『春琴抄』の私の解釈に進展があったので、『鴨東綺譚』をお休みして、『春琴抄』について書きたいと思う。
春琴と佐助には子供がいることは皆さんご承知かと思うが、『春琴抄』には、子供についてはあえて前記の外に二男一女がありと書かれ、総人数は書かれていない。実は、それに対するヒントはいくぶん唐突な形で本文中に書かれているのだが、それについては後で書かせていただく。
で、前記というのは誰かということになるわけだが、まず最初に浮かぶのは、春琴が17歳の時に産んだ「佐助そっくりの男の子」だろう。ところが、この子についてはどこに遣られたかは書かれていない。二男一女については、どういう家に遣られたかについて書かれているので、これはバランスとして少し不思議だ。
佐助そっくりの男の子の他にもう一人、春琴と佐助の子であろうと思われるのが鴫沢てるだが、この人は春琴と佐助の墓の面倒を見ているが、なぜ彼女がそうしているかは書かれていない。ただ、春琴と佐助にとって気の置けない少女とのみ書かれている。
そこで、なぜこの女性が二人の子と思うかというと、春琴の死後、佐助は聴覚を以って春琴の不在を埋めたのだろうと書かれていることからだ。一見それは琴の音によってとも受け取れるのだが、それは佐助が検校になってからのことだろう。春琴の死後、佐助はひたすらてる女のみを話し相手としている。つまり、彼女の声は春琴と似ていたということになるのではないだろうか。
そのあたりを確認するには、春琴が産んだ子供の数を知らなくてはならないことになるが、実は、それについては『幼少時代』にヒントが書かれている。それは、『春琴抄』本文に書かれたヒントを誰も理解してくれないから、谷崎があえてここに書いたと思えるくらいハッキリと、次の一文から始まる。
伯父の妻であったお花、――私の父に取っては二重の意味で義理の姉、母にとっては真実の姉、私にとっては二重の意味で血縁の伯母であった人のことに、是非触れて置かねばならない。
彼女は男子を三人、女子を二人産んでいるのだが、末の子を産んだ年の秋から病床に臥して十年間足腰が立たず、そのまま亡くなったそうだ。病名は関節炎だったそうだが、夫の仕事が順調で、本家をしのぐ勢いになっていたことから、彼女は天下に恐いものなどなく、夫の久兵衛以下一家一族の者どもに寝ながら命令する有様だったそうで、そこに書かれている夫との関係は、まさしく春琴と佐助そのものなのだ。
さらに、彼女の弟が彼女に侮蔑的なあしらいを受けたとかで、谷崎の母のところへ来て泣いていたというエピソードまで付されている。これが『春琴抄』のヒントでなくして何と言えよう。
ということで、彼女が産んだ子供は合計5人。春琴抄に書かれている「二男一女」に漏れているのは「一男一女」と推定される。
となると、一女はわかるが、行方のわからない一男がどこに遣られたのかわからないというのが不自然に思えてくる。
そこで、利太郎の父が「九兵衛」だったことが思い浮かぶ。そう、利太郎は春琴と佐助の子だったというのが今回の発見なのだ。ということは、春琴が最初の子を産んだのが17歳、お湯をかけられたのが37歳ということで、この時利太郎は20歳の青年だったということになる。
つまり、一般に言われている利太郎犯人説に従うと、実の息子が母の顔にお湯をかけ、その後一生表に出られなくなるくらいの損傷を負わせたということになる。
となれば、『春琴抄』本文からのヒントがぜひ必要になるが、それは次のように書かれている。
盲目の美女の答(しもと)に不思議な快感を味わいつつ芸の修行よりもその方に惹き付けられていた者が絶無ではなかったであろう幾人かはジャン・ジャック・ルーソーがいたであろう
この部分は、読者も一度は「あれっ?」と思ったのではないだろうか。なぜに突然ルソーがと。ルーソーとなっているのは、谷崎が『告白』か何かを英訳で読んだからだろうと想像される。
このような性癖を持つ有名人なら、他にいくらでもいるだろうが、ここで谷崎がなぜルソーを持ち出したかが重要なポイントになる。ルソーは5人の子供を皆孤児院にやっている。生まれた子供をことごとく里流れにしている春琴・佐助と重なるのだ。これで春琴が産んだ子供の数が判明することになる。
