ラブレターズ

その480(2012.10.21)谷崎作品とギリシャ神話

谷崎潤一郎研究会は、まだ野澤和男氏による『阪神大水害史からみた「細雪」山津波の件の一考察』が残っているのだが、その後もいろいろ思いついたことをつぶやいているうちに、谷崎文学とギリシャ神話の関係について少しまとまったので、ここで書いておきたいと思う。

谷崎作品とギリシャ神話でまず浮かぶのは『瘋癲老人日記』だが、実は琴が登場する時点ですでにギリシャ神話も含められていたということにようやく気付いた。それについてのつぶやきを、『瘋癲老人日記』や神仏との関連についても含めて時系列で書き出してみると、次のようになる。

○『瘋癲老人日記』。珊瑚の件も、やはりギリシャ神話の方がわかりやすくストーリーに関係してるわね。 https://t.co/Pa7CBQy とにかく「颯子」が「春久」と見に行く映画は全部チェックしないと。それから「颯子」の吸う煙草の「クール」ね。これはミントのお話。
posted at 15:34:11

○『瘋癲老人日記』。谷崎作品の系譜から県犬養橘三千代や、彼女が産んだ子孫を除くと、紀氏、石川氏が残るんだ。入れ歯のシーンでは、颯子がクールという煙草の中に封じ込まれてしまうが(ギリシャ神話由来)、果たして結末は。老人の中に最後に残っているのが芥川であることは確かなのだけれども。
posted at 14:37:38

○『春琴抄』。しげ女は春琴の失明に際して、「天を恨み人を憎ん」だ。そしてしげ女は橋姫になる。そこから始まる複雑な感情のもつれが最終的に解決できたのが、「私」が照女と会話した時だったのだろう。 / “橋姫 - Wikipedia” https://t.co/9JJWlsMa
posted at 12:30:02

○谷崎潤一郎著『春琴抄』等。ようやく琴曲指南と三味線指南の区別が明確に。琴は天照大神、三味線は天鈿女命。ギリシャ神話は『瘋癲老人日記』でと思ったら、かなり前からだったのね。オルフェウスも誰だかわかる。 / “こと座ギリシア神話” https://t.co/kDnDpf01
posted at 23:12:23

○さらに先ほどのサイトでの記述から、『猫と庄造と二人のをんな』の品子がどういう存在かもわかることになる。 “この琴はもともとヘルメス神が波打ちぎわで拾ったカメの甲羅に 七すじの糸をはって、音楽の神アポロンに贈ったものでした。”
posted at 23:17:52

○谷崎作品の中では、天照大神=瀬織津姫=橋姫であり、天鈿女命=吉祥天だ。
posted at 23:49:18

○久しぶりに開いてみて、谷崎作品を理解するうえで無駄なことは一つも書かれていないということを実感した。伯母に対しての親類の蔭口でさえ意味がある。 谷崎 潤一郎 の 幼少時代 (岩波文庫) を Amazon でチェック! https://t.co/Hn4WHi37 @さんから
posted at 14:47:40

○谷崎作品ではよくあることだけれども、読者が読み飛ばしてしまうようなところに、大切な意味があったりする。『幼少時代』の「お神楽と茶番」の内容もその一つだろう。必要があってパラパラめくっていたら、『蘆刈』と『夢の浮橋』の系図を作った時に書き入れた神様の話が書かれていた。
posted at 03:35:18

○『幼少時代』。野川先生が岡山出身であることが書かれている。その名前の文字の話から進んで、谷崎の「潤」の字は「大学」の一節から来ているのではないかと書かれている。名付け親については両親に聞かずじまいだったのに、なぜそう思ったのだろう。『春琴抄』には「大学」の一節が使われている。
posted at 23:55:45

