先日、仕事のページで、学会誌等で著者や編集者の方にExcelでXMLの原稿を入力していただくためのテンプレートをアップしたが、その後、そういえばJ-STAGEのXML化はどうなっただろうと思い、調べてみた(順番が逆だわね(^^;)。
J-STAGEのサイトに行ってみたところ、J-STAGE 3の2012年4月からの本格運用に向けて、3月9日(東京)と11日(京都)にJ-STAGE利用学協会(発行機関)向けに説明会が行われていた。
資料を見てみると、来年4月以降もしばらくは従来のPDF+BIBファイルでも受け付けるとのことだが(XML化への対応に向けて、現場での混乱は避けられないだろうし、必要なことだろうと思う)、XMLのサンプルを見てみると、対応自体そう難しくはなさそうだ。私自身、現在BIBファイルを作るために必要項目をXMLにして作業しているが、それをXSLTで変換すれば問題なく移行できる。
比較的大きな変更点としては、著者のフリガナが入ることと、参考文献のタグ付けが細かくなることだが、著者のフリガナについてはこれまで入らなかったことが不思議なことだし(英字があるからそれで代用できるということだったのだろう)、参考文献のタグの細分化については、現状では原稿によって区切り文字や書式がバラバラなため、他のデータベースとの照合や引用数のカウントの正確性の向上のためにも、こちらも当然の対応だろうと思う。
J-STAGE 3では、書誌情報だけでなく本文も含めて全文XML化になるが、その最も大きな利点は、これまでBIBファイルというShift_JISのテキストファイルで書誌情報をアップしていたのが、UTF-8のXMLファイルで、論文の全文を投稿できるということだ。
学会誌等では、Shift_JISでは表現できない文字も多く使われる。それをBIBファイルにするために、文字参照にしたりShift_JIJSにある文字に置き換えるという手間がこれまで発生していたわけだけれども、それが解消できる。さらにXML組版への道が大きく進み、ワークフローの効率化も進むことだろう。組み上がったDTPデータからテキストを書き出してBIBファイルを作るという残念な作業(私にとってはそういうお仕事もありがたく大切なのだけれども)から脱却できるのだ。
DTP化で、それまで分業されていたことが、デザイナーやDTPオペレーターの作業として集中する方向になっていたのが再び分業に向かっていく可能性がある。それによりデザイナーはデザインに集中でき、オペレーターは組版に集中できることになる。
J-STAGE 3では、世界的に広く使われているオンライン投稿システムをJ-STAGE用にカスタマイズしたASPを無償で使うことができる(利用優先度審査あり)ようになるそうだ。そのシステムがどういうものかはわからないが、投稿者は書誌情報については書誌情報入力画面で各テキストボックスに必要事項を入力し、Abstractや本文については、ブログの入力画面のように表の入力や、上付き、下付き、アンダーライン、ボールド等の修飾、画像や図版をアップすることができるようになっているかもしれない。投稿者や査読者は、その簡単な組版結果をプレビューし、確認や修正をすることができるだろう。図表については、図表番号と図表とのリンクで確認できるかもしれない。図表のアップには、印刷に使用することも考えたサイズの目安が示され、投稿と同時に画面プレビュー用のサムネイルも作られるようになっているかもしれない。論文誌についてはそのまま自動生成したPDFや、場合によってはEPUB等を論文流通の中心にし、必要に応じて印刷物を作る学会も現れてくるだろう。
そうなれば、印刷会社への入稿はXMLデータになる。それをたとえばInDesignで組む場合、その学会誌用のテンプレートを作り、そこにXMLデータを読み込むことになる。それには、入稿されたXMLデータについて全半角や表記の統一などのテキスト処理を施したり、学会誌のレイアウトに合わせ、InDesignに読み込むのに都合の良いXMLに変換する必要が生ずる。校正が済み、組み上がれば、それをまたデータベースに反映させるために、再びInDesignから書き出したXMLデータを指定のXMLの形式に変換してアップすることになるだろう。
この時、組版の現場では修正でXMLの構造を一部壊してしまっていることもあるかもしれない。それを再び調整してアップできるようにする必要も生ずる。つまり、DTPデータに対するXMLデータの入出力を担当する人が必要になってくる。