ルソーを選んだ理由はそれだけではないと思われる。それについては『告白』を読んでみないことにははっきりとはわからないが、佐助やその佐助にそっくりな息子そのものを例えているということは十分に想像できる。
子供の数とは別に、春琴と佐助が相擁して泣くという、感動的なクライマックスがあるが、そこにも『春琴抄』の謎を解く重要なヒントが隠れている。春琴が「誰の恨みを受けてこのような目に遭うたのか知れぬが」と言ったところ、佐助はこれは自分に対する悪意だと言い、鼻をあかしてやった等と言い募る。それに対して春琴は、「佐助もう何も云いやんな」と言って、盲人の師弟相擁して泣くのだ。春琴の言葉の意味をどう取るか、それはそれぞれにお任せするが、なかなか意味深いと思わないだろうか。
さて、その後の二人だが、佐助の労苦はますます増え、佐助はそれを望んでいたようだ。しかし、それをきっかけに春琴を表から引っ込め、部屋の中に押し込めてしまったのは何故だろうか。そりゃあ顔に大変な火傷を負っているのだから、春琴が人前に出たくないと言ったとも想像できるが、春琴は佐助に見られるのが一番嫌だとは言っているが、他の人の前に出るのが嫌だとは言っていないし、第一頭巾を被っているのだからその後も指南を続けようと思えば続けられただろう。ここには春琴よりも佐助の意志があると思って間違いないのではないだろうか。
決定的なのは、春琴が病になるきっかけになった揚げ雲雀だ。籠から放した雲雀はついに籠に戻らなかったのだが、記述からすると、5月末から6月初めと思われる。雲雀を揚げるなら、もう少し早い時期ではないか? 夏になると雲雀は飛べなくなるのだ。しかも、受難する前は、物干し台から雲雀を揚げ、その時は近所でも微笑む春琴を見たいがために屋根に上がる人や一緒に揚げ雲雀を競ったりする人が出たりと楽しい行事だったのだが、なんと、この時は中前栽に佐助と二人で降りて行っている。籠の戸を開ける役目の鳥籠の世話をしている女中がいないのだ。この時はもはや春琴も季節の変化に気付いていなかったかもしれない。佐助は人に教えているのでそれはわかっていたことだろう。以来、春琴は怏々として楽しまずそのまま脚気による心臓麻痺で亡くなる。「怏々として」とは、辞書を引いてみたところ、心が満ち足りないさまや、不平不満のあるさまを言うそうだ。ここに春琴の絶望を見るのだが、どうだろう。何だか晩年の紫の上を思い浮かべる。
佐助は出家したりすぐに自殺したりすることはなかったが、その後も長く悲しみを忘れず、天鼓という鶯の啼く声を聞くごとに泣き、暇があれば仏前に香を薫じていたと書かれている。
さて、春琴にお湯をかけたのは誰だったのか。それはまた後で考えるとして、『春琴抄』にはまだ謎がある。たとえば
等だ。鵙屋は佐助にとって累代の主家なので、乳母も恐らくは佐助にかかわりのある者だろうし、本来のこいさんは別にいるのに、春琴をとてもかわいがっていた春松検校はなぜ春琴をこいさんと呼ぶのか、本文中ではさらっと誤魔化されている。谷崎がさらっと誤魔化すことには何か大きな理由があるのが定番なので、そのあたりも折りに触れて考察していきたいと思っている。
2024-09-04
『春琴抄』についての考察は、こちらもご覧ください。
ツイログ―春琴抄
谷崎潤一郎研究のつぶやき―春琴抄
「谷崎潤一郎研究のつぶやきWeb」から「春琴抄」の検索結果
「谷崎について詳しくなる本」から「春琴抄」の検索結果
その1を書いてから随分経ってしまったが、今回は、『鴨東綺譚』が具体的にどのように『蘆刈』の頃と重ねられ、それが『夢の浮橋』につながったかを、テーマ別に挙げていこうと思う(池長氏についての記述は、高見澤たか子著『金箔の港―コレクター池長孟の生涯』より抜粋)。
1. お屋敷
○紅塵荘
池長孟氏が、淀川富子さん(淀川長治氏の姉)と住むために建てた豪邸。
○垂水の別荘
池長孟氏の別荘。池長氏の長男の思い出に、
「ほとんど毎日曜日、やれ垂水へいちご摘みだとか、簡単な山歩きとか、父のあとについてゾロゾロと出かけたものです。」
