7月24日、第25回残月祭に行ってきた。テーマは「妖しの世界への誘い―谷崎・乱歩・横溝」。戦前の一時期、谷崎が推理小説風の作品を書いたのが、日本の推理小説の先駆けになったということで、谷崎・乱歩・横溝の3人の作家をテーマに講演とシンポジウムが行われた。
司会は、谷崎記念館副館長をされているたつみ都志先生。会場には渡辺千萬子さん、たをりさん親子もいらしており、たつみ先生は千萬子さんを舞台へ上げようとされていたが固辞されたようで、残念ながら私はその姿を拝見することはできなかった。
たつみ先生の挨拶では、いつもは「お暑いところを」と話し出すのだけれども、暑くないですね、というところから始まった。残月祭は毎年谷崎の誕生日の7月24日に行われる。あまり暑い時期なので、では亡くなった日ではと思っても、7月30日。どちらにしても暑いので、7月24日で続けることになったとのこと。
残月祭は、渡辺千萬子さんが京都で経営していたカフェで毎年谷崎の誕生日に谷崎を偲んで開いたのが始まりということで、当初は30人くらいの規模で始まったのを谷崎潤一郎記念館が引き継いで今に至るとのこと。前々から行きたいと思いつつなかなか行けなかったのだが、ようやく念願が叶い、これが結婚以来初めての泊りがけの一人旅になった(^^)
作家の有栖川有栖氏の講演は、会場で配られた谷崎・乱歩・横溝関連年表の話からミステリー、推理小説等の用語に絡んで、自身の肩書きについてどうするか聞かれることに対して「どうでもいい」と言いつつあれこれとお話が続いていき、最後の方になって谷崎の個々の作品について話し出されたところで時間切れになってしまった。その続きは次のシンポジウムでということになったけれども、それもやはりもっと聞きたいというところで時間切れ(^^; その中でも『途上』(乱歩が絶賛した作品)の探偵について「この人って、気持ち悪いよね」というお話をされたところでは「確かに!」と大いにうなづいた。これまで特に気にしなかったけれども、この「探偵」さん、確かに変だ。他の谷崎作品から考えると、これはもしかしたら分身物に分類されてもいい作品なのかもしれない。あるいは後に『黒白』で書こうとしたタイプの作品だったのか。
シンポジウムは、有栖川有栖氏と江戸川乱歩のお孫さんである平井憲太郎氏と二松学舎大学教授の山口直孝氏、谷崎潤一郎記念館学芸員の永井敦子氏の4人で行われた。
江戸川乱歩のお孫さんのお話はとっても面白かった。乱歩が亡くなった時はまだ中学生だったので、あまり記憶はないのだそうだが、「昼間寝てて夜仕事をするのは普通の生活ではないかもしれないけれども、変な生活をするような人ではなかった」とのこと(^^)。ただし、偽電報事件の例を引いてその綿密な性格を示されていた。
偽電報事件というのは、乱歩が危篤だという電報があちこちに打たれ、大勢の人が乱歩家に駆けつけた事件だ。その時奥様に命じて誰と誰が来たか記録をとっておいたそうで、どうやら後で誰が犯人か推理していたらしいとのこと。乱歩は理詰めで綿密に構築していくタイプだったらしい。
谷崎の場合は少し異なる。谷崎が晩年に『夢の浮橋』や『瘋癲老人日記』のような作品を中絶することなく書くことができたのは、伊吹和子氏の年表作成や細かな調査等のサポートによるところが大きいのかもしれない。
次回は残月祭の会場に付くまでを含めて、何十年ぶりの一人旅のお話を書きたいと思う。
もう1ヵ月くらい前の話になるけれども(^^; 7月7日と8日に、東京国際ブックフェアに行ってきた。
7日の主な目的は、大沢在昌氏による基調講演。『デジタルと紙が併走する時代 ~作家が考えること、できること~』というタイトルで、著者の立場から、電子書籍をテーマに『絆回廊 新宿鮫X』をほぼ日刊イトイ新聞で連載された経験や、東日本大震災の被災地での経験、電子書籍の印税についてのアイデア、書店についての問題意識等を語られた。