そこで、このXMLの入出力部分の設計及び作業ならば、お役に立てるのではないかと思っている。テンプレートとXSLTを作り、それをたとえば1年間フィードバックを回していき、ブラッシュアップする。デザインを変えるとなれば、そこでまたテンプレートとXSLTに修正を施し、それをまた1年間フィードバックを回していく。そういう形でのお手伝いができるのではないかと思う。
まずは、先日作ったテンプレートをJ-STAGE 3に簡単に対応できるように修正を加えることから始めてみようと思っている。
4月19日、大宮ソニックシティーでの『Road Show』コンサートに行ってきた。私たちにとって、久しぶりのユーミンコンサートだ。当日はそごうに車を停め、地下でお惣菜を買って車に入れてから会場へ。
全セットリストは、皆様のお部屋から皆様のサイトを見ていただくとして、ここではその中からいくつかをピックアップして書いておきたいと思う。
まず、1曲目の「ひとつの恋が終るとき」。これはアルバムの1曲目でもあるが、アルバムに比べて妙に力強い。少し驚いたが、見ているうちに、少し拗ねたような動きから、アルバムから受けるイメージとは少し異なる男性像を演じているのかなと感じた。
力強い歌い方にはボイストレーニングも関係しているのだろうか。翌日のSONGSでも、「ダンスのように抱き寄せたい」を朗々と歌われていたので、発声法から変えたのかなとも思った。
2曲目の「TUXEDO RAIN」では、導入は男性、途中で女性が入り、まるでデュエットのように男女両方を演じながら歌われていたように思う。
MCもストーリーの中に入っていた。重箱構造に入っていくところでのユーミンのつぶやきも印象的だった。
途中の演出では、TRANSIT 2009ツアーで初めて行われた、例のコッパズカシイのもあった。今回の場合はあの時ほどの恥ずかしいものではないけれども、シャイな大宮のお客はそれでもあまりノリが良くない。それは最初のMCでユーミン自身が危惧していた通りで、今井君の音頭での練習でも、1回目のドラムの宮田さんの判定は「ポワン」。まあ、これはお約束としても、今井君のコメントから、2回目では合格点が出るシナリオだったらしいけれども、やはりそこは大宮のお客なので、宮田さんも合格点を示す音を出しながら、ビミョ~なニュアンスを入れていた。
で、本番なわけだけれども、そのシャイの代表みたいなわが夫は歌わない(^^; 隣が歌わないと、私もだんだん声が小さくなりがち(^^; 何とか気持ちを引き立てて歌っていたけれども。どうも、私たちはこういうのは苦手なよう。ごめんなさい。
そんなことはあったけれども、重箱構造のストーリーはとても楽しめた。こう来たかという感じ。背景の映像や衣装等、いろいろ謎解きしたいところもあるので、一度では足りないなぁ。10月の東京国際フォーラムには行きたいなぁ。
それまでは、T-SITE×松任谷由実コンサートツアー2011『Road Show』キャンペーンサイト(要登録)や皆様のサイトで楽しませていただこうと思っている。
4月6日、ユーミンのアルバム『Road Show』が発売された。アルバム全体で1作の映画になる、まとまりのあるアルバム。聞きながら、それぞれの人の中でドラマが出来上がる、そういうように出来ている。ユーミンとしては珍しく直接的な愛情表現が使われているのも新鮮だ。
そういう構成のため、どの曲もそれぞれ思い入れが入って好きなのだけれども、やはり1曲目の「ひとつの恋が終るとき」が今のところ一番好きかしら。決して嫌いになったわけではない(むしろ別れたくない)のだけれども、相手の気持ちを考えて、別れに同意し、駅まで送る男性(私の解釈)の気持ちが胸に迫る。
それらの曲たちの中に、「今すぐレイチェル」のような曲が入ることで、フィクションとしての世界がさらに広がる。それぞれの人にとってのドラマが作れるような空間の広がりが生まれる。
長く暮らした相手の元から飛び出して、その隙間を埋めるように別の人のもとに飛び込んだが、その情熱の魔法も長くは続かなかった。それでも、もう後戻りはできないと頑張るのだけれども、やはりだめだった。別れた男性の方も主人公がいなくなったらそれまでの激しい夢を忘れてしまったようだ。やはりその女性が一緒にいてこその夢なのだ。男性側の気持ち、女性側の気持ちがそれぞれの曲に交互に現れる。そして…。
“あなたとならばそれでいい”。改めて自分にとっての相手の存在の大切さに気付き、これからも一緒にやっていこうとする男女、そういうドラマを頭に浮かべながら聴いている。