というものがある。これは、淀川富子さんと破局後、池長氏と3人の子供たちで暮らしていたころのことだが、『蘆刈』の父子が巨椋池まで歩いていくシーンが連想される。また、上記の記述の直前には、
大正十四年(一九二五)生まれの廣の幼稚園入園は、昭和六年のことである。
という記述がある。『夢の浮橋』の武が連想される。
○紅於荘
『鴨東綺譚』に登場する、父が晩年に隠棲した奈々子自慢の別荘。對龍山荘庭園をイメージしていると思われる。谷崎は、あえて「紅塵荘」を連想する名前をつけたと思われる。
また、リンク先に書かれている通り、この庭園を今の形にした人は、彦根の出身であり、奈々子も作中で「私の體には江州商人の血が流れている」と言っている。
ここに奈々子の母が住んでいるのだが、この人の名前を、本当は「美奈子」とつけるつもりだったのだろうが、谷崎が間違えたのか、誤植なのか、その名前が最初に登場するところで「美代子」になってしまっている(奈々子の母の名前は、「美代子」と「美奈子」の1回ずつしか登場しない)。父が天保年間の生まれと書かれているので、母も同じと考えると、天保年間の生まれの「おみよ」といえば、谷崎の乳母が思い浮かぶ。
○五位庵
谷崎が京都で住んだ、「後の潺湲亭」をほぼそのまま踏襲。ただし、「後の潺湲亭」に合歓亭にあたる建物は存在しない。
2. 茶室
○池長家
池長氏の養父が、京都から引いてきた
○五位庵
祖父がどこからか引いてきた。
3. 憑依?
○池長氏(蛇)
池長家が檀家になっているお寺の千年松と呼ばれる老木に大きな蛇が住んでいた。その松を切り倒した時には、中身はすっかり空洞になっていたので、人々は「さすが千年松」と言ったが、子供だった池長氏は「うそだ、うそだ! 千年も経っとるかい」と叫んだ。
○奈々子(白蛇)
紅於荘の前住者の時代に白蛇が棲むと言われている弁財天の祠があったが、工事の際に職人が取り壊し、その跡に泉水を築いたが、奈々子は物心がついた頃から、ひとりで庭の池のほとりを歩いていると折々白蛇に遇うことがあったと書かれているのだが、それだけでなく、次のような記述がある(括弧にひらがなは、ルビ)。
紅於荘の庭で遇ふばかりでなく、蓼山邸の彼女の居間にも出て來ることがある。それどころか、彼女がひとたび眼をつぶり心を凝らして辨天樣に祈願を籠めれば、(中略)いつ、どんな時、どんな所にゐても蛇(みい)さんの姿が現はれるので、いつしか彼女は、自分は蛇さんのお使い姫であり、自分の體には常に蛇さんが宿つてゐるのだと、固く信じるやうになつた。
これは重要な記述だ。これで経子の死の真相が解ける。ちなみに、池長氏の最初の奥さんの実家は荒木村重の血筋と言わる。荒木村重の先祖は藤原秀郷であり、百足退治の伝説がある。
○経子(大百足大蛇)
「ぼんさん、あきまへん、お母さんがお怒りやつせ」
と、外に立つてゐる乳母は気を揉んで、
「ほれほれ、こゝは大きい大きい百足(むかで)が出て参じます、百足に食べられたら恐いことどつせ」
2019-02-01
そして、この人も椀の中の蓴菜を「ねぬなわ」と云い、深泥池の話をした。「糺さん、今に学校で古今集の話教てお貰いるやろけど、そん中にこんな歌がありますのえ」と云って、
隠沼の下より生ふるねぬなはの
寝ぬ名は立たじ来るな厭ひそ
と、壬生忠岑の歌を詠んで聞かせた。
次回は屏風や寝台等の道具類や「川」等についても考察をしてみたいと思う。『鴨東綺譚』で乾の娘に「高麗子」という名前をつけていることも、『蘆刈』の頃に恵美子さんが木津家の養女になったことや、荒木村重が「荒木高麗」という銘器を所有していたこと等、いろいろ符合することがあるのだ。
7月下旬、ラブレターズのご愛読者様から昭和31年2月末から週刊新潮に連載された『鴨東綺譚』を送っていただいた。この作品は、モデル問題のために6回目で第一部完ということにして中断されたものだが、読み進むうちに、この方がなぜこの作品を送ってくださったかがよくわかった。この作品は、『蘆刈』と『夢の浮橋』の間を埋める作品だったのだ。