○以前つぶやいたもの。春琴は「春鶯囀」で大学の一節を織り込み、天鼓と共に誰かに訴えている。黄鳥だって止まるところを知るのにそれができないのは鳥にも劣ると。この時の春琴の中身は明らかに春松検校だ。ならばということか「照女」は雲雀の籠を開け、雲雀が飛び立ち、春琴は脚気になって亡くなる。
posted at 00:03:17

ちなみに『瘋癲老人日記』では、颯子が春久と一緒に映画「黒いオルフェ」を見に行っている。これにより、春久が『春琴抄』の登場人物では誰に当たるのかが見えてくる。

『幼少時代』の「お神楽と茶番」で登場する『蘆刈』『夢の浮橋』に関連する神様は海幸彦と山幸彦なのだが、この「お神楽と茶番」には、乙巳の変を扱ったお神楽の話も出てきて、犬養連(いぬかいのむらじ。Wikipedia犬養部を参照)が登場する。

天照大神についてはさらに観音菩薩釈迦如来(『春琴抄』『瘋癲老人日記』由来)、吉祥天については地蔵菩薩勢至菩薩(こちらも『春琴抄』と『瘋癲老人日記』由来)が同一視されているのではないかとみているが、それについても引き続き調べていきたい。

『細雪』絡みでは、妙子が最初は人形を作っていたのが、裁縫に移ったところに意味があると思っている。さらに、ラストで妙子がどのように生まれ変わったか。これについてもつぶやいているので、ツイログをご覧いただければと思う。

その479(2012.08.09)第16回谷崎潤一郎研究会(2)

『猫と庄造と二人のおんな』3月24~25日、谷崎関係のことで神戸に行ってきた。そのことを4月に書いてから、早3ヵ月以上が過ぎてしまい、先月の谷崎の誕生日には残月祭にも行ってきた。残月祭のことも早く書きたいのだが、順番というものがあるので、今、ようやく谷崎潤一郎研究会の(2)を書いている。今回は、生江和哉氏による「『猫と庄造と二人のをんな』について~マゾヒズム、その可能性と不可能性~」について書こうと思う。

発表では、(おりん―庄造―リリー)や(品子―庄造―福子)といった複数の三角関係を中心に話が進められた。発表者は、物語の行く先として、品子と庄造がリリーを介して再びやり直す可能性について語られていた。それについては、千代夫人を後から取り戻そうとしていたのではないかという想像を私自身めぐらしたことがあり、ありえない話ではないように思う。しかし、その後この作品を読み直していったところ、どうもそう単純な話ではないように思えてきたので、そのことについて書いてみたいと思う。

ポイントとしては、

  1. 血液
  2. 見換え
  3. 出水
  4. 提灯
  5. 時間
  6. 『アヴェ・マリア』との関連

等が挙げられる。

1. 血液

庄造とリリーが夕食でのイチャツキをしていたとき、リリーがいきなり庄造の肩の上へ跳び上って、爪を立てているが、この時の記述は次のようになっている。

「ええい、降りんかいな!」
と、肩を揺す振ったり一方へ傾けたりするけれども、そうすると猶落ちまいとして爪を立てるので、しまいにはシャツにポタポタ血がにじんで来る。でも庄造は、
「無茶しよる。」
とボヤキながらも決して腹は立てないのである。リリーはそれをすっかり呑み込んでいるらしく、

谷崎作品では、比喩表現のように書きながら実はそれそのものということが結構ある。例えば『蘆刈』のお遊さまについての表現の「徳な人」とか、『春琴抄』のてる女についての「実体なところ」のように。それが『猫と庄造と二人のおんな』ではこのシーンになる。そう。リリーはそれをすっかり呑み込んでいるのだ(ここで庄造が「おりんかいな」と言っているところも気になるといえば気になる)。