直接的な、情熱的な愛情表現が出てくる相手とは、そう長くは続かないものなのかもしれないなぁ。というか、そういう大げさなことを言って自分を誤魔化さないと続けられないというか……。
松任谷由実 36th NEW ALBUM『Road Show』というサイトが出来ている。おすぎさんの「全曲空想映画批評」等のコンテンツがある。アルバムを聴きながら、ときどきチェックしよう(^^)。
私が行ったときは店員さんは1人で非常時対応をされていた。まず最初に、食事は提供できず、ドリンクバーだけになる旨が説明される。入り口にもその旨は書かれているが、お客が来るたびにまずその旨を説明する。大変だ。中にはブツクサいう人もいるのだが、帰宅難民にとってはそれでも大変有り難い。
待つにしても椅子はあるので、ゆったりとした気持ちで待てた。名前が呼ばれて半円形のカウンター席へ。その席には地元に近い女性2人がいた。尾久駅で降ろされ、ここにたどり着いたそうだ。ということは、後から考えてみればガスト尾久店には同じ方向の人たちが集まっていたのかもしれない。
携帯の電池も風前の灯だ。歩いている間にマサノリから着信があった。留守番電話には「連絡くださーい」というメッセージが入っていた。ただし、こちらから電話してもつながらない。マサノリはメールは見ないので、席についてからTwitterに無事であることをつぶやいた。ブラウザで名前を検索すればリアルタイムでつぶやきが出てくる。でも、マサノリはそんなことは考えなかったらしい(まあそうだよね)。mixiにもつぶやいたけれども、mixiをやっていない彼が見るわけもなく(^^; それでも、交通事情についてはテレビで私よりわかっていたわけで(^^)
マサノリに連絡がついたのは、午前2時半になろうとする頃だった。携帯の電池はとっくに切れていたけれども、お店で充電してくださった。そうしたら迎えに行こうかと言うではないか。驚いた。何しろ遠いからねぇ。尾久に到着するまで、今度はこちらが心配になるが、やはり嬉しかった。ここで、ガストに入るときにチェックした項目が役立った。「明治通り沿い」「ガスト尾久店」これに対して町名も聞かれたので「昭和町2丁目かな」。
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ほっとして1時間ほどした頃、同じ方向のおふたりも一緒に帰れればと思い、意思確認をした。でも、これはもっと後、何ならマサノリが来てからの方が良かったかもしれない。それぞれに自宅とのやりとりがあっただろうから。
マサノリが到着した時は、既に午前4時を回っていた。マサノリにこちらのおふたりもと言い、それではということで、4人で車に乗った。走っているうちに空が少しずつ明るくなってくる。マサノリはそれぞれの家まで送ると言っていたが、1名は家に比較的近いところだけれども、もう1名が少し遠い。大宮駅に付く頃にはすっかり夜も明けたこともあり、おふたりはそこで降りられた。それから1時間半~2時間くらいで高崎線は運転を再開したようだ。
自宅に到着した時は6時を過ぎていた。テーブルの上にはマサノリのパソコンが広げてあった。マサノリがパンを買っておいてくれたので、それを食べてから爆睡した。その後、練馬まで行動を共にした相方に確認したところ、彼女は地図を買ってそこから歩いて帰り、23時前、無事に家に到着したとのこと。ほっとした。
後から考えれば、素直に赤羽行きのバスに乗ればもっと早く帰れたかもしれないと思ったけれども、赤羽でダメだったときのダメージを考えると不安だったので、これを機会に何かあったときの帰宅行程を良く確認しておこうと思う。
3月11日の帰宅行程:
中野富士見町―(徒歩)―中野―(バス)―練馬―(地下鉄)―上野御徒町(以降ガストまで徒歩)―上野―湯島―西日暮里―尾久―ガスト尾久店(以降車)―大宮―自宅
3月11日は、午前中は京橋で仕事があり、午後からは中野富士見町にいた。そこで地震が発生し、夕方6時過ぎから帰宅の途につくわけだが、そこから家に着くまでの経過を記録しておきたいと思う。
電車が全部止まっているので、とりあえず中野富士見町から、他の人たちと中野まで歩いた。「中野についたらお茶でも」って感じで、この時はまだ気楽だった。ただ、途中で街頭テレビの映像を見たときは、その被害の大きさに驚いた。建物の倒壊等が一部で起こるだろうことは、地震が起きたときの揺れからある程度想像できたが、それよりも、津波の方が大きかった。
中野駅についたら、バス停留所が長蛇の列。とりあえずお茶とか食事とかと思っても、どこの店も満員。そこで、まずは早く帰ることを優先ということで、駅のそばにある京王バスの案内所に聞いてみることにした。
