ラブレターズ

その400(2008.11.08)『卍』と『捨てられる迄』、そして『細雪』(その3)

その2を書いてから網野菊についてさらに調べていたのだが、なかなか情報が集まらない。これは全集を調べるしかないと思うが、とりあえずその後わかった情報は、次の通りである。

母校(日本女子大学)で教師をしていた時に、夏休みを利用して友人と福島県の温泉に出かけたが、帰る途中で関東大震災に遭い、東京に入れないため、友人の出身地である京都に行った。その時に、今期の思い出にと当時京都に住んでいた志賀直哉を訪ね、『光子』の原稿を置いてきた。
京都出身の友人というのは、湯浅芳子と思われる。
谷崎家に呼ばれたとき、湯浅芳子は中条(宮本)百合子とソ連に行っていたが、網野菊は湯浅芳子と中条百合子両方と友人であるため、この2人のことについても詳しく知っていた。

ということである。谷崎が網野菊の作品によって彼女に親近感を持ったことと、志賀直哉の弟子であることもあったと思うが、この時の谷崎の取材の最も重要な点は、『卍』で描く女性同士の恋についてであることは間違いない。
また、中条百合子は湯浅芳子と出会って当時の夫と離婚した。その経緯については、大正13年に発表された中条百合子の小説『伸子』に書かれていることから、この詳しい経緯についても当然知りたかったと思われる。
したがって、柿内夫妻のベースは中条百合子とその夫と思われる。

しかし、この作品を書く際には別の人もイメージしていたように思う。
まず第一に柿内園子だが、このキャラクターは、私にはどうしても後に谷崎夫人になる根津松子夫人を当てはめているとしか思えない。最初は標準語で書かれていた『卍』がその後関西弁に変更されていった第一の原因はこれではないかと私は思う。

『卍』の中で柿内園子と夫との喧嘩で夫が言っている言葉に、「不良少女」とか「文学中毒」というものがあるが、もちろんこれは中条百合子にも当てはまったことだろうけれども、芥川龍之介に単身で会いに行った当時の松子夫人についても当てはまる。となると柿内氏については当時の松子夫人の夫である根津清太郎氏になるかと思うが、内容からして、この役柄には妹尾健太郎氏を当てているように思う。

では、徳光光子はどうだろう。先ほど柿内園子は松子夫人をイメージしていると書いたが、光子は女子学生でなければならない。そうなると、園子には松子夫人の他に、もう1人、もう少し若いモデルも必要になる。そこで白羽の矢が立ったのが江田(高木)治江ではないかと思うのだ。

この小説で最初に関西弁の助手をしていた武市遊亀子さんからの手紙によって江田治江さんに話が来たのだが、この時の文面には、貴女を含めて五人のお友達を誘ってと書かれている。これに驚いた江田さんは、武市さんと同クラスで既に大朝の社会部の記者をしており、谷崎のところにも出入りしている隅野滋子さんに相談したのだが、この時隅野さんは次のように答えている。

「そう! 心配するほどのことないよ。大丈夫。先生はねェ、若いお嬢様方にお酒をすすめて賑やかな雰囲気がお好きなのよ。中華料理の豪華な御馳走をして下さるわよ。行ってらっしゃい。テマコでもひっぱって行ったらどう。お酒のまされる覚悟だけはしてね」

ここでテマコと呼ばれているのが、谷崎の2番目の妻になる古川丁未子さんである。江田さんと丁未子さんが普段から仲が良いこともあるとは思うが、ここであえて隅野さんが「テマコ」と言ったのは、やはり偶然ではないように思うのだ。江田さんに誰かを誘ってという手紙を出せば、当然丁未子さんもついてくることは、容易に想像ができたと思うからだ。