それについては後で書くとして、この作品を読んでまず第一に感じたのは、ヒロイン奈々子のモデルに対する谷崎の並々ならぬ好意である。血筋が谷崎の求める像にピッタリで、浮気者で、底抜けに明るくお人よしで、何を言われても傷つかない(と谷崎は誤解した)、しかも自分をモデルに作品を書いてくれと言ってくれる彼女こそ、谷崎の作品の理想的なモデルと思ったのだろう。彼女の面白さに引き込まれた谷崎の筆致は止まるところを知らず、そのためにいたずらに彼女や周囲の人間を苦しめ、中断のやむなきに至った。
とは言っても、谷崎は彼女そのものを描きたかったわけではなく、京都を含め、関西の中・上流家庭を通して、『卍』以来谷崎が描きたかった世界を表現したかったわけで、少しずつその布石は打たれていた。ただ、彼女を知る人にはどうしてもモデルは彼女以外には考えられず、その行動のすべてが彼女そのものに思えてしまったであろうことは想像に難くない。そのため、たとえモデルの反対が無くても、いずれは行き詰ったであろう気はする。
それにしても、谷崎は女性について単純に考え過ぎるところがあるように思う。自分でも何かで「おめでたいところがある」と書いているが、実際、かなりのものだ。
ヒロインは作品の中でこういうような言葉を時々発する。
「何とでも云つて頂戴、私平氣よ」
これを乾という作家は言葉通りに受け取っているのだが、この後には(だからそれ以上言わないで)や(私の知らないところで言われている分には)が続くのであり、決して平気なわけではないのである。
その感情は、彼女の行動にもだんだん現れてくる。京都の中に話を聞いてもらえる人がいない彼女は、当初、彼女の内にあるものを乾に向かって吐き出していたが、それが次第にその妻である「光子」に向かい、それもどうも違うと思い始めたのか、家には上がらなくなってくる。たぶん余計なことを話すのは良くないと思い始めたのだろうが、それでも吐き出し切るまでは止まらないので、相変わらず長話になってしまうのだけれども。
彼女の態度の変化には、さらにもう一つの要因も想像できる。谷崎は、もしかしたら彼女の変化の理由をそちらの方に解釈していたのかもしれない。
ところで、先ほど「光子」が出てきたが、奈々子の夫がかなり不気味に描かれており、この人物が「綿貫」を彷彿とさせる。和田青年の件で中途半端に終わってしまった『卍』が読者の頭に浮かぶことも、谷崎には想定済みだっただろう。
実は、「光子」という名前はこの作品や『卍』だけに出てくるのではない。私の知る限りは、明治44年の『少年』、大正11年の『永遠の偶像』にも光子が登場する。それらの光子に共通するのは、絵に描かれたり、彫刻にされたりしていること。それから、当初は男性の意のままに振る舞っていたのが、知恵をもって男性を征服し、男性のコントロールから脱する女性ということだ。
また、偶像化した時点で谷崎にとってこの女性の価値は極点に達しており、その後の女性はそこからずれていくのみである。あるいは小説のモデルとして対するのでなければそれでも良いが、小説家である谷崎がその後も小説のモデルとして対したい相手の場合には、もはや「上がり」であり、いずれは別れるか、別れられなければ一緒に滅ぶしかない存在となるのである。
『鴨東綺譚』は昭和22年頃が舞台なので、その頃の松子夫人は、谷崎にとって、あるいはそういう女性になっていたのかもしれない。
次回は、この作品が具体的にどのように『蘆刈』と重ねられ、それが『夢の浮橋』につながったかを書こうと思う。
前日には、スピーカーの一人で、大阪からいらしたえむさん(大阪DTPの勉強部屋主宰)を囲んで、親しい人たちとの前夜祭(飲み会(^^))もあった。久しぶりに会う人たちは、私もそうだけど、少し感じが変わっていたりして、それがまた新鮮。何年ぶりだとか、近況だとか、こういうのは本当に楽しいわね。本当は2次会まで行きたかったのだけれども、うちは結構遠いので(^^; 翌日に備えて1次会で失礼した。
そして当日。今回はかなり早めに到着。喫茶店に入ろうかと思ったけれども意外になく、会場になる施設の外の自動販売機でお茶を買って会場入り。そしたら、その施設の会場の階にも自動販売機があって、しかも外より安いのを知って、うう~。でも、そこで座りながら皆さんとゆっくりできて良かった。