案内所の人はとても親切に、親身になって相談に乗ってくださった。私は、中野からならばということで、「池袋行き」のバスはどこから出るかを聞いたが、反対口だった。ただ、道路が混んでいるので、池袋に付くまでに最終になってしまう可能性もあるとのこと。実際、たとえ池袋についたところで、池袋の混雑を考えるとこれまた不安ではある。
一緒にいた女性は「練馬行き」のバスを見て、それに乗ることに決めていた。やはり一緒にいた男性からも、女性が一人で行動するよりも、二人でいた方がというアドバイスをいただき、この時はその女性の家に泊めてもらうつもりで、一緒に「練馬行き」のバスに乗ることにした。
それにしても長蛇の列。とりあえずトイレに行きたいということでマクドナルドに入ることにしたけれども、やはり混んでいるので、まずトイレに行ってからということにしたが、これまた並んでいた。そのうちに店員さんから3階にもトイレがありますという案内があり、列が短くなった。有り難かった。
練馬まで、やはり長かった。沿道には歩いている人たちがいっぱい。途中からは、降りた人の分しか人を乗せられなくなっていた。やっとついて、練馬駅に入ってみたら、西武線も地下鉄もまだ止まっていた。
駅の交番では、数人のおまわりさんが外に出て対応されていた。赤羽までバスがあるとのことなので、バス停留所に行ってみたところ、これまたいつになったら乗れるかわからないので、こういう時は動かないのがいいと思い、とりあえず食事をしようということになった。ガストが見つかったけれども、やはり満員。吉野家で食べた。
また駅に戻ったところ、バスの列は少なくなっていた。駅の中を見てみると、どうやら大江戸線が動き出したようだった。そこで、私はとりあえず大江戸線に乗ることにした。実は、手持ちがかなり微妙で、これ以上一緒にいると迷惑をかけることになるかもしれないということもあった。家族にまったく連絡が取れず、心配のあまり食欲が低下していた相方とそこで離れるのは申し訳ない気持ちもしたのだけれども、私の頭はすでに地下鉄に向かっていた。
地下鉄に乗ってから、さてどこで乗り換えようかと路線図を見た。新宿だとやはり混雑が予想され、土地勘がないところで立ち往生というのも困ると思い、上野御徒町まで行って、上野からJRに乗ることにした。
やっと上野についたら、何と、JRはまだ復旧していなかった。シャッターがしっかりと閉っている。ならばマクドナルドでと思ったけれども、これまた閉っていた。広小路通りには、上野で夜を明かす決意をした人たちがかなりいた。しばらく歩き回ってお店を探したが、飲み屋さんしか開いているところはなかった。
歩いていると、防災無線で交通機関の運行情況が放送された。あまり聞き取れない。最後の「運行を再開しました」だけ聞き取れて、これは! と思い上野駅まで戻ってみたけれども、やはりJRはシャッターが閉っていた。運行を再開したのは地下鉄の話だったようだ。
ならばとりあえず湯島駅まで歩いて西日暮里までと思ったが、湯島駅は長蛇の列。仕方がないので西日暮里までの間、途中でファミレス等があれば入ろうと思い、歩き出した。池之端あたりでは、臨時の避難所が作られ、その表では歩いている人たちに、温かい笑顔と共に熱いお茶が配られていた。寒さが一入身に沁みている中、これはとても有り難かった。同じ方向を向いて歩いている人とも、「有り難いねえ」と声を掛け合った。
不忍通りは歩いている人が多かったので、かなり夜遅くなっても心強かった。千駄木あたりになると、初めてそのあたりを歩く人も多かったようで、地下鉄の駅の場所を聞かれたりした。通り沿いに千代田線が走っているので、これは説明がしやすかった。
西日暮里駅が見えてきたときは、線路には電灯がともっており、その灯りに向かって歩いていた。到着したときはシャッターが半開きだったり、完全に開いているところもあったが、JRは動いていなかった。駅員さんが外に出て対応していたが、なぜ動かないと詰め寄っている方々もいらっしゃった。
西日暮里を過ぎると、歩いている人たちもだいぶ少なくなってきた。かなり心細い。マクドナルドはどこも閉っている。ようやく人が出てくるファミレスを見つけても、ちょうど閉ったところとか、そんな状態。尾久駅を過ぎて少しして、道路を挟んだ反対側にようやく窓から人が見えるファミレスを見つけた。ガストだった。こういう時は心身とも危機対応になるようで、道路をわたるときにはすかさず信号機の下の表示をチェック。店に入ったときにはガストの何店かチェックした。信号は「昭和町2」店は「ガスト尾久店」だった。