最初に話されたのは、被災地の書店でのお話。被災地では、津波でお店が流された等で営業できないところは大変だけれども、営業できているお店では、今、本がたくさん売れているそうだ。一番売れているのが地震や津波の写真集や新聞記事の縮刷版等だそうだ。大沢氏はなぜつらい体験を写真集等で追体験しようとするのか不思議に思ったそうだが、被災地の人たちに「当時は何が起こったのか、自分たちやその周囲に起こっていることしかわからなかった。今になってようやくその全体像を知ることができる」ということを聞いて、なるほどと思ったそうだ。
次に、「ほぼ日刊イトイ新聞」で新作を連載した経験について話された。読者からの反応がすぐにわかることとか、一番多い読者層が30代の女性という、『新宿鮫』シリーズの読者層とは合わないサイトへの投稿だったが、この機会に読んだことで、『新宿鮫』シリーズが刑事物だということを知ったという読者の話等があった(実は、わたしもその読者さんと同じように思っていた(^^;)。シリーズ物は途中から読んでもわかるように書かれているのだけれども、やはりどうしても途中からとなると敷居が高く感じる。そのため、シリーズが続いていくほど読者数がだんだん減っていく傾向にあるそうだが、新しい読者の掘り起こしに役立ったようだ。
電子書籍の印税については、大沢オフィスとしてではなく、大沢氏個人の意見として、最初は5%くらいで、多く売れたらそれなりに印税率を上げて最大50%くらいまでというアイデアを出されていたが、んー、電子書籍を出版社が直販するならばいいアイデアかもしれないけれども、他のサイトに販売を委託するとなればそれなりに結構なコストがかかるので、その場合はなかなか厳しいかもしれない。
大沢氏は、出版社が主体になってIT業者と組んで人を呼ぶ導線を組むことを勧めていた。作家サイドが電子書籍を直販するということについては、技術的には可能かもしれないが、それは考えていない。なぜかといえば、作家にとって優秀な編集者がどれほど必要かを知っているからとのことだった。
基調講演の後は展示会を見に行ったが、暑さにへこたれて、休憩ばかりとっていた。最初に中央公論新社のブースで『谷崎潤一郎文学案内』と『歌々板画巻』を購入。次に日経印刷株式会社のブースで白書・青書等を購入して特製エコバッグをいただき(^^)、写研ブースに寄って説明を聞き、株式会社ルーラーのブースの前でebook5のパンフレットをいただいた。
8日は、午前中にJEPAの「EPUB3 標準化動向と日本のサービス紹介」を受講、午後から同じく受講していた知人2人と合わせて3人で東京ビッグサイトへ。
やはりこういうところは複数名で行くものだわね。しかも今回は非常に心強い人たちで、大助かり。倉敷印刷株式会社のブースでは、InPeria(インペリア)の説明をじっくりと(^^; 聞かせていただき、次に富士フィルムのブースで電子コミックの制作・配信工程を効率化するソフトウエア技術を見せていただいた。それから前日にも行った写研のブースで、ゴナやナールを作られた中村征宏氏のお話を聞いた。
フォントの作成にまつわる写研ならではのお話は、フォントユーザーにとっても大変興味深く、Webサイトでの読み物としても非常に有用なコンテンツになると思うけれども、写研さんには未だにWebサイトがない。もっと早くこういうお話が多くの人たちの目に触れるようになっていればと思うと残念だけれども、まあ、今からでもね。
倉敷印刷さんのInPeriaは、作業管理までできる統合的なシステムで、その機能を有効に使えれば、そこから得られる情報は経営にも役立つだろうと思われた。
富士フィルムさんのソフトウェア技術は面白かった。漫画の吹き出しを他の言語に変えるための作業を簡略化させるために、吹き出しを認識して色を塗ってしまったり、携帯漫画等のためにコマ割を自動認識してくれたり、モアレの修正等、画像の最適化をしてくれるというソフトウェア群だが、こういう手間のかかる作業を助けてくれるというのは、とてもありがたいだろうと思う。
展示会を見た後は3人でお茶。充実した2日間だった。
7月13日、『Road Show』八王子公演に行ってきた。大宮以来2度目、久しぶりのユーミンだった。
