ふるだぬきさんお勧めの小谷野敦著『谷崎潤一郎伝─堂々たる人生』を読み終わった。
この本は、これまで松子夫人のフィルターに縛られてきた谷崎論を、なるべく松子夫人のフィルターから離れて、まず、詳細な年表を作りながら作家の人生を追体験するように書かれている。
帯には生誕120年と書かれていた。
実は、松子夫人存命中の生誕100年の頃、神保町で谷崎の資料を集めていた。今回この本を読んでみて、我ながらなかなかいい線の資料を集めたなと思ったが、その中でも、谷崎二番目の妻の友人だった高木治江著『谷崎家の思い出』は、松子夫人存命中の本でありながら谷崎の妻三人が登場し、しかも松子夫人のフィルターのかかっていない貴重な資料だったことを、今回改めて実感した。谷崎のビジネスに対する姿勢も『谷崎家の思い出』には十分描かれている。では、それ以外の本には松子夫人の実像は見えてこないのかというと、よく読んでみるとちらりと見えてくるものもある。どの本だったか忘れたが、谷崎の実の子鮎子さんと歩く松子夫人を形容しているシーンに小谷野氏がさかんに書いている松子夫人がいる。
『谷崎潤一郎伝──堂々たる人生』を手にとって最初に興味が行ったのが、やはり『蓼喰う虫』の第二の男性の存在だ。その存在についてはその286のときに初めて知ったのだが、これについてはまた後で書く。
それから、その287で触れている『少将滋幹の母』のモデルだが、これははっきりは書いていないが、この本を読んで、確信した。これについてもまた後で書く。
そうそう。最後の方に意外な人物の名前が出てきた。ピアニストの原智恵子さんだ。この人はキャンティの創業者の最初の奥さんだが、思わず目が止まった。姿といい性格といい、きっと好みだっただろうなぁ。
それにしても、『聞書谷崎潤一郎』の著者が松子夫人が故人になられた後に出された『秘本谷崎潤一郎』はやはり欲しいなぁ。それと、谷崎晩年の秘書である伊吹和子著『われよりほかに─谷崎潤一郎 最後の十二年』、これは講談社文芸文庫から出ているが、どうせなら1994年発行のものも欲しいなぁ。また神保町で探してこようかなぁ。
2006-08-27
翌日、水道橋の日本書房で1994年発行の『われよりほかに─谷崎潤一郎 最後の十二年』を発見。早速購入した。これについてもまた書きたいと思う。
Last Wendsdayツアーが代々木で終わった。残念ながら代々木は行けなかったが、さいたまには行ったので、今頃だが書いておきたいと思う。
7月27日、この日は都内で仕事をしていたため、そこから直行。マサノリとは別行動だった。
前々からこの日はこれを着ていこうと決めていたワンピースを着て出勤(このワンピース、10年前に購入したもので、かなり流行遅れだが、気に入っている。それにしてもよく入ったなぁ(^^;)。そのせいか、勤務先でもドタドタ歩いてはいけないと妙に意識して、それでいてちょっとハイ。ふくらはぎに負担がかかった。これが後に悲劇を呼ぶとは…。
終業後、急いで会場へ向かう途中、会場でお会いする約束をしていた人と上野駅で遭遇。これはラッキーだった。マサノリも会場でこの方にご挨拶するべく探したらしいが、結局会えなかったのだから。
会場についてから、関西からいらした印刷関係の友人に連絡。この方は大阪城ホールで今回のツアーを見て感激し、さいたまスーパーアリーナでのラストを見るべくいらしたのだ(結局ラストは代々木に持っていかれたのは残念)。すぐ近くにいたのになかなか見つけられず、どこやどこやと探すことしばし、お互いに携帯を耳に当てたまま、
「あ、いた」
ということでそこでご挨拶。しばらくお話した後、それぞれの席へ入場した。
席についてからまたご挨拶まわり。さすがラストの予定だっただけあって、みなさん勢ぞろいだ。隣の席にはマサノリが購入したらしい本が置いてあり、やはりマサノリもご挨拶まわりの様子。結局マサノリの顔を見たのは開演直前だった。
コンサートでは、途中歌詞が飛んでしまうというハプニングもあったが、客席を猛スピードで走っていくユーミンの姿が印象的だった。後で知ったことだが、この日ユーミンは熱中症だったそうで、その状態であのように動き回っていたとは…。
曲目ではハートブレイクなど、前回見たときと異なる曲もあり、感激した。
終演後は、さいたま新都心駅のさいたまスーパーアリーナの反対側にある映画館の近くのイタリア料理店で何か食べようと思ったら目の前で閉まってしまい、そのまま帰宅。そのお店はとってもおいしくて気に入っているので、久しぶりに入りたかったのに本当に残念。
仕方がないので、途中コンビニで食材を購入。土用の丑の日にうなぎを買ったときにおまけで付いて来た氷結の試飲缶を飲みながら、コンサートの余韻に浸った。
ここのところずっとパソコンの前にいることが多かったので、そういう時間は久しぶりだったなぁ。
とはいっても、この日も締め切りの近い仕事があり、さて仕事とパソコンの前に行ったのだが、久しぶりのアルコールにすっかり力が抜け、仕事にならない。仮眠してからと思って床についたら、夜中、足に激痛が…。
こむらがえりだった。
普通ならすぐ収まるのにこの日は両足に次々と襲ってきてなかなか収まらず、マサノリも筋肉痛用の液状の薬を持ってきてくれたがどうにもならず、結局なんとか歩いて水とスポーツドリンクを摂取。ようやく収まった後熟睡したら結局寝坊してしまった(^^;
私たちのLast Wendsdayツアーは、こうして幕を閉じた。
誕生日の週の金曜日、預かり物の機械の搬出作業があった。
朝9時からの搬出のため、前日の夜から徹夜で片付けた。作業終了後、すっかり汗だくになったのでシャワーを浴び一眠りした後、ハイな気分で毎週金曜日に日課になっているリラクゼーションに行くつもりでいたら、マサノリに
「医者に行った方がいいんじゃないの?
