ラブレターズ

その140(2003.5.7)『娼年』

『娼年』も石田衣良の作品だ。主人公のタイプや話の成り行きは『波のうえの魔術師』とよく似ている。ただ、波のうえの魔術師が男の世界なのに対して、こちらは女性について乾いた筆致で深く追求する物語だ。
大学在学中の主人公がひょんなことから女性相手の娼夫になる話だが、こういう話によくあるいやらしさはない。波のうえの魔術師の主人公と同じく、はじめはあまり気がすすまなかったのが、仕事をしていくうちに自分の仕事についてはきっちり自分用の資料をつくり、その道を極めようとしている。そこには変に自信家ぶったところはなく、ひたすらお客様を満足させるためにはどうしたらよいかを考えている主人公がいる。しかも淡々と。
波のうえ~の方は、結局犯罪になってしまうのだが、基本的には合法な職業だ。それに対してこちらは初めから非合法だ。だが、波のうえ~の方は、義憤にかられてという要素はあるものの、後で考えると「それって…」と首をひねることになるが、それに対して娼年の方は、最後に「何で…」とは思うものの、さわやかな後味が残る。
この本を喫茶店で読んでいたのだが、途中何度か涙が出てきて困った。
昨年読んだ田口ランディ作の『コンセント』と並んでお勧めの小説だ。
ただ、母親の話は余分に思えたが、もう1回読んでみるとまた違った感想を持つのだろうか。

石田衣良作品を続けて読んで、この人の作品の主人公には、マサノリと共通するところがあると思った。好きな映画とか、資料を熱心に作るところとか。そして私は仕事に対する考え方に共感を持てる。


その139(2003.5.5)『波のうえの魔術師』 

この作品は、ドラマビッグマネー! でほぼ原作に忠実に放映された。ただし、原作の登場人物はもう少し乾いていて、その中で鈍い光を放っていた。また、問題の金融商品についても、原作どおりだとほとんど全ての銀行・生保がひっかかってしまうので、特殊な商品ということにしていた。
原作では、融資付き変額保険が対象だ。投資家が一時払いの終身変額保険でうまみをとって解約しはじめた頃も、相続税対策として大々的に売っていた。というよりも、その頃から相続税対策として熱を帯びてきた。何でも、銀行と組んで売っているのだという話はチラッと聞いたことがある。ただ、その契約内容までは知らなかった。実際に、原作の通りだったのか、それとももう少し違っていたのか、それはわからない。
だから、ひとごととは思えず、ヒリヒリしながら読んでいたが、実際、もうけ話というのは、一般人のところに来るころにはもう下り坂というのが本当かもしれない。
終身変額保険の場合、長生きして、経済が成長し続ければ、物価上昇による満期時価値の目減りを回避したり(この不況、いつまで続くの? 果たして日経平均3万の時代に戻ることはあるの?)、または、世界の市場動向を把握して、自分でリスクをとる知識があればそういうタイプの商品の運用によってそれなりのうまみを享受できる可能性があるが、バブル期に莫大な融資で一時払いをするというやりかたで、しかもそれを相続税対策として老人の虎の子を対象としてしまったところに悲劇がある。


その138(2003.5.4)『スローグッドバイ』 

石田衣良、マサノリがこのごろ気に入っている作家だ。主な作品に『池袋ウエストゲートパーク』(同名ドラマ原作)、『波のうえの魔術師』(ビッグマネー!原作)がある。両方とも、長瀬智也が主演している。
両方の作品から見える作風は「男の世界」だが、本人のあとがきによると、ミステリーが多いのだそうだ。
そんな中で、誰も死なない、犯罪も起こらない恋愛小説を集めたのがこの本だ。
デビュー間もない頃から手探りで書いてきたと、あとがきに書いてあるが、読んでみると、確かに女性読者をターゲットにした、いかにも女性が好みそうなテーマだ。過激な表現は極力避け、登場する男性はとても優しく、涙も流す。そして、ヒロインのファッションをこまごまと記述し、食べ物や映画やさまざまな小物がちりばめられている。
表題作の『スローグッバイ』は、ある元カップルのさよならデートの一部始終を書いている。こんなに辛抱強い男性がいるのだろうかという突っ込みを入れながら、一気に読んでしまった。
この短編集は20代の主人公だったが、今度は30代の男女を主人公にしたシリーズを書くそうなので、それも楽しみだ。


