その356で購入した谷崎終平著『懐しき人々―兄潤一郎とその周辺』に引用されてましたもので、手前、どうしても欲しくなり、Amazonのマーケットプレイスで購入しました。今回、文体が変わっておりますのは、この随筆集の文体を真似ているからでございます。女だてらに手前などと申しますのも何やらおかしな感じもいたしますが、辞書を引いてみました限り、問題はなさそうでございますので、このシリーズのみこの文体で書かしてもらいます。
さて、この作品、当初は新聞連載でしたものが単行本になりましたのが昭和36年。今回購入しましたのはその本でございます。
大きさは新書版。箱付きで、ちょうどポケット辞書のような感じの造りでございます。単行本の装丁挿絵は横山泰三。題字は武者小路実篤でございます。谷崎本人によるはしがきによりますと、新聞連載のときの挿絵は硲伊之助でしたそうで、その挿絵も見てみとうございました。
この本は谷崎が日々思ったことを随筆風に書いていくものなのでございますが、その文体が噺家のしゃべり方を真似て書くことからタイトルをこのようにしたそうでございます。
谷崎本人のはしがきによりますと、
「鹿もどき」とはどう云ふ意味かと方々から聴かれて困った。「鹿」とは落語家(はなしか)のしかの意で、昔から東京では「はなしか」のことを「しか」と云ふ。「もどき」とは「雁もどき」などの「もどき」で、辞苑には「擬(もど)き」の字を当てゝゐる。つまりこの雑文は落語家の口調を眞似て書くつもりだつたのである。自分では大いに凝つた標題のつもりであつたが、こんなに人騒がせをするとは思はなかった。(括弧内はルビ。漢字は可能なものは原文のまま、ないものは新字体で代用。)
と書かれてござります。
タイトルにつきましては、『われよりほかに―谷崎潤一郎最後の十二年』によりますと、執筆中、当初は第一話の「はにかみや」に因んで『はにかみ草紙』と題されておりましたのもを途中で「鹿の啼きごと」と改題、第1回分の原稿を手元から離された時にも「鹿の啼きごと」のままだったそうにございます。
さて、今回のテーマの「はにかみや」でございますが、谷崎は自分の兄弟にも照れてしまうお人だそうで、終平さんの著書には、次のようなエピソードが出てまいります。
ある時、熱海の兄の家で夕食を馳走になり、皆で映画を見に行く事になり、お酒のはいった勢いで何か兄に話しかけたいことがあって追い駆けるように兄に近づくと、兄は見知らぬ酔払いでも避けるように、ツイと右手の方へ私を躱した。私は大変しょげた。
そりゃあ、しょげたことでございましょう。
こういうはにかみは、谷崎だけでなく、弟の谷崎精二も、さらには終平さん自身にもあるそうでございます。どうやらそれは父親譲りの性癖だそうで、『当世鹿もどき』にはそのあたりのことが書かれてござります。
そういやぁ、手前共の実家の母も実は東京生まれでございまして、谷崎が幼少時代を過ごした日本橋あたりに小学生の頃まで住んでおりましたそうにございます。
母方の祖父は大変無口な人でございました。手前にはひたすら静かに晩酌をしている姿しか記憶にございません。その息子でございます伯父は無口ではありませんが、手前共が遊びにまいりましても、いつもムズカシイ顔をしており、まともに話しかけられたことなどありゃあしません。
その伯父も、晩年には手前の妹が子供を連れてまいると愛想よく話などしたと申しますので、あれはこの「はにかみ」のせいだったのかと思いながら読ましてもらいました。
ところが、昨年あたりでしたか、実家の母に聞きましたところ、手前共の子供の頃にはよく祖父がひとりでバナナを持って我が家に現れたそうでございます。
そういやぁ、当時は高級品でございましたバナナの立派な房を持ってきた小父さんがおりましたな。手前はてっきり母のすぐ下の叔父と勘違いをしておりましたが、よくよく思い出してみますと、確かにシワがございましたし、母の問いかけに対する応え方が叔父にしてはボソボソとしたものでございました。とは申しましても、手前と直接話をした記憶は、やはりないのでございますが…。
9月17日、シャングリラIIIの最終日に行ってきた。
この日もおいしい食事をするために早めに出た。
