹きかけるため、子供は大変迷惑している。
そんな感じで始まるのだが、父親が息子の若い教師に議論を吹きかけたとき、結構骨のある答えが返ってきたため、父親は学校までその教師に会いに行く。その理由について父親本人は、
「オルグしてやろうと思った」
と言っているのだが、実は父親自身が「オルグ」されたがっていたのではないかと思える。結局若い教師には手に余る事態が起きて、教師にとって父子共に厄介な存在になってしまうのだが、半分だまされた形で不本意な事態を迎えた父親の憤懣が、やりきれなかった。
事件に息子が巻き込まれに行くときの、父親の揺れがまた印象的だ。不安を持っていたのにも関わらず、それを止められなかった父親。一見強靭な意志を持っているようで、内側では常に揺れている。
そして左翼、右翼、マスコミ、警察、先生、住民、それぞれの立場のそれぞれの建前や本音、事情が組み合わさっていく。
それにしてもこの小説、沖縄での伝説の話や、主人公の子供が家出をしたときに補導されないように苦心しているところなどは、最近の情勢や事件が頭に浮かんできて、そういう面でも興味深い。

理想を求めつつ、矛盾にぶつかる。「お金」というものの存在のためにそれは子供の世界からすでに始まっている。「ゆいまーる」という考え方により、普段現金を必要としない生活をしている島を知ることで、子供は父親を理解していく。
ラストの方で父親は、若い先生でかなえられなかった念願を右翼を相手にかなえる。とことん議論して、もちろんお互いの主張は変えないが、上機嫌で酒を酌み交わす。読んでいる私もなぜか嬉しくなった。

この西表島の話は、「瑠璃の島」というドラマが鳩間島をモデルにやっていたのを見ていたので、ある程度予備知識があったのはラッキーだった。「瑠璃の島」の原作『子乞い』はぜひ読みたいと思っている。

そうそう。『サウスバウンド』については、ここで作家本人が語っている。
この中で、伊良部シリーズで黒木瞳をモデルにしたと書いてあるが、伊良部シリーズで女優といったら……エッ?(^^;;;


その274(2005.09.21)カラコロカラコロ、コロコロコロコロ 

夕食の支度を始めてから午前0時頃まではテレビタイムだ。夕食が終わると、マサノリはソファーで、私は椅子に座ってテレビを見る。
たまに私がしばらく動かないと、
「おばさん寝たの?」
とチェックが入る。このときに何か考えていたとわかるとすかさず、
「1ビットのハードディスク(脳みそ)をカラコロ言わせてたんだ。カラコロカラコロ、コロコロコロコロ」
と言われる。まったく失礼な話だ。
でも、この表現の仕方に思わず笑ってしまうのよね。だって、カラコロを普通に言って、その後のコロコロコロコロをスピードを上げて言うんだもん。本当にコロコロ言ってるみたいで(^^;

そんなマサノリが、ある日、突然ほめてくれたことがあった。
「まあ、よくやってるよ」
細々ながら何とか仕事を続けていることを一応評価してくれているようだ。ほめてくれたのはこのときだけだけどね。


その273(2005.09.15)『アキハバラ@DEEP』 

いつものように、ベッドの脇にマサノリが購入した本が転がっていた。開いてみたら『アキハバラ@DEEP』というタイトルで、著者は石田衣良だった。面白そうだったので、早速読んでみた。

この小説は、秋葉原を行動の基点にしているそれぞれ吃音、女性恐怖症&不潔恐怖症、癲癇という持病持ちの3人の男の子たちが、それぞれの得意分野である文章を書くこと、デザインをすること、音楽を作ることを活かして一緒に仕事をしていたところに、格闘技を得意とする美少女が加わって会社を作るところから始まり、さらに2人のメンバーが加わって、物語が展開していく。

テーマには、プログラムの著作権やネットビジネスの問題という、かなり難しい問題が扱われているのだが、一方で、それぞれ問題を抱えた若者が、自分のできることを活かして自ら道を切り開いていくという、サクセスストーリーにもなっている。
ハンデはあるがとても魅力的なメンバーの物語は、ナレーションに先導されて進行し、読者はどんどん引き込まれていく。そして、このラブレターズでも書いた、同著者の『波のうえの魔術師』のようなクライマックスに向かっていくのだが、読者層を意識してか、ゲームによくあるキャラクターと展開が用意されている。

時代背景は、現在から近未来。誰もが知っている人がモデルであろう人物が登場したり、あるサイトが名前を変えて登場したりして、とてもリアルだ。この小説は、現在進行している色々な問題、多くの人が抱えている悩みを解決するヒントを運んできてくれる。

それにしてもすごい想像力だ。それは綿密な構成の上に展開されている。この人の小説は、だから面白いのだろうが、それにしても短期間にこれだけの大作を次々に書けるなんて、すごいなぁ。
が、やはり問題が大きすぎるし、こんな近くの未来のことでも予測は難しい。そのためか、読み終わったときには、少しはぐらかされた気がした。SF的な結末は、出せない答えの逃げ道として用意されたのかもしれない。
それでも今、このタイミングでこの小説に出会えたことに、私は感謝している。