この後、福子が怒り始めたところでリリーが外に出ていくのだが、その時にもまた血液絡みの出来事が起こる。

「蚊遣線香あれへんのか。」 つい鼻の先の板塀の裾から、蚊がワンワン云って縁側の方へ群がって来る。少し食い過ぎたと云う恰好でチャブ台の下にうずくまっていたリリーは、自分のことが問題になり出した頃こそこそと庭へ下りて、塀の下をくぐって、何処かへ行ってしまったのが、まるで遠慮でもしたようで可笑しかったが、鱈ふく御馳走になった後では、いつでも一遍すうっと姿を消すのであった。福子は黙って台所へ立って行って、渦巻の線香を探して来ると、それに火をつけてチャブ台の下へ入れてやった。

ここでの「蚊遣り線香」は殺虫まではせず、蚊を追い払うための線香を指していると思われる。

まだ呑み足りなかったようだ。それを庄造も承知していたのだろう。

次は、庄造が、洗濯をしていた「母親」に福子の紅い腰巻を見せるシーン。これを見て、母親はその腰巻を洗濯バケツの中に入れる。庄造は、母が福子の代わりに洗濯するに違いないと思っているように書かれているが、果たしてどうか。これはかなり重要なシーンだ。

発表でも、この作品では同じことを何度も言い換えることが指摘され、参加者からは庄造や作者の言っていることをそのまま信じていいのかという話があったが、この作品も『春琴抄』と同じように、それぞれの登場人物の立場からの考えを書きながら、話者自身がまた読者をミスリードしているところがある。

物語では、リリーの発する匂いについてもくどいくらいに書かれている。それほどまでに強調される匂いにはどのような意味があるのだろうか。研究会の時も、リリーは化け猫だと盛んに言っていた人がいたが、その通りだと思う。

2. 見換え

物語全体の流れを示すものとしては、冒頭の品子の手紙から福子自身の胸に堪えたこととして「猫に見換えられる」という言葉がある。これが腰巻のシーンに繋がっており、さらに、庄造の性質について述べている「土壇場でヒョイと寝返る」が、庄造が嫁姑の喧嘩から逃げるところからラストに繋がっている。それ以外にも、シーンごとのリリーや母親、福子、それに庄造自身についてもいろいろに見換えられているようだ。たとえば、品子のところに最初に連れて行かれた「リリー」は、どうみても亀にしか思えない。見換えには「時間」も影響しているようだが、これは最後の有馬温泉とセットになっているのかもしれない。

3. 出水

この作品は、出水があった後が舞台になっている。作品が発表されたのは昭和11年なので、この時の出水は『細雪』のシーンに使われたとされる阪神大水害ではない。

これについては次のような発見があった。

谷崎作品について、谷崎の親戚である小中村清矩の筋から調べていったところ本居宣長に行き着き、その流れで、ツイッターで足立巻一著『やちまた』を教えていただいた。まだ読んでいる途中だが、宣長の住んでいたところが魚町、『猫と庄造と二人のをんな』の舞台の一つに魚崎。そして『やちまた』には、和歌の短冊や文反故の貼られた、水に漬かった屏風が登場しているが、この屏風は『夢の浮橋』の重要な小道具として使われている。『やちまた』は宣長の息子や娘たちの話だが、読んでいくに従い、この登場人物たちが『春琴抄』の重要なモデルグループであることに気づかされる。

そこで、 本居宣長全集〈第20巻〉の「本居氏系圖」を見ていくと、興味深い名前が出てくる。それをちょっと抜き出してみると、

○照譽妙光大姉(母の諱が「春」、林譽寿貞法尼、唱阿大徳の前室、樹清大姉の姥、濱田氏)

・松風秀岩大姉(唱阿大徳叔母、日野町内藤庄兵衛某室)

・唱阿大徳(小津三郎右衛門)

・香譽樹清大姉(諱は通留、唱阿大徳女、母は妙光大姉)

・女子(諱は「ふく」、後に清に改む、香譽樹清大姉の妹、母は荒木氏)

・女子(諱は「りん」、繁譽香室榮昌法尼、香譽樹清大姉の妹、母は荒木氏)

・女子(諱は「きん」、寶譽貞室榮林法尼、香譽樹清大姉の妹、母は荒木氏)