最初は表参道ヒルズの「MIST」というラーメン屋さんで食べる予定で出かけたのだが、生憎お昼休みに入ってしまい、そのまま隣のテナントである「MIYASHITA」という洋食屋さんに入った。
さすが表参道ヒルズということだけあり、テナント料が高いのだろう。このお店もなかなか高料金だった。確かに雰囲気もいいし、味もおいしいのだが、洋食屋という名前ながら、その実はレストランのようで、最初にドリンクメニューが出てきた。
こうなると何か頼まざるを得ない(^^; ミニトマトのジュースをいただいた。これが甘くて驚いた。おいしかった。
料理の方は、スープが「粒入り とろりコーンスープ」、前菜は「今日のサラダ」、メインディッシュは「和牛ホホ肉のデミグラス煮込み」と「土鍋で熱々 和牛ハンバーグ」。
いずれもおいしかった。サラダはホタテに似た貝のサラダだったが、名前は忘れた。これもとてもおいしかった。この店は肉、魚、野菜それぞれに気を遣っているのがわかるメニューだった。
ただ、ミネラルウォーターの注文(炭酸の有り無し)も聞かれ、しっかり料金を取られる。このお店で食事をされる際は、あらかじめ予算に余裕を持って出かけることをお勧めする。
ラーメンのつもりがしっかりした食事になり、十分すぎるほどの腹ごしらえの後、いざ会場へ。
実はこの日は上にタンクトップの上にニットを重ねたものを着ていたのだが、これがちょうどお腹の上に紐があって、妙にお腹が目立つデザインだった。
マサノリに開口一番「なにそれ。おばさん、何ヶ月ですか?」
と言われてしまったが、んーっ、失敗だったかも。しかも暑いし(--;
会場に入る前にグッズ売り場でマサノリがいろいろ購入。その後入場前に数名の方々にご挨拶。
入場してみると、さすが最終日だけあって、近くの席にも顔見知りの方々がいらっしゃった。
そしていよいよコンサート。このステージを、この目にしっかり焼き付けようと、例によって「時のないホテル」までは時間を追えたが、やはりその後は少しぼやける。ならば何も考えず、この美しい世界に没入することにした。
さすがに最終日。空中ブランコでは最後にネットの上に全メンバーがズラッと並んで挨拶したときにはジーンとした。何しろ今回の空中ブランコはその場で組み立てる上、距離も短すぎるので、大変だったと思う。途中あちこちの会場で何かしらあったようだが、それでも最後にピシッと決まったのは、本当によかった。
そして最後のカーテンコール。デデューともつれ合うように出てくるユーミン。正隆さんの胴上げ。感動的だった。
帰宅後、いろいろ情報を集め、セットリストを眺め、さらに「人魚姫の夢」のプロモーションDVDを見ながら復習。ようやく私なりのストーリーがつながった。
11月のWOWOWで再びこの世界に会えるのが楽しみだ。
そうそう。20日のニュースで、シンクロの武田三保さんが8日に結婚していたことが報道された。東京公演初日の前日に入籍されたのね。
おめでとうございます。
9月9日、シャングリラIII東京公演に行ってきた。
久しぶりのお出かけなので、そわそわしていたところ、少し早めに出て食事をしていこうかということになった。
で、行ったのが料理の鉄人に出ていた陳建一さんの一番弟子が料理長をしているszechwan restaurant 陳だ。渋谷 セルリアンタワー東急ホテルの中にある。
頼んだ料理は「豚スペアリブの香り揚げ」と「豚バラ肉の特製やわらか蒸し」、「陳健一の"担々麺"」だ。肉ばかりでしつこいかなと思ったが、スペアリブは随分と脂を落としてある上にやわらかく、バラ肉の方は、とってもやわらかい肉がカボチャで挟んであってとても食べやすかった。最後の陳健一の"担々麺"は、しょうゆの味が効いている、和風な担々麺で、店のつくりはシャレているが、料理はお年寄りの口にも合いそうな感じだった。
このお店はマサノリが前からチェックしていたようで、いつもは道に迷いがちな彼が、真っ直ぐに行ったのが面白かった。
おいしい料理を食べてゴキゲンになったところで代々木の会場へ。
外のグッズ売り場では『人魚姫の夢』を会場特典(特製クリアファイル)付きで販売していた。心が動いたが、そのまま入場。そうしたら中でも売っていた。外の売り場は並んでいたが、中はすぐ買える。これはいいということで、ここで購入した。