その272(2005.09.09)アッコちゃんと二条 

例によって古典と比較(^^; 『アッコちゃんの時代』に、学生時代の恋人が出てくるのだが、これがどうにも『とはずがたり』の雪の曙を思い浮かばせて…。
そう思って他の登場人物をなぞらえていくと、
地上げの帝王が後深草院
五十嵐(つまり川添氏)が、強いていえば亀山院
というところか。

アッコちゃんと二条は、その流されっぷりがとっても良く似ている。二人とも美貌のせいであまりにもモテ過ぎたために色々な災難を背負ってしまうわけだが、それにしても流されすぎだ。
そしてもう1つの共通点が、
アッコちゃんはその美貌をお金に換算して不足を感じ、二条はその美貌を位に換算して不足を感じていたこと。
それでもラストでは、他人にどう映ろうともそれなりに幸せなこと。
ラストを読んで、アッコちゃんの気持ちは二条なら理解できるかもしれないと思った。


その271(2005.09.08)『アッコちゃんの時代』 

林真理子著『アッコちゃんの時代』を読んだ。この小説は、ミュージカル「ヘアー」をプロデュースして、ユーミンのデビューのきっかけになった川添象郎さんの、奥さんがモデルになっている。
主人公以外のモデルも非常にはっきりしている。主要なメンバーについては名前を変えてあるのだが、ディテールを読めば、それが誰を表しているのかはすぐわかる。だから、バブル期から現在までのノンフィクションとしても読める。さらに、この作品を書くにあたって主人公に取材をしているのだが、この小説ではその取材シーンまで登場させている。つまり、林真理子自身がまたモデルのはっきりした登場人物となっている。

主人公の女性は、地上げの帝王と言われた人の愛人になって週刊誌を賑わし、のちに女優の妻から川添氏を奪う形になったことで再び騒がれたのだが、その間、この女性がどのような気持ちや態度でこれらの人たちと交わってきたのかが描かれている。その中で、前半のバブルで一躍表舞台に登場し、あっという間に凋落した人物の世界と、後半の元から当たり前のように華やかな世界に住み、バブルであろうとなかろうと居続ける人の世界が非常に対照的だ。それでも、バックグラウンドがどんなに異なっていても、前半の人物と後半の人物の行動に一部共通点があり、それはこの主人公のせいなのか、男性の一般的な性質なのか、考えさせられる。結局、別の人から移って来る人は、一定の時期が過ぎればまた別の人に移っていくということか。
というより、男女関係なく一度強烈な刺激を味わうと、それが薄れてきたときに新たな刺激を求めるということなのかな。

この小説では取材する側と取材される側の緊張感も描かれている。アッコちゃんと林真理子の世代差は、ある意味一番遠い(というか、興味を持って取材はしてみたが、どうにも感情移入がしにくいタイプだったように思える。)。この手法は、そういう取材対象者を描くための苦肉の策に思えた。
その一方で、川添氏の描き方がとってもいきいきしている。このキャラクターの魅力が小説にテンポを与え、クライマックスを作っている。そしてこのキャラクターが、物語の結末に明るさを与えている。
この小説にはキャンティの創業者である川添氏の父とその後妻と、母であるピアニスト原智恵子の話も出てくるので、『キャンティ物語』ユーミンカタログのキャンティ関連にある原智恵子の伝記をあらかじめ読んでいるととても面白い。もちろんそれらを読んでなくても、そのあたりの事情は川添氏のセリフを通してしっかり記述されているので問題はない。
なお、キャンティ関係については、ラブレターズでもこちらで書いている。

バブル期を舞台にした林真理子の小説に、ラブレターズでも書いた『ロストワールド』があるが、こちらは主人公のモデルの一人として脚本家の中園ミホに取材している。中園氏と林真理子はドラマ「不機嫌な果実」で仕事をして以来仲良くなり、それがきっかけで取材することになったそうだが、お互いに考え方を共有できるためか、この取材はとても楽しかったそうだ。『アッコちゃんの時代』と同じく『ロストワールド』も比較的モデルがはっきりした小説なのだが、主役のモデルが複数の人物で作られていて、こちらは完全にフィクションとして出来上がっている。こちらもあわせて読むと、面白いと思う。

そうそう。この小説ではユーミンが盛んに引き合いに出されているのだが、その中で、ユーミンが主人公に「おっ、魔性の女」と声をかけている。週刊誌で魔性の女とたたかれるのはうっとうしいが、ユーミンにこう言われると嬉しかったと本人が言っていたと週刊新潮に出ていたが、確かにユーミンに言われて嬉しかったというのはわかる気がする。ユーミンは、他人の生き方に対してあらかじめ固定観念を持って線を引いたりしないように思える。あるがままに受け入れて興味を持ち、面白がる。だからこの「魔性の女」という言葉のニュアンスに否定的なものを感じず、逆に嬉しく思えたのだろうと思うのだ。