照譽妙光大姉(唱阿大徳の最初の妻。通留さんの母であり姥でもある。)が『春琴抄』のしげ女やてる女、春琴の姉、『蘆刈』のお静や『夢の浮橋』のお兼、『瘋癲老人日記』の婆サン(靜晥院妙光日舜大姉)に投影されていると思われる。

上記の中の四姉妹は宣長の叔母たちだ。これが『細雪』と重なる。さらに諱に注目すると、川田順や武林無想庵の自伝に登場する名前である「ふく」さんと「きん」さんがいる。もちろん年齢的にいって川田順や武林無想庵と関わりのあった人たちとは別人だろうが、いろいろな人と関わったであろうこの人たちの回想の中で、なぜ「ふく」さんと「きん」さんという姉妹がことさらに取り上げられるのか、そして谷崎の生涯の中でも、初恋の人が「ふく」さん、千代夫人と別れた後、求婚しようとした偕楽園の女中さんが「きん」さんと、やはりことさらにこの二つの名前を重視している形跡があるのはなぜなのだろうか。谷崎作品の中に本居宣長という人物およびその周辺を埋め込むための操作だったのではないか。

あ、唱阿大徳の持仏が阿弥陀三尊だ! これは『瘋癲老人日記』につながる。

話がそれたが、この、「ふく」さんと「きん」さんの間に「りん」さんがいる。庄造の母が「おりん」だが、これは何を意味するのだろう。さらに系図を見ていけば、当然、初子さんもいる。なんと、宣長の祖母だ。その初子さんの姪が「ふく」さんで、なんと宣長の父の先妻なのだ。ちなみに「ふく」という諱は、宣長の曾祖母(唱阿大徳の母)から受け継いだものとのこと。これらを付き合わせていけば、この作品の人物関係についても何か見えてくるかもしれない。

出水については、そもそも品子が追い出された時に起きたのではないかと思われる。有馬温泉に話がまとまる前に、箕面の話が出たが、それに対して庄造は「こないだの水ですっくりやられてしもてん」と言っている。これは歌舞伎の「紅葉狩」を意識してはいないか。有馬でも結局紅葉狩りだ。

4. 提灯

有馬に行くには魚屋道を通って行くものと思われる。そうなれば、国粋堂に借りた「魚崎町三好屋」という文字のある提灯を持って行かなければなるまい。国粋堂が「大事おまへん」というのは、これならば惜しくないというのではなく、この提灯を持っていけば、安全に行くことができるという意味だと思われるのだ。

となれば、有馬に行くように話を持って行ったのは誰かを思い出す必要がある。

5. 時間

夫婦が行こうとしてトラブルになった有馬温泉は、薬師如来の十二神将をかたどって作られた十二の宿坊から始まっている。登場人物の人格も、よく見ていくと2時間単位で変化しているようだ。そのため、30分以内にというところをあえて30分を過ぎた頃に戻ってくれば、どういうことが起こるか当然わかることだろう。

6. 『アヴェ・マリア』との関連

最後に大正12年に発表された谷崎の作品、『アヴェ・マリア』との関連を指摘しておきたい。

この作品は、主人公が「早百合子」という女性に振られ、その後も彼女に手紙を書く形で綴られているが、最後に新たな早百合子を見つけ、それまでの「早百合子」が「過去の早百合子」になるところで終わる。過去の早百合子は、主人公にとって「しかめっ面」が魅力。それに対して新たな女性はどういう人か。これについては例によってツイログに書いている。

『猫と庄造と二人のおんな』のラスト近くに次のような記述がある。

ちょうどその日の午後一時頃、品子が朝のうちに仕上げた縫物を、近所まで届けて来ると云って、不断着の上に毛糸のショールを引っかけて、小走りに裏口から出て行ったあと、初子がひとりで台所で働いていると、そこの障子をごそッと一尺ばかり開けて、せいせい息を切らしながら庄造が中を覗き込んだので