『人魚姫の夢』については発売日にマサノリが購入してきており、そのときに居間の大きなモニターにDVDを映しながら聴いたが、デデューの演技が美しく、曲の終わりには涙が出てきそうになった。
そしていよいよ久しぶりのシャングリラIII。いつもながらあちこち回っている間にステージも進化していた。今回は2階スタンド席からだったが、あのステージの変化やデデューの動きもよく見えて、これはこれで大満足。こういうステージは色々な角度から見るのがいいわね。
演出では上から大きな風船が落ちてくるようになった。これにはマサノリが大はしゃぎ。他の人たちも次々落ちてくる風船にさわろうと、はしゃいでいた。
終演後は階段を上って細い通路から退場したのだが、あまりの混雑にマサノリとはぐれてしまった。出口で待ってくれているものと思っていたら、いない。しばらくあたりを探したがやはりいないので、半分諦めながら原宿駅に向かっているところで知り合いに遭遇したが、「マサノリどこ?」状態の私は余裕がなく、「こんばんは」だけで失礼してしまった。あとで「なんだかお疲れのようだったので心配した」とおっしゃっていただき、恐縮。本当に、ごめんなさい。
トボトボと帰宅したら、マサノリは既に帰っていた。
実はその前に結構長い喧嘩をしてようやく仲直りをしたところだったので、再び嫌な感じになるのは勘弁と思い、何事もなかったようにしていたところ、
「何で引っかかってたの?
出口で待っていたのにいつまでたっても出てこないから、
子供じゃないし、帰ってこられるだろうと思って帰ってきた」
と、ひとこと小言をいただいて一件落着。ホッとした。
私も探したんだけどねぇ(^^;
いよいよ明日は最終日。シャングリラIIIの世界をしっかり目に焼きつけてこようと思う。それから、今度ははぐれないようにしないとね(^^)。
谷崎関係の本をいろいろ検索していたら、『文豪ナビ 谷崎潤一郎』というのを見つけた。どうやら新潮社が自分のところで出している文庫本の売上げを伸ばそうと出しているもののようだが(^^) どんなことが書いてあるのかちょっと興味が湧いたので、本屋さんで見て購入した。
まず表紙だが、ご覧のとおり、すごいタイトルがついている。
「妖しい心を呼びさます」と書いてあるが、そっかぁ? まぁ、人によっては自分の隠れた部分を呼び覚まされることもあるかもしれないが、こう書かれると、誤解する人もいるかもしれない。
谷崎の作品は、確かにかなりアブナいものもあるが、「用の美」は持たない(^O^)ので、あらぬ期待をもって読まれるとガッカリする人もいるかもしれない。
採り上げられている小説は、『刺青』、『痴人の愛』、『春琴抄』、『卍』、『猫と庄造と二人のおんな』、『蓼喰う虫』、『鍵』、『瘋癲老人日記』、『細雪』で、いずれも新潮文庫に入っている。
表紙を開くと、そのうちの3つの作品について、それぞれをイメージした写真の中に作品中の一文が書かれ、その作品について触れられているページへのナビゲーションがついている。
いきなり出てくるのが『卍』。女性の下着がテーブルの上にたくさん並べられ、写真立てにはボンデージ。おーい(^^; まぁ、下着はわからなくもないけど、ボンデージはどうかなぁ。
この作品を私が最初に知ったのは、高田美和と三浦真弓主演でやっていた昼メロでだ。内容は10代の子供にはいささか刺激が強かったが、その関西弁がなんだかいい感じでねぇ。
本を買って読んだのは随分大人になってからだったが、猜疑心の塊になりそうなその内容に、読み終わったときには頭が痛くなったのを覚えている。つい最近読んだ『捨てられる迄』の系列にある傑作かもしれない。谷崎潤一郎おすすめコースというページには、「男女の三角関係も、谷崎のは半端じゃない! いちばんスゴイのが「卍」。良家の夫人が同性愛にはまってしまって、さらにはその夫まで……。」と書かれている。
次に出てくるのが『痴人の愛』。写真は水槽の中の魚を眺めている男性。なるほどねぇ。
最後に『細雪』なのだが、これが道頓堀極楽商店街入り口の恵比寿さん? 大黒さん?微妙(^^; 鯛があるから恵比寿さんかな。激しく違和感だけど……、そっか、鯛か。