メインのお話は村上良日(やも)さんと、(株)ケーエスアイの坂口礼治さんによる「出力・印刷の現場 ─データを受け取った現場で起こっていること─」だが、その他に、ショートセッションということで3つのお話が入った。順番は、ショートセッション2話の次にメイン、最後にまたショートセッション1話だったが、こちらでは、まず、メインのお話から書かせていただきたいと思う。
○出力・印刷の現場―データを受け取った現場で起こっていること―
発表者 村上良日(やも)さん、坂口礼治((株)ケーエスアイ)さん
いやー、面白かった。おっさんAとおっさんB(命名:おふたり)による、とってもためになる掛け合い漫才だった。まずは、それぞれのお仕事についてのお話から。
1. 出力・印刷現場の環境(坂口礼治さん)
出力・印刷現場の環境の特徴は、制作環境とあまりかわらないが、バージョンがたくさん揃っていること。
で、そこで求められるデータの条件は、
◆指定どおりの印刷ができるか
◆製本加工ができるか
とのこと。当たり前といえば当たり前なのだけれども、様々な事情で当たり前でないデータが出現してしまうことがあるのがこの世界(^^; 気をつけよう。
2. 進行管理(村上良日さん)
進行管理の仕事については、工程管理でなく生産管理と呼んでもらいたいとのこと。
この仕事はイメージから技術へ翻訳すること。
そして、不足しているものがあったら、紙、インキ、版の順に早めの手配が必要。
その際に最低限知らないと始まらない情報は、通し数、予備数、台数。
これらの情報が揃わないことには発注できない。
↓
印刷できない
↓
納期がずれる
みんながハッピーになるには、時間を読める工程にすること。
そこで、そのためのチェックポイントが紹介される。
3. 入稿でのチェックポイント
4. よくある入稿データトラブル
続いて、InDesignの場合、Illustratorの場合というように例が挙げられ、ここでおふたりの叫び。
「完全データでください」
完全データとは完全入稿、つまり時間が読めるか否かということで、その条件は、次のようになる。
5. PDF入稿ならどーなの?
それではPDF入稿ならばどうだろうか。
見て確認できるとデータトラブルが減る。ということで、万々歳のようなのだが、それでもやはり問題は起こる。
6. PDF入稿でよくある問題
変換して、その結果を見てみたら「ありゃ!」ということは結構あるもの。
さらに、
最後はよくわからないけど(^^;
では、どんなところに気をつけたらよいか。
7. こんなトコに気をつける
そして最後に
8. チェックとフィードバック
清く正しいPDF入稿フローについては、メモ帳のバケツさんに綺麗な図があるので、そちらをご覧いただきたい。
なお、7月24日にも、同じ内容で第1.2回が開催されるので、見逃された方はぜひ。
次に、ショートセッションについて書いておきたい。
○「InDesign Glee」について
発表者 丸山邦朋(monokano)さん
InDesign Gleeは、MacでInDesignのデータを開かずにしてデータが作成されたバージョンを知ることができる便利なツールなのだが、今回はそのしくみについてお話しされた。なるほどー。昔、MS-DOSを触っていた頃のことを思い出したりして、聴きながら私も何か触りたくなった(^^)。
○ネタとしてのアナログ的手法への回帰
発表者 あまおか(logicsystem)さん
こちらは、どうやら漫画を頭に描いての発表だったようだが、とにかく「画像」にしてしまおう。という愉快なお話だった。
そうよねぇ。DTPソフトのデータで持っていても、それがいつまで開けるか、使えるかとなると、また別の問題だものねぇ。画像で残しておけば……(^^)
そうそう。この勉強会は、各セッションはもちろん、附録やプレゼントも豪華だった。
まず、(株)吉田印刷所さんからは「PDF/X-1a・X4変換手順書等、トクプレの小冊子のセット」、(株)モリサワさんからは、「InDesign, Illustratorトラブルシューティング」「PDFにまつわる怖~い話」という小冊子をいただいた。