当時の丁未子さんについて、『谷崎家の思い出』には次のように書かれている。

入学当時、あのかた、地方から出て来たらしいが、顔立ちの整った美しいかたね、という噂がたちまち学校中に拡がった。おさげ髪を首の辺に束ね、絣の長袖にグリーンの袴、白い鼻緒の麻裏草履が有名になる一要素でもあった。ところが最初の夏休みがすむと、俄然第一級のモダンガールに変身して現れた。当時ミーハー族のする、衿合わせを長いV字型にして袴を胸高にはいてという話は伝説のように聞かされていたが、二回英文に病を癒えて現れた時は普通の女子学生で、美人の病み上がりというものは、梨花風に靡く風情と言いたいほど痛々しかった。しかし骨細のきゃしゃな体に似ず、どこか芯の強いものは感じとれる人である。

徳光光子のイメージにピッタリである。このようなことから、この2人を園子と光子のモデルに加えたのではないかと私は思う。
この仮説を立てたとき、後に周囲のすべての人が反対する中、江田さんだけが谷崎と丁未子さんとの結婚に賛成したのは、『卍』の助手をしている中で、江田さんと谷崎の間で彼女に光子のイメージを与え続けていた結果なのではないかと思い当たった。それが、後に谷崎が彼女について江田さんに愚痴を言ったとき、本来ならそれをとりなさなければならないところを谷崎と一緒になって残念がった原因なのかもしれない。(その4に続く)


その399(2008.11.02)『卍』と『捨てられる迄』、そして『細雪』(その2)

『卍』の連載が始まったばかりの頃、昭和3年、3月23日付で、谷崎は当時奈良に住んでいた網野菊という人に、3月29日に岡本好文園の谷崎家に来て欲しいという手紙を出している。
この人は、関東大震災後、当時京都にいた志賀直哉を訪ね、以来、彼を生涯の師とした作家だが、谷崎がこの手紙を出すにあたっては、師匠である志賀直哉から彼女の住所を教えてもらっている。このとき志賀直哉は奈良に移転していた。

彼女が志賀直哉に師事するきっかけになったのは、今生の思い出に志賀直哉を訪ねたことらしいのだが、そのあたりはまだあまり詳しく調べられていない。

そのようなことから、谷崎が網野菊を呼んだのは、『卍』のための取材と思われ、この取材が、『卍』の第3回の、園子と光子の若草山での楽しい時間の表現に活かされているようである。

網野菊は、大正5年に『二月』を書き、大正15年に『光子』という小説を発表している(講談社刊『一期一会・さくらの花』に収録されている)。どちらも光子という名前の女性が主人公であり、そのまま彼女自身がモデルになっている。光子には、お梅どんというお付きの女中さんがいる。つまり、光子とお梅どんの関係は、そのまま『卍』と同じである。

しかし、谷崎が網野菊に興味を持ったのは、『光子』よりも『二月』の方が大きかったかもしれない。
『二月』は、彼女が6歳のときに他の男のところへ行ってしまった母が、突然目の前に現れるところから始まる。彼女はそのみすぼらしい姿を嫌い、かなり冷たい態度を母親に対してとる。これを読んだ谷崎は、将来鮎子が千代夫人に対してこのような態度をとりはしまいか、それより何より、千代夫人がこのようなみじめな状態になりはしないか、相当心配したと思われる。そのため、もしかしたら『卍』のための取材よりも母親に置いていかれた娘の気持ちを聞きたいという気持ちの方が大きかったのかもしれない。それくらい、『二月』は、当時の谷崎には衝撃的だったように思う。千代夫人が果たして和田青年のところに嫁いで、本当に和田の家できちんと受け入れられるのか、谷崎がかなり心配したであろうことは十分に想像される。
さらに、彼女が母親を失ったのが、谷崎にとっても思い入れのある6歳の時だったということ、彼女が東京出身ということも、谷崎には興味深いところだっただろうと思う。

昭和4年の正月、千代夫人が和田青年に嫁ぐことが決まった。鮎子さんは谷崎家に置いてという条件だが、これは谷崎自身、おそらく相当に不安だったのではないかと思われる。というか、もしかしたら和田青年に強引に押し切られたのではないだろうか。 事実、江田(高木)治江さんたちを谷崎家に呼び出したのが昭和3年の末、谷崎から江田さんに仕事の依頼の手紙が来たのが翌昭和4年の1月25日である。そんなときに離婚など、まったくもってありえない。
さらに、2月25日付で佐藤春夫宛に、次のような手紙を出している。『つれなかりせばなかなかに』から引用する。

