谷崎潤一郎著『蓼喰う虫』を久しぶりに読んだ。
この作品は、昭和3年12月から4年6月にかけて、大阪毎日新聞、東京日日新聞で発表された。円本景気で生活の心配のない中、本人が、特に構想も考えずに、それでもきちんとまとまる自信があったと書いている、特別思い入れのある作品だ。
この作品の書かれた時期は、千代夫人との離婚を目前に控えた時期でもある。この作品には、その当時の家族の心持が色濃く反映されている。
大正10年の小田原事件で佐藤春夫との約束を反故にして以来佐藤春夫とは絶交していたため、千代夫人を譲るかどうかの話はこのときはされていなかったらしいが、昭和5年の細君譲渡事件からの大騒動を見事に予測しているところがすごい。
でも、佐藤春夫、谷崎潤一郎双方から小田原事件以来いろいろな作品が発表され、しかも、この作品ではどうやって奥方をすんなりと相手方に縁付くようにするか苦慮している過程まで書かれているのにもかかわらず千代夫人がバッシングを受けるはめになり、さらにあろうことか娘の鮎子さんが学校を退学させられることになるなんて、まったくどうしたことだろう。連名の挨拶状の次のような追伸のために谷崎潤一郎に同情が集まってしまったことが大きいことは想像に難くない。
尚小生は当分旅行致す可く不在中留守宅は春夫一家に託し候間この旨申し添へ候
谷崎潤一郎
さてこの作品だが、そういう離婚直前の家族の心の動きから始まっているが、それだけでは終わらない。妻の父親が若い妾と暮らしているという設定なのだが、そのお久という女性について、主人公がはじめのうちは人形みたいで興味を持たなかったのがだんだん惹かれて行く様が記されてくる。そして、それまでの洋風趣味の好みから和風の趣味へ変わっていく過程が無理なく描かれ、結果として作家としてのそれまでの総決算とこれからの方向性を示している。
この作品を読み終わったとき、「これで老人が後に『少将滋幹の母』の藤原国経になるのね」と思った。
前回に続いて『夢の浮橋』の背景を探った。今回のテーマは「母」。
予告の通り、「「異端者の悲しみ」の家」という章にヒントを見つけた。
『異端者の悲しみ』という作品は、谷崎には珍しい自伝的小説だ。谷崎一家が親子とも最も苦難を味わった時期のことを書いている。それは、神保町の家に住んでいた頃のことだ。この家に移ってまもなく妹の一人が肺病で亡くなり、谷崎自身は失恋や貧苦で神経衰弱になり、いよいよ生活に困って一時は秋田県の出版社に勤めることに決めたが、ちょうどその頃『刺青』が認められて、秋田行きを中止した、そんな波乱に満ちた家だった。
この章ではその『異端者の悲しみ』のはしがきを引いている。この作品を発表した大正6年5月に母が亡くなったことが書かれているのだが、『夢の浮橋』を読んだ者にはドキッとするような一文がある。その個所をそのまま引用すると、
「今年の四月中旬、予が覚えてから煩ったことのない頑健な母は、不幸にして丹毒に冒されたが、一週間ほどで快方に向かい、医者は勿論、誰も彼も近々に全癒する事を疑わなかった。五月上旬になって、予は某雑誌社との執筆の約を果たす為めに、伊香保へ二十日ばかり籠居する積りで出掛けて行った。その留守中の十四日に、母は突然心臓麻痺で死んだのである。同日の朝、危篤と云う電報を千明仁泉亭で受け取った予は、即座に山を下って、六時間を絶え間なく電車と汽車とに揺られて、夕刻日本橋の父の家へ着いた。しかし、母はもう、午後の一時から死んで居た。予が、旅装を解く隙もなく冷めたい骸に近づいて、面を掩うた手拭を払って見ると、あの醜い丹毒の跡は名残なく取れて、その昔、刷り物に出た娘番附の大関に数えられ、生前度々、予が姉ではないかと人に訝しまれた美しい母親の顔は、白蝋の如く晴れ晴れとして浄らかであった」
と書かれている。千代夫人は毎日看病に通っていた。
『夢の浮橋』の澤子って、瓜実顔なのよねぇ…
作品のパターンとしては『春琴抄』と同じだと思うので問題はないはずだが、作家としては物語として色々なことを考えるのだろう。こんなに後になってあんなことを書くところに、何ともねぇ…。そりゃ谷崎の母が亡くなった後の千代夫人はたまったもんじゃないわよ。