その137(2003.4.21)『夏菊』 

仕事に使う機械を設置するために部屋を片付けていたところ、ダンボールの中から谷崎潤一郎関係の本が出てきた。その中に、『谷崎潤一郎全集第14巻』があった。たぶん神田の古書店で買ってきたものだろう。奥付は昭和四十八年十一月普及版発行となっていて、検印のところには「潤」という落款の押された紙が貼られ、その上を、検印の紙に触れないところに1点糊をつけたパラフィン紙で保護してある。
谷崎潤一郎全集の中で、特にこの本を購入したのは、この中に『夏菊』という、中断された小説が入っているからだ。
『夏菊』というのは、昭和九年、松子夫人と結婚した年に新聞連載した小説だ。
松子夫人は、大店の御寮さんだったが、店が傾き、その他いろいろなことがあって離婚した。その頃のことをモデルにした小説だった。当然誰が誰であるかははっきりしていたし、債権者から隠していた資産の話も出てきて、当事者にとってみればたまったものではなかった。また、連載が続けばどういう話が出てくるかも、話の中に引かれている伏線でわかる。
当然のことながら反対が出て、これからというところで中断された。この小説は戦後に『細雪』という洗練された形で復活するが、そこには倒産やその後に出てくるはずだった愛憎問題はすっぽり抜け、松子夫人の姉妹の優雅な生活が微に入り細に入り書かれることになる。
しっかし、どういう話になるかわかってはいても、先を読みたかった。リアルタイムでしかも人物設定がそのものずばりのような生々しさだったために中断されてしまったが、このテーマを谷崎がどういうふうに書くか、読んでみたかった。こんなにあせって書かずに、もう少し時間を置いて熟成させてから書けばよかったのにと思う。

久しぶりに谷崎の作品を読んで、谷崎熱が復活してきた。ネットを探していたら、『秘本谷崎潤一郎』)という本にぶつかった。ネットで販売しているのだが、この作者の本の1つ、『聞書谷崎潤一郎』は持っている。『秘本』にはその後のことが書かれているらしい。1巻1万円全5巻の大作だ。欲しい!と思ったが、ただでさえ部屋が狭くなって困っているこのタイミングでそんな本を買ったら、マサノリに叱られるだろうなぁと思い、我慢している。


その136(2003.4.19)あるホームレスの話 

リーン、リーン

ある日、60代に入ったばかりのの夫婦の家に突然電話がかかってきた。警察からだ。お兄さんと思われる方が亡くなったので、確認に来て欲しいとのこと。それは、30数年行方不明だった、夫の兄が亡くなったことを知らせる電話だった。
行方不明になってから10年ほどたった今から25年前、まだ生きていたその男の母と姉が、わずかに伝え聞いた消息を頼って、探しにいったことがある。結局見つけることができなかったが、電話はその、探しに行った土地の警察からだった。何のことはない。ずっとその土地に彼はいたのだった。

彼はいつの頃からかホームレスになっていた。60代になって、いよいよ体がきつくなってきたとき、昔一時世話になったことのある会社に、住み込みで働かせてくれと頼み込んだ。若い社長は快く受け入れてくれ、以来、家族のように接してくれた。

人を楽しませることが好きな彼は、職場でも親しまれていた。仕事もしっかりしていた。が、業務上薬品を使うため、資格が必要だった。そこで社長が書類を持ってくると、彼は姿をくらました。2~3日すると、戻ってくる。また書類を持ってくると、また姿をくらます。そんなことが繰り返された。彼は、読み書きが苦手だったのだ。元々勉強があまり好きでなかった彼は、学齢期にほとんど学校に行かなかったのだ。

彼は男3人、女2人の5人兄弟の真中だった。一番上の長男は頭が良く、貧しい中でも働きながら勉強をし、自力で高校を出た。2番目の長女はあまり頭は良くなかったが、何とか中学校まで行った。その次が彼で、すぐ下の三男は、長男が高校まで行かせた。一番下の次女は義務教育の後、働いた。
腕の良い職人だった父親は、戦争で全てを失い、以来、すっかりやる気をなくしてしまっていた。
彼が親兄弟の前から姿を消したのは、どういう心境からだったかは本人にしかわからない。結局彼は、両親の死に目にも会わず、結婚することもなく、たった16円のお金を残して夜中に襲った心筋梗塞のためにこの世を去った。
宵越しの金を持たない彼は、お金が入るとホームレス仲間のところへ行き、振舞っていたらしい。

彼は数人の名前と電話番号が書かれたメモを残していた。その中に三男の名前と電話番号があった。長男の名前はなかった。長男と次女は、つい2~3年の間に相次いで亡くなっていた。そのことを彼は知っていたのだろうか。三男は、彼が行方不明になった後、何度か転居をしているが、もちろん三男は彼の行方を知らなかった。予想外に近くに住んでいた彼は、兄弟の動向を知っていたのかもしれない。

行方不明になった当時はそんなに似ているとも思われなかった彼と三男だったが、30数年を経て、そっくりな顔になっていた。確認に行った三男を一目見て、警察の人が言った。
「あっ、そっくりだ。これは間違いないや。」

結局わずか2~3年の間に、5人兄弟がたった2人になってしまった。彼を家族のように感じていた若い社長は、自分のところから葬式も出すし、法事もやると申し出た。残された長女と三男の2人は、それではあまりにも申し訳ないと、遺骨を引き取り先祖代々の墓があるお寺に供養をお願いした。