千代はいよいよ先方へゆくことにきまった。三月中に離籍の手つづきをすませ、四月頃からポツポツ目立たぬように往ったり来たりしてだんだん向ふの人になると云ふ方法を取る。神戸へ家をもつそうなのでそれにハ都合がいいことになつてゐる、従ってまだ発表されてハ困る。
何やかやで僕も今度こそ新聞が書けず弱つてゐる。幸い議会が忙しいので催促もされないが、東京の方ハもう一回も余裕がなくなつている、今日東京から和田の兄なる人が和田と同伴で来訪、スツカリ話がついたのでやや落ち着いた、明日からは書けるだらう。
過日来君ニ会いたい心切であつたが、君を呼んだためニどうなつたかうなな(ママ)つたと、あとで文句が出てハ困ると思ひ差支へてゐた。お千代も一ぺん君に相談しやうかと云つた事もあつたが僕が止めた。志かしもうきまつてしまへバ構わないから一度会ひたい。こちらから出ても行きたいが新聞があるのでさうも行かぬ。来てくれれば大へんありがたい、今度は家もひろいから仕事を持つて来ても大丈夫だ。

妻が果たして相手方の家に受け入れられるかについては、確か『蓼喰う虫』の要が心配していたと思うが、これについては兄なる人を連れてくることでパスということなのだろうか。
しかし、こうなるともう、表面上の言葉とは裏腹に、この手紙は、佐藤春夫に和田青年との結婚話を壊してもらうことを期待して書いたとしか(佐藤春夫の心をつかむ殺し文句はきっちり入れている)、私には思えないのである。(その3に続く)

2008-11-04
最後の手紙の文を、瀬戸内寂聴著『つれなかりせばなかなかに―文豪谷崎の「妻譲渡事件」の真相』から引用し直し、若干の補足を加えました。

2008-11-06 不確実な部分および誤りと思われる部分を削除、修正しました。


その398(2008.10.27)『卍』と『捨てられる迄』、そして『細雪』(その1)

谷崎の作品を考えるとき、『卍』はとても不思議な存在だった。一見、モデルがわかりそうでわかりにくいし、その頃の谷崎にこれに該当する事件があったようでないからだ。

そんな中、この作品について、ひょんなことからかつて読んだ『捨てられる迄』(ラブレターズその354とその355参照)との共通点を見つけ、さらにこの小説の元になったと思われる話と、この作品を書くためのイメージ化の材料にした人たちが浮かび上がり、さらに後に書かれる『細雪』への道筋まで見えてきた。
そこで、そのあたりのことをまとめてみたいと思う。

この作品を執筆していた頃の谷崎について、高木治江著『谷崎家の思い出』では、次のように書かれている。

一月二月の『卍』の原稿は大変難航した。物語の筋が頭の中に出来ている時はいいが、それを変更しようという時は灰吹きを煙管の雁首でせわしなく叩いてみたり、冷え切ったウーロン茶をやたらと飲んでみたり、髪の毛をやけにかきむしるようにしながら畳三畳ほどの間をうろうろ歩き廻ってみたり、原稿用紙の一ます一ますを自分の厳選した字で埋めてゆくのだから、これは大変な仕事である。やっと机に向って、エンジンがかかったのかなと思っていると、て、に、を、は、などが気になって、書いては丸め、丸めては破り、結局一晩中に何もかけなかったという時がある。かといって、興の乗った時に書きだめということは、この『卍』に限り決してなかった。