ここで、近所まで届けて来ると云って小走りに出て行ったのは誰か。毛糸のショールを引っかけているという記述に気づいた時、アッと思った。

となると、「庄造」が「現金に態度を変える」という表現が俄然生きてくる。床屋に行った庄造は、おつりの銀貨をしっかりと握っていたが、それがどう役立ったか表面上は書かれていない。けれども、それはしっかりと役立っているのだ。庄造が品子の部屋に入る時に。

たらい、時雨の音、下駄の足音、信楽焼、それらは皆、豆狸によるものだ。

2012-08-10追記

研究会の時に、質問者から日本霊異記の話が出ていたように記憶しているが、このお話のことだったのね。
https://www5f.biglobe.ne.jp/~kuroyon/nihon.htm
「ほとんどそのまま翻訳しているといってもいいかもしれないと」おっしゃっていたけれども、確かに。
ただ、『猫と庄造と二人のおんな』では、例の語り手によるミスリードで、食べている者と相談している者を逆にして語っていたりするので、こういうところも注意してみると、別の挿話も含めて理解しやすくなってくる。これで大体のストーリーは見えたように思う。

その478(2012.04.13)第16回谷崎潤一郎研究会(1)

3月24~25日、谷崎関係のことで神戸に行ってきた。24日が第16回谷崎潤一郎研究会で、25日が芦屋市谷崎潤一郎記念館での谷崎秀雄氏の講演だった。

そこで、まずは24日のことを書き、その後で谷崎秀雄氏の講演について書きたいと思う。

にしむら珈琲三宮店24日は午前5時45分発の電車に乗った。ほぼ徹夜で、新幹線の中で眠るつもりで。お弁当も買わずにひたすら本を読むか寝るかで新大阪に着き(三宮のホテルはどこも一杯で、今回は新大阪の近くに宿を取った)そのまま三ノ宮までJRで行く。三ノ宮に着いた時には空腹も限界(^^; 駅前のにしむら珈琲でブランチ。ちょっと優雅な気持ちになる。その後生田神社にお参りして、いざ谷崎潤一郎研究会の会場、神戸女子大学教育センターへ。

生田神社会場への道のりは比較的わかりやすく、門を入ったら守衛さんがすぐに「研究会ですか?」と声をかけてくださり、とりあえず1階の待合室のようなところへ案内され、用意ができたところで特別講義室に。

この日の演者は3名。最初に金志映氏による「鬩ぎ合う「近代」―谷崎潤一郎「痴人の愛」試論―」、2番目は生江和哉氏による「『猫と庄造と二人のをんな』について~マゾヒズム、その可能性と不可能性~」、3番目が野澤和男氏による「阪神大水害史からみた「細雪」山津波の件の一考察」だった。

金志映氏の発表では、この作品では「近代」とか「ハイカラ」という言葉は使われるが、当時すでに「モダン」という言葉が流通していたにも関わらず、なぜか「モダン」は使われないということが語られた。

「せめぎあい」については、主に譲治の中での近代について語られたが、発表後の質疑が大いに盛り上がった。たとえば、鬩ぎあっているのは譲治の中ではなく、譲治とナオミを取り巻く世界ではないかとか、ナオミに主体性があるのかないのか等々。

私が思うに、確かにナオミのモデルとされているせい子さんと谷崎のことを考えれば主体性はないという先入観も入るかと思うが、この作品の中では、質問者のうちの一人の方がおっしゃっていたように、ナオミが譲治から経済的なものを最後に分捕ったということについては、主体性が認められるのではないかと思う。これについては、武林無想庵の結婚生活が参考になる。

武林無想庵は、ある意味ナオミと同じような境遇にあった中平文子と契約結婚してパリに渡ったのだが、その2度目の洋行(1923年12月から)で彼女は別の男性を作った。「『cocu』のなげき」は、その現在進行中の状況を書いたものだった。無想庵はこの作品を1924年4月から10月まで書いて川田順に送っている(出典:山本夏彦著『無想庵物語』)。つまり、谷崎が1924年11月に『痴人の愛』の連載を再開した時には、この無想庵の事件を大いに参考にしたと想像できるのだ。