その声は何とかした方がいいと思うけど」
と言われた。もっともなことなので、早速お医者に行って体温を測ったら、38度(@_@ この週はずっと暑くて暑くてしょうがなかったのだけど、これって熱だったんだと確認。いやぁ、本当に医者に行ってよかった(^^;
結局喉がはれているし熱もそこからだろうということで、抗生物質を点滴。薬を5日分処方されて帰ってきた。やはりお医者に行くと治りが早いね。一時はほとんど出なくなっていた声が、翌週は急速に戻ってきたもの。
帰宅後仕事部屋に入ってみれば、今までなかった余白が(^^) これがなんとも気持ちがいい。衣装ケースの中と上に積みあがっている本を収納する本棚が必要だなと思いつつ、まだこの引越し後の状態を維持していたい気持ちもあったりする。
で、この余白を見ながらふと思った。昨年の年末からなんだかんだ追いまくられていて精神的に余裕がなかったなぁと。でも、週に3日ほど外に出るようになって、その日だけは朝晩に余白を作るようにしているためか、一時よりは気持ちに余裕が出来るようになった。もっとも晩の余白は当然マサノリは気に入らず、なぜもっと早く帰ってこないとお冠なのだが、今の私にはとっても必要な時間なの。許して。
そうそう。いよいよ木曜日はさいたま。この日は夕方の余白は必要ない。さいたまスーパーアリーナで大きなリフレッシュタイムが待っているもの。
マサノリに「ケーキは買ってこなかったの?」と聞かれたので、翌日買って来た。
前回の日記に書かなかったが、マサノリがこれを言ったとき、私はお寿司を食べ終わったところだった。帰ってきたときに、「あんたにはお寿司があるよ」と言われたのだ。それは1人前のパックのものだったが、どうやらこれが私の誕生日への、生ものが苦手なマサノリの心づくしだったようだ。そのことに翌日になって気づく私。やはり15年以上にもなると(^^;
ということで、翌日ケーキを買ってきたわけだが、ケーキを買うにも、マサノリはそこら辺のものでは食べてくれない。だいたいメーカーは決まっている。その中でも特に好きなのが、トップスのチョコレートケーキだ。
ユーミンお勧めのケーキとしても有名だ。
このケーキは、結婚した頃マサノリがよく買ってきた。その頃地元で買えるのは大宮駅の東口のデパートだけだったため、買ってくるのはひたすらマサノリだったが、今はエキナカにもあるので、仕事帰りに買うにも便利だ。
で、買ってきたのはいいのだが、私の体調があまりよくない。夕食後、ケーキを食べる気にならないのだ。自分が食べる気にならないものだから出さない(^^;
翌日の夜も出さなかった。
これにはマサノリも業を煮やして、さらに翌日、自分で冷蔵庫から取り出し、「ドン!」と箱ごとテーブルの上に置いた。ここまでされたら切らないわけには行かない。
さっそく人数分切り分けた。
おいしかった。トップスのチョコレートケーキはさっぱりしているのでおなかに堪えないのはわかっていたのになぜこんなに待たせてしまったのだろうと思った。
とうとう四十代もど真ん中に来てしまった。四捨五入したら半世紀ちゃん(四捨五入するなよ)。まあ、目の前にリアルで半世紀ちゃんがいるのでそんなに怖くはないけど、若干複雑ではある。
なのだが、その誕生日、あいにく風邪のピークに当ってしまったようだ。先週の木曜日に帰宅後ほぼ徹夜で仕事して、明け方朦朧とした頭でベッドに倒れこんだら、クーラーが付けっぱなしだったの(;_;)。金曜日の朝はもう喉が痛くて痛くて…。その後直ぐに医者に行けばよかったのだけど、仕事が切羽詰ってたのでいかず、そのまま誕生日を迎えてしまったのだ。
で、その重い体を抱えて帰宅後、夕食が終わって一心地ついているところに一言。
「ケーキは買ってこなかったの?」
結婚して15年以上たつとこうなるのね(^^;
ま、誕生日を覚えてくれていただけでもよしとしよう。