前年の年末の『卍』は、1週間で比較的すんなりいったような感じなのだが、はたしてこの正月にいったい何があったのだろう。記述されている限りでは、松子夫人とその姉妹や妹尾君子さん、千代夫人たちとの舞のおさらい会、それから東京から辻潤が会いにきた、それくらいである。辻潤の逗留中は上機嫌だったが、その後谷崎が東京へ出かけて帰ってきた頃、東京から和田青年が不意に現れている。
前後を見ると、この正月は昭和5年ということがわかるので、千代夫人と和田青年の話が壊れて1年近く経っている。壊れてというか、前年の1月に、3月に谷崎夫妻が別れ、その後千代夫人と和田青年が結婚するという話が決まったのだが、結局3月には別れられず(というか、その頃のスケジュールを見ればそれは最初から無理だったと思われる)、4月から東京で和田青年が大変荒れて、終平氏の表現によると「女狂い」を始め、その後どうなったのか、そのまま壊れてしまったような微妙な一年を過ごした後の事件である。
この時、和田青年は鮎子さんに麻雀を贈っている。鮎子さんはドッジボールが好きで、谷崎が東京に行って留守のとき、これ幸いと庭で遊んでいたのが、谷崎が帰ってからもやっていたら叱られること数回に及び、結局やめてしまった頃のことである。この状況を和田青年に知らせたのは、たぶん終平さんだっただろう。

この正月に谷崎の心をざわつかせたものがもう1つあった。お金の問題である。昭和4年の12月30日に、精二宛にお金の問題で手紙を書いている。後に谷崎と精二が絶交するきっかけとなる、例の萬平さんの件だ。さらに、猫も1匹いなくなってる。家庭内のゴタゴタで原稿が書けず、1つ仕事を断ったという手紙もあるので、心が乱れてということなら十分わかる時期なのだが高木治江さんがわざわざ「物語の筋を変更しようとする時」と書いているのはやはり気になるところである。

そこで改めて『卍』を読み返してみた。すると、綿貫登場の場面に目が留まった。

這入ってみますと三畳ぐらいな次の間やのんで、二十七八の色の白い男の人がたった一人畏まってすわってまして
その男云うのんが、いかにも光子さんの好きそうな輪郭の整うた女のような綺麗な人で、眉毛のうすいのんと眼の細いのんがこすそうな感じ与えますけど、私かって見た瞬間に「美男子やなあ」思たぐらいな顔だちで、

この表現を見た瞬間、これは和田青年だ! と思った。

で、和田青年が鮎子さんに麻雀を贈って1泊した後、『卍』はどうなったかというと、綿貫が話の中心から一挙に外れることになったのだ。つまり、柿内園子の夫が巻き込まれ、園子の夫によって綿貫は舞台から遠ざけられて話は急展開、一気にラストに向かうことになった。


その397(2008.10.10)『流星の絆』

東野圭吾著『流星の絆』をマサノリに勧められて読んだ。この作品は、今クールのドラマになっているが、それが始まる前に読めたのは丁度良いタイミングだった。

それにしてもこの作品、読んでいる間中、なぜこんな無理をする? これは強引じゃないの? という疑問がどうしても起こってくる。そんなことは著者の方も承知しているらしく、、その都度理由付けがしてあるし、あまりわからないのはこちらの論理的思考力が足らないからだと思わせるように仕向けてある、というより、実際論理的思考力が足りないのだろう(^^;。
それでも最後にはその無理が報われるように、そうしなければこの結末は迎えられないようにできているところはさすがだ。すべての伏線が見事にまとまる。タイトルの意味までしっかりとフォローされている(^O^)。しかも非常にドラマ向けの結末だ。これならドラマのために結末を直さなくて済む。そういう結末だった。

さて、私にこの作品を勧めたマサノリはというと、まだ半分しか読んでいないそうだ。なので、ドラマの配役を見てもちょっとトンチンカンなことを言っているのがおかしい。もう、よほど何か言いたくなったけど、推理小説の先を読んでいない人にそれを教えるのはとてもいけないことなので、一生懸命我慢したわ(^^;