『痴人の愛』は1924年3月から連載が始まったが、6月から10月にいったん中断している。ほぼその中断の間に武林無想庵が海外で「『cocu』のなげき」という作品を書き、川田順のところに送ったことになる。

「『cocu』のなげき」は、「女性」での『痴人の愛』の連載が終わった翌々月、1925年9月号の「改造」に発表され、同年10月号の「女性」に正宗白鳥の批評が出た。つまり、「『cocu』のなげき」の発表は、『痴人の愛』の完結まで待たされたということになる。

中平文子という人は、海外でも臆することなくのびのびと行動しており、かつ大変正直な人で、別の男性ができたところで隠しもせず、それらのことを後に自伝にあっけらかんと書いている。谷崎は、こういうタイプの女性を海外に置いた場合に対して、そういう女性を国内で育てようとしたらどうなるかということを、後半の連載の主題にしたのではないかと想像しているのだが、いかがだろうか。

例によって長くなってしまったので、生江和哉氏による「『猫と庄造と二人のをんな』について~マゾヒズム、その可能性と不可能性~」、3番目が野澤和男氏による「阪神大水害史からみた「細雪」山津波の件の一考察」については連載で書いていきたいと思う。

その477(2012.02.03)「文学としてのユーミン」―小説現代の連載から

小説現代 2012年 01月号小説現代で、1月号から酒井順子さんによる「文学としてのユーミン」という連載が始まった。ヒデさんから教えていただいた。

第1回は、「ひこうき雲」について。主に『ルージュの伝言』から引いて来て、ユーミンがどういうところで育ってきたかということを解説しているような感じだったが、「面や線ではなく「点」だけを示すやり方」というのはなるほどと思った。

『ルージュの伝言』に書かれている「このときの日差しがこうだとか、波の具合がこうだとかいう意味のシチュエーション。瞬間の輝きみたいなこと」というのは、壁紙を毎月作っていて確かにそう思う。光のまたたきや風の動き、そういうものにユーミンは反応するんだなということを、毎回感じている。

第2回は、「MISSLIM」。ということは、各回アルバム毎に書かれるのね。
今回は、「海を見ていた午後」を中心に話が進められている。泣かない主人公、なぜユーミンの主人公は泣かないか、そんなことを織り交ぜながら、憧れだった「山手のドルフィン」に行った話でしめたところが、苦味が利いている。憧れながらなかなか行けなかったことで余計に憧れが強くなって……。「夢はさわらぬ方がいい」という詞を思い浮かべたわ。

その476(2011.12.31)『春琴抄』―系図と憑依関係―

春琴抄登場人物関係図今回も『春琴抄』。前回書いた後もずーっとツイッターにつぶやき続け、早く書きたいと思いつつ、年も押し詰まってしまった。『葵の女―川田順自叙伝』についても、谷崎著『羹』、『春琴抄』との絡みで進展があったので、これについても必ず書くつもりでいる(書く書くと書きながらなかなか書かず、ついに書かないで過ぎてしまったものもあり、我ながら困ったものだと思っていますが(^^;)。

さて、今回は系図を作ってみた。これの前提として、天保8年、つまり春琴が失明した年に何が起きたかということがある。言うまでもなく、大塩平八郎の乱があった。この乱で、春琴の家は焼かれ、春琴は失明し、父母や姉妹は前後の差はあっても結局のところ亡くなったと推定。それに伴い、日野の安左衛門の兄弟が、日野に養子に行っていた佐助と共に道修町に来て、八代目の鵙屋になったのではないかと推定した。そして亡くなった人たちの魂が、生き残った春琴や佐助に入れ替わり宿り、支配していたのではないかと考えている。