実は、この日のコンサートに行けると知ったのは、かなり直前になってからだった。マサノリがチケットを取っていたのだが、なぜか私に知らせてはくれなかった。それを知ったのは、義妹の一言からだったのだ。
えっ? と思ってカレンダーを見たら、しっかりオリンパスホールと書かれていた。そこで、いつもチケットを入れているところも見たら、しっかりと入っていた。わーっ、ビックリ。
マサノリはなぜ私に知らせてくれなかったのだろう。そうだ、私の誕生日(ユーミンがこの年齢になったときのコンサートで「自分がこの年齢になるとは思わなかった」と言った年齢(^^;)が近いから、誕生日プレゼントのつもりだったのかもしれないと思い、本人が言い出すまで黙ってようということになったが、結局私から言い出すことに……(^^;。誕生日プレゼントは、もう1つ別にあったのだが、それとセットのつもりだったのだろう。
当日、マサノリは久しぶりにラーメン紀行を考えていた。行きに「みんみん」というお店に入ろうとしていたのだけれども、残念ながら見つからなかった(見逃した? というか、肝心の本を玄関に忘れてきたのが失敗のもと。)。仕方がないので、別のところに行こうということで、コンサート会場近くの「大安」というお店に入った。マサノリはらぁめん、私はざるらぁめんを注文。ざるらぁめんは、よくあるつけ麺とは違い、スープは普通の中華そばのものの少し濃いものだった。これは私としては結構嬉しかった。酢を入れたい人はテーブルに酢があるのでそれで対応すればいいのだろう。
中に入っているチャーシューには、さらに塩味が強めについているように感じた。それがまたおいしかったのだが、トータルすると、かなり塩分の多い、水をいっぱい飲みたくなるようなお味だったかもしれない(^^;。ちなみに、麺を食べた後はスープ割りもしてくれる。
ラーメンの後、いよいよコンサートへ。写真は、ホールの入り口の前からガラス越しに見た景色。ビルの中の一施設という感じで見た目がいまひとつ感じが出なかったが、この景色がそれを補っていた。
入り口では数名の方にお会いした。さすがにユーミンの地元八王子ということで、多くの方がいらっしゃっていたようだ。私たちが座った席からも、何人かの方の姿が見えた。
ところで、色のついていないメガネが玄関に置いた袋の中に入れてあったため、この日のマサノリは一日サングラス姿。あの髪型、あの体形でサングラスをかけていると、結構怖い。初めて見た人は驚いたかもしれない(^^;
コンサートは、ところどころ新しい演出が追加されていて、大宮の時とは随分と印象が違っていた。表現される世界が少し広がったかしら。その広がった世界の中で、「ただわけもなく」を歌っていたユーミンの手の動きが八王子という場所とあいまって、特に印象に残った。
さすが地元でアンコールも鳴り止まず、最後のアンコールは「卒業写真」。ユーミンが地元で作った曲ということで、聴いている私の頭の中にもいろいろな情景が浮かんだ。
帰宅後またラーメンを食べに行った。何て店だったか今ちょっと思い出せないけど、トッピングが多く、麺が太くて固く、汁のないタイプのラーメンだった。ここではマサノリが二人分の食券を買ってきたので、目の前に品物が出てくるまでどういうものが出てくるかいまひとつイメージがわかなかったけど(トッピングについては指定できる)、夜中としては食べ応えあり過ぎだったかしら(^^;
先月のCD以来いろいろ気になり、『瘋癲老人日記』を読み返している。もう何度も読み返し、さらに細かいところをチェックしている。
小説を読み返したときに最初に思ったのは、『瘋癲老人日記』はどうやら『夢の浮橋』の後日譚らしいということだった。当初は『夢の浮橋』の経子の商家の嫁時代が、舞台を変えて書かれたのかと思ったが、どうもそれだけではないことに気付いた。なんと、瘋癲老人の父母が亡くなった年が、『夢の浮橋』の糺の父と経子の亡くなった年と一致しているのだ。