その後に「目次」、「早わかり!谷崎作品ナビ」、「10分で読む「要約」谷崎潤一郎」、「声に出して読みたい谷崎潤一郎」、「私、谷崎のファンです」、「評伝 谷崎潤一郎」と続く。
最初はセンセーショナルに、中盤はわかりやすく、最後に国文学者による詳しい解説という流れだ。
要約がすごい。「あらすじ」ではありません! と書いてあるだけあって、その作品のエッセンスをギュッとまとめた見事なものだ。『痴人の愛』『細雪』『鍵』という長編をあっという間に読める。
声に出して読みたい谷崎潤一郎もいい。谷崎の美しい文章を体験できる。
そして何よりいいのが、「私、谷崎のファンです」だ。本上まなみと桐野夏生がエッセイを書いているのだが、特に本上まなみの文章が最高だ。めちゃくちゃわかりやすくて親近感がある。あんまり感激したので、その一部を引用する。
ひとつ好きになると他の作品も気になる、いくつか読んでいくうちに作者に対する興味が芽生える、小説からエッセイ(随筆)にも興味が沸いてくる、作家の周囲にいた人たちの発言も知りたくなる……。そう、たとえばミュージシャンのファンになって、一枚一枚CDを買ってゆくのとおんなじように。
そうやって私は谷崎ファンになりました。紀行文のような『吉野葛』に旅を夢みて、『痴人の愛』の男にいらいらし、『刺青』の世界に怖がって、『鍵』はエッチくさかったのでこそこそ読んで……。
『新潮日本文学アルバム』なんて本も入手して身辺も探ってみました。
まるで私を見ているようだ。もっとも、私は彼女のような飄々とした文章は書けないけど(^^; こんなに飄々と、しかもしっかりと的を射る文章をこんな短いページ数でまとめることができるなんて、本上まなみはもとから結構好きだったけど、ますますファンになってしまった。
2015-09-30
当時は『細雪』の恵比須様に大変違和感を持ったものですが、その後調べていくうちに、恵比須様こそが、『細雪』の主人公であることに気づきました。しかも恵比須様は何人もいます。洋行から帰った人とか。つまり、妙子の周りにいる人は皆恵比須様なのです(奥畑の啓ぼんは別ですが、途中から変化(本当は別の人だけれども、見た目が啓ぼん?)しています。ここには貞之助の存在が)。私は貞之助は芦屋神社の御祭神の天穂日命(一時饒速日命と混同しましたが、谷崎が饒速日命を大歳神社の主祭神である大歳神(大歳尊)と同一だとする説を採用していたとしたら、やはり貞之助は饒速日命になります。このあたりはまだ、私自身整理が必要です。)、土地の古老が塩土老翁と思っています。
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ニギハヤヒ
アメノホヒ
先日、仕事で都内に出た帰りに神保町の八木書店古書部に行ってきた。
国語国文学専門古書店は、いままでは水道橋の日本書房の方を多く利用してきたのだが、さすが八木書店、品揃えが全然違う。ただし、お値段は総じて日本書房より高めだ。
リンク先にあるように、両書店ともネット販売もしている。だが、図書室の書架の中にいるような店内で本をじっくり選ぶ時間というのは、心が落ち着き、とても贅沢だ。また、検索では目に入らないような、存在を知らなかった本をこういうところで発見することもできる。
ある講演で、「知りたいと思わなかったことを知ることができる喜び」ということを言っていた人がいた。これは雑誌のことを言っていたのだが、本屋さんで本を探すということも、この喜びにつながる。それが、興味のある分野のさまざまな本があるところならなおさらだ。
もっとも、今回購入したのは、谷崎終平著『懐しき人々』─兄潤一郎とその周辺という本なのだが、平成元年と比較的新しいこと、それから今注目を集めている資料ということで、Amazonにも出品されている。なので、何も八木書店で購入することもなかったのだが(^^;(しかも値段も八木書店の4分の1以下で購入できる。後で知って大ショック(T_T)。)この本は、瀬戸内寂聴が『つれなかりせばなかなかに』を書くきっかけになった証言の入っているものなので、注目度が高いのだ。