プレゼントはいくつかあったが、私は森 裕司さんがその450でePub変換する時に例に挙げられた小冊子『InDesign スタイル機能 Perfect Book』をいただいた(^^)。その他には、ゆず屋さんから『書体の研究』という本がセットで出品されたが、こちらは私の隣りに座ったお友達(なにしろ前夜祭から懇親会までずーっと一緒だったもんね^^)が当選。懇親会ではそのお友達とゆず屋さん(山王丸榊)さんとも同じテーブルに座って、じっくり見せてもらい、話に花が咲いた。
懇親会では、よく知っている人でも久しぶりに会うと顔と名前が一致しないことも多く、後で気づいてショックということもあり(^^; どうも、先方は一度で覚えてくださるのだけど……(^^;;;;;
ということで、前夜祭も含めて楽しくためになる2日間だった。
前回に引き続き、DTP Booster 14のレポートを書きたい。
○新しいメディアの開拓
~photoJ.創刊のプロセスと今後の発展~
発表者 黒須信宏((株)クロスデザイン)さん
毎日新聞社iPadコンテンツ『photoJ.』を創刊されたということで、そのプロセスを紹介された。ちなみに今出ているのがphotoJ.1 - THE MAINICHI NEWSPAPERS(iTunes App Storeが開きます)、第2号は近々出ることと思う。
まず最初に主張されたのがユーザーが新しいメディア・コンテンツに求めるもので、黒須さんが調べたところによると、どうも次のようなことが言えるとのことだった。
つまり、紙をそのまま置き換えたものではユーザーは満足しない、新しいメディアの特性を理解して作ることが重要ということである。そこで考えられたのが、次に挙げられるコンセプトと特徴だ。
縦と横でビューが変わるということは、それぞれ別にデザインをする必要がある。そのため作業は、2倍とは言わないまでも、約1.7倍はかかるそうだ。
一方、文字を読むためにビュー全体を拡大する必要がないというのは大きいメリットだ。さらに縦ビューでは、文字だけを拡大できる機能を付加した。これにはWoodWingビューワーの機能を活用した(先のソリューション系統の話に出てきた)とのこと。
動画についてはストリーミングではないのでオフラインでも見ることができるが、そのために小さいサイズになっている。オフラインでも見ることができるようにするか、ストリーミングにするかは、なかなか難しい問題だとのこと。
次号では、完全にではないが、マルチリンガルにも対応する予定とのこと。
画像については、iPadの画面解像度は132dpi、画面サイズは1024×768pixだが、縦で使うなら768×1004pix、横で使うなら1024×748pixなので、そのサイズで作業環境を作っておくと便利とのこと。
デザインについては、見るだけでなく動かすというアクションが入るので、UIをデザインするという考え方が重要とのこと。
この話の流れで特に印象に残ったのは、「大根」は「おでん」になるが、「おでん」は「大根」にはならないということ。
PDFは完成した1つのメディアなので、ここから何かというよりも、やはり専用のメディア用にデザインをして物を作ることが重要だとのこと。
私も常々より料理のしやすい「大根(XMLデータ)」を、よりスムーズな方法で作ってワークフローの中に組み込みたいと思っている。
将来の展望としては、ワークフローが1.7倍になっていることに対する解決策して、自動組版との結合も重要と考えているとのこと。ここも大いにうなずいた。
○成功する電子書籍ビジネス/ビジネスの立ち位置が天国と地獄を決める
発表者 田代真人((株)メディア・ナレッジ)さん
(株)メディア・ナレッジのサイトは見つからなかったが、新聞記事が見つかったので、そこにリンクさせていただいた。
この方は、『電子書籍元年』という本を出されている。
今回は、ビジネスとして電子書籍を発行する際に知っておかなくてはならないことを中心にお話された。