さらに読んでいくと、細かなところで妙に『夢の浮橋』と絡んでくる。特に、颯子と浄吉が二人で友人の結婚式に出かけるシーンがあるのだが、この時の颯子の衣装が異常なのだ。色味がどうもねぇ。なにやら夕顔のような色合いなのだ。これはどうやら結末の大きなヒントになりそうだ。
作品中には随所に、というか、作品中で使用される言葉、登場人物の食べ物や表情の表現、幅、図、歌舞伎や映画の演目、薬や煙草の種類、虫も含めた動植物、最後に付けられた日記等も含めて、すべてに謎やヒントが埋め込まれている。当然「助六」はその最たるもので、物語全体を担っている。また、老人の家が「本所割下水」から「狸穴」に引越したということから、落語「化け物使い」が導き出されてきたが、これも物語全体の筋から最後のドタバタに大いに活きている。老人が五子のことを「狸奴」とか「古狸」(ツイッターでは誤って、というか思い込みで「子狸」と書いてしまった)とか言っているのは、種明かしだろう。実際、「助六」と「化け物使い」を頭に入れてこの作品を読むと、メチャクチャ笑えるドタバタ劇になる。
また、老人の夢に登場した「母」の簪と、城山五子の2人の子供の名前なども注目だ。私はここから「旗本退屈男 謎の珊瑚屋敷」を思い浮かべた。
『夢の浮橋』の方のベースは日本の神話が中心だったように思うが、『瘋癲老人日記』では、さらにわかりやすさを求めたのか、ギリシャ神話も絡めている。日本神話とギリシャ神話には、とても似ているお話があるのね。今のところ、この作品に使われているもので私が確認できているギリシャ神話のお話は2つだ。
『瘋癲老人日記』は、『夢の浮橋』の謎解きの役割もしている。『瘋癲老人日記』の各種の謎を解いていけば、親戚関係のつながりも見えて、系図の方も、よりわかりやすいものを作ることができると思う。
例によって、この作品を読んでいる最中にいろいろつぶやいた。それについては、ツイログをご覧いただければと思う。
最後に、作品中で使われている「颯子」が活けたことになっている花に添えられた和歌を引用しておく。
吾か背子(せこ)はいつく遊(ゆ)くらむおき津ものなはりのやまを氣布(けふ)か古ゆらん
もともとの和歌の作者および解説はこちらのサイトが詳しい。
老人には、佐々木看護婦による審判が既に済んでいるのに、生き残ってしまったものだから、その後はP剤とQ剤による審判が続くのね。
雑誌「新潮」5月号に、特別付録として谷崎主演の音声劇『瘋癲老人日記』のCDがついているとの情報を得て、早速購入、リピートして聴いている。
聴いて、まず最初に思ったことは「うまい!」だ。最初の方は他の女優さんも含めて少し固い感じがしたが、それでも出だしの日記を読む声は、しっかり演技をしていて、これから始まるドラマへの期待感を膨らませた。日記を読むところと、台詞のところの変化も面白い。
颯子と二人の場面になると、さらに調子が出てくる。
颯子役の淡路恵子の演技はさすがだ。映画『台所太平記』では地這えのする声で谷崎に嫌われるお手伝いさんの役を怪演されていたが、この音声劇では「ちょっと意地が悪く、ちょっと皮肉で、ちょっと嘘つき」だけれども思いやりのある若奥様を活き活きと演じていた。対する谷崎も負けていない。颯子さんが出かけていたことに対して嫉妬混じりに質問するところなど、一見棒読みっぽく聞こえるのだけれども、その棒読みの感じに嫉妬が現れているのだ。
原作では、瘋癲老人は死なないことになったが、音声劇では、原作からのダイジェストでありながらその順番を工夫して、当初の予定通り、亡き親友に捧げるドラマになっている。そのため、颯子さんの思いやりが一層引き立つ構成になっている(原作の方は、その思いやり深さが減殺されている)。
この音声劇を聴いたことで、原作の方も再び読み直したが、やはりいろいろと謎が埋め込まれている。食べ物とか。よくよく見ていくうちに、どうやら『夢の浮橋』の続編にもなっているらしいことに気づいた。まるで宇治十条のように。これについてはまた後で書きたいと思う。
なお、『瘋癲老人日記』を読み直したことで、その458で作った年表と系図にさらに手を入れた。併せて見ていただければと思う。