それでも、この本を購入して持ち帰るときの贅沢な気持ちと言ったら。数字では得られない喜びがある。その喜びを増幅させるものに、包装紙がある。写真を見ていただければわかると思うが、これで包まれると、まるで高級な和菓子のようで、満足感を倍加させるのだ。
次に八木書店に行くときには、事前にいろいろ調べて目星をつけたうえで、さらにその場でいろいろ探そうと思う。
さて、この本の中身だが、書かれたときの終平さんの年齢もあるのか、取り留めのなさが目立ち、若干読みにくいのだが、さすがに谷崎の転換期に一番近くにいた兄弟ということで、貴重な証言がかなり含まれる。和田青年のこともその一つだ(和田青年については、終平さんにとって都合の悪いことは省かれている感があるが、終平さんの複雑な気持ちが図らずも出ているようで興味深い。)。
千代夫人の兄、小林倉三郎氏のことも少し触れられていた。「学歴は小学校位しかないのに、随筆なども書ける、子供の様な感受性のある人柄で、『中央公論』に昭和の初め、二、三回書いている。」と書かれている。谷崎夫妻の離婚が決まったときに、谷崎と佐藤春夫で揮毫しているのだが、それがどうして書かれたのかも少しわかった。
小林氏の書いた随筆の中に『お千代の兄より』というのがあるのだが、その一部が野村尚吾著『伝記 谷崎潤一郎』に引用されている。何度読んでも泣けてくるので、かなり長いがここに引用する。
その翌夜は量(酒)を大分増したようでした。私は両氏が飲んでいる間に飯をすませ、湯に入りました。谷崎氏の『鮎子ッ』と呼ぶ甲ン高い声を一寸耳にしましたが、気にも留めませんでした。湯から出て、とッつきの鮎子の書斎へ何気なしに這入ると、そこにかなしい場面を見せられました。声も立てずに泣いている鮎子の背を、これも泣いている佐藤氏が抱えるようにして、静かに撫でていました。いつも食堂を其のまま会議室にあてる十畳の客間では、お千代が泣いていました。谷崎氏は浴衣を肌脱ぎになって、両手を腹へあてて、口を結んで一寸上向きかげんに、大股に静かにそこの廊下を行きつもどりつしていました。涙が光っていました。私は堪らなくなって座をはずしてしまいました。
暫くする谷崎氏の鮎子を呼ぶ声がするので鮎子の書斎を覗くと『ハイ』と涙をふきながら呼ばれた方へ行く鮎子の姿を見ました。『お父さんの書斎へ短冊と硯があるから持って来なさい』私がたのんだ短冊を揮毫する用意でした。鮎子が立つと佐藤氏も元の十畳の室へ谷崎氏と入違いに戻って食卓にうつぶせに尚泣いていました。
『君よいのかい? 若し何なら僕書斎で書いてもよいよ』と隣室からのぞくようにして谷崎氏が声を掛けました。
『もうよろしい、もう大丈夫だ、ここで書き給え』と云って顔をあげた所へ、鮎子が言いつけられた通りの物を持って来ました。最早泣顔をすっかり機嫌よくして其の場を取りつくろうものの如く、平常よりハキハキしていました。鮎子に元気づけられて皆んな涙を納めました。鮎子が一生懸命に墨をすり、両氏は食卓に相対して書き始めました。『僕の字は出鱈目だから少し酔った位の方がよろしい』などと幾分佐藤氏も元気づいて来ました。
『この短冊はみんな平民の手に渡るのだから、只春夫と書くけれど、鮎子に書くなら臣春夫としなければならない。小父さん鮎子の家来だから』と云ったので、お千代も漸く笑顔を見せました。前々日神戸へ一同と出た時、佐藤氏が鮎子の洋服を買ったのですが、それに相応しい帽子が欲しいそうでそれを云うと佐藤氏は草人(上山)の声色で『アー小父さん帽子でも何でも買ってやるです』という尾について、同じ句調で谷崎氏が『あーピアノも買ってやるです』と云った。そのアクセントが非常におかしかったので、皆んな笑いこけました。今までのしめっぽい空気が一掃されると急にはしゃぎ出して、それからは二人して警句の連発でした。感傷的になりたがる気持を強いて勢づける気の弱さがよく分りました。両氏とも強がっているけれど、真は弱い人達なのだと思いました。そのうちに短冊の揮毫を終りました。揮毫されたうちにこんなのがありました。
つのくにの長柄の橋のなかなかに渡りかねたるおもひ川かな 潤一郎
水かれし流れもあるを妹背川深き浅きは問ふ勿れゆめ 春夫
世の中は常なきものを妹背川なとか淵瀬をいとふべしやは 潤一郎
人妻の双のたもとは短しやあはれ 春夫