それにしてもこのあっけない亡くなり方と死に顔の美しさが、後の作品に影響したことは明らかだ。他の母恋い物はもちろんのこと、松子夫人に惹かれることになったのも、母の面影を見ていたからなのではないかと思える。
『夢の浮橋』の背景を、もう少し調べたくて、標題の本を久しぶりに手に取った。西神田の出版社に勤めていた頃、よく神田の古書店街に行って谷崎関係の本を探していたのだが、そのときに購入したものだ。
奥付を見ると、昭和48年2月25日初版発行となっている。30年以上も前に発行された本だ。八木書店が掛けたのだろうか、ビニールのカバーがしっかりかかっているため、本のカバーも帯もほとんど傷みがない。中も多少赤茶けてきてはいるが、きれいなものだ。それでも600円という価格が時代を感じさせる。
中を開くと、活字がところどころ左右にずれていて、「ああ、活版だ」と、これまたなんとなく懐かしく感じる。ちょっと調べてみたら、今現在古書店で大体1000円から1500円位で売っているようだ。
著者の野村尚吾という人は毎日新聞社出版編集部に勤めて谷崎担当になったことからこの本を執筆したらしいが、谷崎関係の論文には必ず出てくる貴重な資料の1つだ。他にも『伝記谷崎潤一郎』という本も書かれているが、こちらも持っているので、また引っ張り出して読もうと思っている。
さて、この本だが、帯を見ると「文豪に親しく師事した著者が谷崎文学の源泉を求めてその生涯と作品のゆかりの地を訪ね、成立経緯を明かす独自の資料」となっているが、中に、「「夢の浮橋」と潺湲亭」という章がある。で、まずそこから読み始めた。だが、そこに書かれているのは初めての全面口述筆記の作品であることと、後の潺湲亭の様子がそのまま舞台になっていることがほとんどで、肝心の作品の内容についてのコメントはたったの1段落しか書かれていない。他の作品に比べてこのあっさり加減は少し奇異に感じるくらいだ。
そこで、他のページをめくっていくと、なかなか興味深いことが見えてきた。
最初に目についたのが、「血縁の地・近江路」という章だ。谷崎は、『盲目物語』という作品でお市の方のことを書いているのだが、その取材に行った近江の地でにあった資料に、「谷崎忠右衛門」という人物を見つけた。かねてから、「江戸ッ児の多くは、近江、伊勢、三河の国の出身であるから、私の家も多分は江州商人の子孫であると考えて間違いはあるまい」と見当をつけていたのだそうだ。ここで著者は、『春琴抄』の佐助が江州日野の出身であることについて、故なき設定ではないようだと書いている。
『夢の浮橋』では、乳母の出身地が近江の国長浜である。さらに、冒頭に出てくる和歌を書くために、いずれかの母がわざわざ越前武生から墨流しの紙を取り寄せているということを乳母が話したというところがあるのだが、越前といえば北の庄。これは『夢の浮橋』を読み解く際に大いに意味があることに思える。
この後さらに「「異端者の悲しみ」の家」という章に、重要な鍵を見つけたのだが、これは次回に書くことにしたい。
岡本かの子著『食魔』を読んだ。この作品は、その279『夢の浮橋』のときに日本ペンクラブ電子文藝館で見つけた。青空文庫でも公開されている。
岡本かの子という人は、あの岡本太郎のお母さんだ。かなりエキセントリックな人で、子供は太郎の他に何人か産んだが、結局太郎だけが生き残ったという大変な生活をしたということでも知られている。
この作品の主人公鼈四郎のモデルは谷崎潤一郎だ。岡本かの子は、兄である大貫晶川の親友であった谷崎に恋をしたのだが、まったく相手にされず、それでも生涯谷崎のことを意識していたらしい。
食魔というのは谷崎の食に対する執着とその食べっぷりから付いたあだ名でもあるのだが、この作品で彼女は谷崎に対する複雑な感情をほとばしらせている。そのためか、谷崎の分身である主人公を書くことに集中するあまり、他の登場人物についてはあまり描き込まれず、なんだか不思議な仕上がりになっている。