系図の中の( )内は、大塩平八郎関係森鴎外関係、芥川龍之介関係の人物で、その登場人物に当てはまる人物を入れている。森鴎外の祖父の号が「白仙」というところと、大塩平八郎関係のみねさんと森鴎外の母が同じ名前で、森鴎外の後妻の名前がしげ女と同じなのも注目するポイントだ。芥川龍之介については、高宮 檀著『芥川龍之介の愛した女性―「薮の中」と「或阿呆の一生」に見る』を参考にした(表紙の写真の関係が、そのまま素戔嗚尊、天照大神、月読命になっている)。ちなみに、しげ女にあたる女性のことを芥川は「復讐の神」と呼び、春琴の姉にあたる女性を「月光の女」と呼んでいる。図では、妹のところにその女性の名前を入れているが、もう一人、谷レイという女性がいる。この女性は、月光の女性が自分の身代わりにと見込んだ女性(ちなみに佐助稲荷神社の宮司の養女)なので、ここでもそれが踏襲され、この二人は一体になっていると考える。

「阿波の鳴門」が引用されているところで、春松検校によって中二階から三味線を持ったまま落とされたのは春琴の姉だろう(春松検校は春琴の姉も教えたことがあると書かれている)。それが佐助に憑き、後に妹に憑いたと考える。つまり春琴の姉は、昼間は佐助の中に、夜は春琴の妹と共にいたと、今のところ考えている。

ところで、『春琴抄』は読点や句点が著しく少ないことで知られるが、ところどころを段落を示す大きな○で区切られている。この区切られたところで、春琴、佐助やその他の人物、小動物それぞれに宿る魂の組み合わせが変わっている。それが一番よくわかるところが、佐助が眼を針で突いた後の記述だ。

女中部屋から下女の使う鏡台と縫針とを密かに持ってきて寝床の上に端座し、鏡を見ながら眼を突いた佐助は、その後次のような行動に出る。

程経て春琴が起き出でた頃手さぐりしながら奥の間に行きお師匠様私はめしいになりました。もう一生涯お顔を見ることはございませぬと彼女の前に額ずいて云った。

起き出でた頃ということだから、この時佐助が目指したのはしげ女だろう。とはいえ、来迎仏が実際に現れるまでは少し間があったので、その間にいたのは誰だったか。その存在の感情が「鵙屋春琴伝」での表現につながるのではないかと思っている。そしてついに包帯で包んだ顔に二た月前までのお師匠様の円満微妙な色白の顔が鈍い明りの圏の中に来迎仏のごとく浮かんでこの段落が終わる。

ところが、次の段落では、春琴が佐助に「佐助痛くなかったか」と言う(佐助が自ら目を突いたという前提で言っていると思われる)が、それに対してこの佐助は、

御霊様に祈願をかけ朝夕拝んでおりました効があって有り難や望みが叶い今朝起きましたらこの通り両眼が潰れておりました

と言うのだ。先ほどの段落と、微妙につながらなくはないか?

ただ、この時の佐助が言っていることは、嘘ではないだろう。佐助には、春琴の姉と、もう一人(二人)が住んでいる。春琴の姉が抜けた後の昼間の佐助にしてみれば、まさに「朝起きたら」ということだったろう。

両方の段落の春琴と佐助を同じ人物として考えることもできないことはないが、ならばなぜそこに○が入るか、「来迎仏」という言葉がなぜその区切りの直前に入るかということを考えてみる必要があると思う。そう考えながら、さらに系図を見ながらいろいろな場面を思い浮かべると、春松検校が入った春琴が「お腹の子の父親に対してもすまぬこと」と言ったりしたことや、いろいろなことに合点がいくのではないだろうか。

春琴の失明と佐助の失明の関係、さらには鴫沢てる女の失明についても、また新たな視点で見えてきた。ということで、場面ごとの魂の入れ替わりに注意しながら読んだ結果を次の『春琴抄』の記事で書こうと思う。

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