配役はなかなか良いのじゃないかしら。でも、要潤はどうかしらねぇ。わかることはわかるけど、今風でない方が良いのじゃないかしら。といっても、そうなると年齢が少し上がるから、んー、しょうがないか。戸田恵梨香ちゃんの役も、もう少しハデ目の子の方が良いと思うんだけど、ま、旬だし、あまりハデなのも困るから、ちょうど良いのかもしれないわね。
クドカンの監督というのも少し不思議なんだけど、「池袋ウェストゲートパーク」を考えたら、うん、納得できるか。いずれにしても、来週始まるドラマが楽しみだわ。


その396(2008.10.09)頭痛大学

アッキーナが片頭痛のために笑っていいともを早退したそうだ。
片頭痛を持っている人は身近にも結構多い。その代表が妹なのだが、こればかりは片頭痛を持っている人でないと、そのつらさは理解しにくい。
だから、頭痛を持っている人は、周囲の無理解のためにこれまで散々苦労してきたようだ。頭痛ぐらいでなどと言う人もいたりするのだ。それでも最近は頭痛に対する理解が浸透してきたことや、いい薬も出てきたことから以前よりは生活の質も上がってきているらしい。

私は片頭痛はないのだが、時々朝に猛烈な頭痛を経験する。痛みのタイプは片頭痛と同じでズキズキ型、というよりズキズキ・ガンガン型なのだが、起きてしばらくすれば直る。したがって、吐くなどということはない。ただ、昔からときどき集中して起こるので、これは何だ? と思い、いろいろ調べたのだが、いまひとつよくわからなかった。

そこで周囲の人に聞いてみたところ、妹から頭痛大学というサイトと、そのサイトに書いてあることをまとめた『ドクター間中の頭痛大学』という本を勧められた。

このサイト、「朝の頭痛」では引っかかってこない。「朝の頭痛」で検索すると、「うつ」に関係あるような記述ばかりみつかるのだ。だから、教えてもらって本当に助かった。

このサイトで症例別ヒントを読んだところ、私の頭痛の原因はすぐに判明した。
私は子供の頃から慢性鼻炎を持っており、なおかつ扁桃腺肥大である。これらによる影響は風邪をひいたときに真っ先に来るとか、年に1回あるかないかの風邪ではない扁桃腺由来の熱が出るくらいだと思っていたのでそのままにしていたのだが、いやいやどうして、実はほぼ毎日影響していたことをこのサイトおよび本で知ってしまったのだ。

私の場合は酸欠が問題という、理由がハッキリしている頭痛なので、まずは寝方に気をつけた。それまでは、体を丸くして、首を極端に前に折り曲げていたので、これが頭への酸素の供給を阻害していたのだが、それを改めるだけで、結構効果がある。頭をガクッと下げていると、昼間でも居眠りしてしまうことがあるので、やっぱり姿勢は大事だわね。
その他の対策としては、鼻絆創膏とか、マウスピースとか、根本的には扁桃腺を取るとか、先ず第一には痩せるというのがあるのだが、また、さしあたっての対策としては、鼻絆創膏まで、それでも問題があるようだったらマウスピースかな。それより何より、まずは痩せることの方が大切なんだけとね(^^; ただ、肥満による影響の方は、確かにある一定の体重を超えると頻度が高くなるのは体験的にわかっているが、今のように太る前からもたまにあったことを考えると、私の場合、やはり鼻・ノド・姿勢の問題が一番大きいのかもしれない。いずれにしても、深刻なことになる前に原因がわかって対策ができたということは本当にありがたいと思った。

しかし、私の場合は原因がハッキリしているからいいのだが(といっても、頭痛のタイプとしては結構深刻)、片頭痛はその症状や頻度のわりに、はっきりした原因がわからないという問題がある。また、人数も多いことから、『ドクター間中の頭痛大学』では、他の頭痛についてもかなり詳しく書かれているが、片頭痛には特にページが割かれている。
これを読むと、気圧の変化が影響する人とか、その他いろいろなタイプがあることがわかる。
頭痛のタイプが判別できるチャートや、お医者に行く際に便利な問診表もあるし、もちろん命にかかわる危険な頭痛の見分け方も書かれているので、頭痛に悩む人は、まずはサイトを見て、それから本を購入して読んでみることをお勧めする。