非常に印象に残ったのが、出版と取次の関係だ。本を刷って取次に納品すると、とりあえずお金が入る。でも、売れなかったら後で返品される。そうなると、返金しなくてはならない。
返品された本は、会計上は資産として扱われる。何かのきっかけでその在庫がはけるようなことがあればラッキーだが、ほとんどの場合は廃棄されることになる。
そこから本の出版にかかわる費用の計算に入り、しばらくは非常に現実的な、ある意味夢も何もない話が続いた。ただし、ひとたびベストセラーが出ると大きな利益になる。この旨味が忘れられず、出版社は続けられるとのこと。
一方、電子書籍の方はどうか。電子書籍の取次はいくつかあるが、紙の本の取次のようなことはない。出版社には売れた分だけのお金が入ることになる。
著者に払うお金は電子書籍出版社が先に出さなくてはならない。
著者に印税を支払うためには電子書籍の定価を紙と同じにしないといけないが、それでは読者が納得しない。一番売れる金額は、350円~450円くらいだろう。それで計算すると、赤字になる。そうなると、出版社の経費とデザイン・DTPという固定費に目をつけられることになる。しかも、その固定費を半額にしてもまだ赤字。
んー(--;
となると、著者は印税は受け取れない。売れた分だけということになる。
で、そういう中でビジネスするにはどの立ち位置に立つか。
ということで、希望があるのは周辺ビジネスだとのこと。ただし、周辺ビジネスをする際には、商売する相手を間違えてはいけない。
また、どういうものを作ればよいのか。デザインは切り捨て、極力自動化・省力化することで、ようやくビジネスになる。
そこで、田代さんが到達したのは、WebブラウザでJavaScriptだった。これによってソーシャル化が可能になった。ある本のあるページをTwitterで連動してつぶやくことができるようなしくみにしているとのこと。
最後の最後に、「ニーズのあるところにはビジネスがある」ということをおっしゃっていた。書店も出版社もこれまでと考え方を変えることで、チャンスをつかむことができるだろうと。後は本を読んで欲しい、そこにすべて書いてあるとのことだったので、遅ればせながら、先ほど注文した(^^)
ところで、田代さんの講演の前に、司会の鷹野さんの音頭で両隣の人たちと名刺交換をさせていただいたのだが、これは助かった。この後、心の距離は体の位置の距離とばかり、キュッと距離が縮まったのを感じた。
残念ながら、両隣の方々は懇親会には来られなかったが、会場には結構若い人たちも来ていた。DTP関係というと皆さん一緒に年齢が持ち上がってきているので結構新鮮だった。新しいビジネスを模索している人もいた。
女性はデザイナーの方が多かった。電子書籍について勉強するときに、まず何から手をつけたらいいかということだったが、デザイナーさんなら、まずはCSSでしょう。ここにはやはりデザインの才能が要るのだ。
それから、若い人たちからは「編集者という言葉がどうも」という話が出ていた。私なんかは「電子編集機」が出てきたときに違和感を覚えたものだが、もはや編集といえばパソコンでの作業のことをいい、「編集者」という職業に使われる「編集」という言葉の方に違和感を覚えるらしい。
これからの時代の編集者は何をすべきかという話があるが、私の知っている、編集者という職業の人たちは(一口に編集者といっても職掌はいろいろあるが)、もともと好奇心が強く、その好奇心や探究心のアンテナにかかった情報を、いかに正確に、効果的に読者に伝えるかと、それを伝えるために必要な人材をアレンジし、可読性やデザインを考えて料理してきた人たちだ。だから、電子書籍の分野にも本来最も目を輝かせる人たちだと思うのだ。なので、編集者という職業はなくならないし、この職業についてはまったく心配はないのではないだろうか。
ただ、電子書籍についての関心度は、Twitterの中と外では非常に大きな温度差がある。この間iPadが発売されて並んだことから少し認知度が上がったかと思うが、それでもまだかなり大きい。なので、この後その温度差が縮まるまでは、まだかなり大きな波が生じるであろうことは、頭に入れておく必要はあると私は思っている。