この作品が書かれた昭和10年というのは、大正10年頃から昭和5年までの千代夫人との10年にわたる離婚問題が解決し、翌年2番目の妻をもらい、その人とも別れてようやく松子夫人との結婚が決まった頃に当たる。作品の舞台はその千代夫人との家庭だ。
そこで主人公が妻子とは別に一人で気に入ったように料理を作り、一人で食べているうちに自分の来し方を思うという設定だ。
昭和10年の頃の谷崎は、円本によってそれまで得たことのないお金を得て、作家としての生活も安定した時期を経験し(とは言っても経済的にはすぐ窮乏した)、昭和12年には帝国芸術院会員となるという時期に当たる。そして、西洋文化と東洋文化との間をさまよい、古典に回帰していった時期でもある。そのような時期に、この作品を書いたところに、苦学生時代の谷崎を知っている彼女の複雑な心理が見えてくる。
谷崎は彼女のことを「白粉をでこでこ塗って」どうのこうのといって、まったく興味を示さなかった。それどころか、そんな彼女と結婚した一平氏のことまで、「一平のような洒落者がなぜあんな白粉デコデコの女と結婚するのか」というようなことを言ったというエピソードさえある。それを思ってか主人公に、
「およそ和(あ)へものゝ和へ方は、女の化粧と同じで、できるだけ生地(きぢ)の新鮮味を損はないやうにしなければならぬ。掻き交ぜ過ぎた和へものはお白粉を、塗りたくつた顔と同じで気韻は生動しない。」
と言わせている。さらに、谷崎の作品に出てくる天蓋付きのベッドの話が出てきたり、その174で書いた『人面疽』の原型と思われる話も出てくる。
たぶん、千代夫人から松子夫人までのいろいろなことやその間の作品のすべてをその大きな瞳でジッと見つめてきたのだろう。
作品には明らかに岡本夫妻がモデルと思われる人物まで登場する。この奥さんが言ったこと(つまり岡本かの子自身が言ったこと)が主人公を優しい気持ちにさせるところで、この作品は終わっている。すごいゾ(^^;
それにしてもこの短い作品のなかで、よくぞここまで書き込めたと思えるくらい谷崎の半生を書き込んでいる(もちろんそのままではない)。
ただ、谷崎は子供の頃神童と言われていたのだが、それについては記憶力がいいだけと書き、さらには主人公には学歴コンプレックスがあるとまで書いている。
谷崎は帝大を中退しているのだが、金銭的に苦労したため、確かに思うように学業に専念できなかったところはある。また、五感を重視した作風に対しては世間から「谷崎には思想がない」と言われていたことも頭にあるのか、随分とみくびった書き方をしている。
そういう点はあるのだが、そういうところを割り引いても、読んだ後、なぜか案外谷崎を正確に表現しているのかもしれないと思えた。
奥田英朗著『ララピポ』を読んだ。マサノリに勧められて手にとってみたが、「ララピポ」と実に可愛らしい音感と可愛らしい書体に少し胸をはずませて読み始めた。
が、読んでいくうちになんだか雲行きが怪しくなってきた。いくつかの短編でできていて、1つの作品で出てきた脇役が次の作品の主役になり、またその脇役が次の主役になるというリレー型になっているのだが、どの主役も同じような経過をたどる。いずれもとっても地味な人たちだ。こうなってくると、「ララピポ」というタイトルが急に壊れて見えてくる。この素っ頓狂な響きが狂気をイメージさせてくる。この作品を書いている間のこの作家は相当暗い、残酷な、そして狂気を帯びた表情をしていたのではないだろうか。かなりネガティブな心理状態だったに違いない。そう思えてくる。
それなのに、次々と読み続けていかなくてはいられないこの心理は一体何なのだろう。ごくごく普通の人間に仕掛けられた運命の落とし穴を見せられることへの恐怖と不安、そして好奇心だろうか。
「ララピポ」の意味は、最後の小説でわかる。「なるほどねぇ」である。
この単行本は、ぜひ最初から最後まで続けて読むことをお勧めする。もっとも、続けて読まざるを得ないほど魔力のある作品だから、それは余計な心配というものだろう。