岩井俊二監督の「Love Letter」と、同氏の小説『ラヴレター』を読んだ。
ある男性(藤井樹)が山の事故で亡くなり、その三回忌の後、元婚約者(渡辺博子)が、彼が昔住んでいた小樽の住所に手紙を出すことから始まる物語だ。
小説の方のあとがきで、脚本家の北川悦吏子が噛み付いている。
「死んじゃった恋人のことが忘れられないいたいけな女の子が、実は恋人が自分を好きだったのは、自分が初恋の女の子に似ていたからだ、と知る残酷な物語なのでしょうか」
女性からすると、どうしてもぬぐえない感情である。
一方、男性側からすれば、自分の死後、好きでも打ち明けられなかった初恋の女性に、婚約者という風に乗って、自分の気持ちを伝えることができたら、こんなロマンチックなことはないし、ハッピーエンドなのだろう。
そして、もう1人の登場人物、藤井樹の親友であり、婚約者の現在の彼になりそうな人である秋葉。彼はとても微妙な立場にいる。ここに死んだ男性の意思が働いているとすれば、
「もう自分のことは忘れて、あいつをしっかり愛してやれよ」
といっているととれなくもない。
そもそも藤井樹と渡辺博子は、はじまりから違っていたのだといいたいのかもしれない。
本当は秋葉が渡辺博子を好きで、2人で会うのもなんだからと4人で会ったとき、藤井樹が一目ぼれを理由に渡辺博子に交際を申し込んだのだ。女性に関しては全く不器用な彼としては珍しいことである。たぶん一目ぼれといっても渡辺博子自身に対してはまだ恋愛感情がなかったから言えたという見方もできる。
だから、自分が死んだ今、本来の形に戻したいという意思が働いたのか。
ここまで考えて、やはり女性としては反発したくなる。つまり、「藤井樹と渡辺博子の関係は、間違いだったわけ?」となるのである。どう考えてもコツンとぶつかるところができるのだ。
これ、渡辺博子を主人公にしているから複雑な気分になるのかもしれない。もし主人公が秋葉だったら…いや、それより死んだ藤井樹自身が主人公だったら、手放しでこの話に感動できるのかもしれない。
身代わりとして誰かを愛するという感覚。これ、小説の中や実際のことでよくある。好きだった人の妹だからとか、親友の愛した人だからとか、思い入れのある人のゆかりの人を愛するという気持ち、どうも男性にはこういう心理があるように思える。でも、女性にはないのよね。好きな人の兄はあくまでも好きな人の兄であり、特別な感情は持たない。親友の彼は親友の彼であり、それ以外のものでもない。たまたまその人を好きになってしまうことはあるかもしれないが。
この小説を読んで、気になっていることがある。初恋の女性のおじいさんの願掛けだ。樹という名前を付けた木のことである。この願掛けも、藤井樹の図書カードと同じように、彼の死後明かされるのだろうか。もしかしたら、そこには藤井樹と初恋の女性(藤井樹同姓同名)とのさらなる秘密が含まれているのかもしれない。そういう含みを感じさせる小説だ。
12月15日から、源氏物語を映画化した『千年の恋』が公開される。
源氏物語は大好きなので、とても楽しみだ。
マサノリが映画館でチラシをもらってきたので、早速配役をチェックしてみた。
まず紫式部の役に吉永小百合、道長の役に渡辺謙、清少納言の役に森光子。すばらしい。
光源氏に天海祐希、紫の上に常盤貴子。これもいい。
大后にかたせ梨乃、右大臣に加藤武。これも想像がついていい。大后の意地悪ぶり、右大臣のせっかちぶりが楽しみだ。だけど藤壺中宮に高島礼子はう~ん、見ての楽しみかな。
六条御息所に竹下景子。イメージとは違うけど、気品のある狂気が楽しみだ。
朧月夜の南野陽子、明石の君に細川ふみえ。これはハテナである。もう少し他の人はいなかったのだろうか。南野陽子はあまり色っぽいと思えないし、細川ふみえは庶民的だ。まあ、明石の君はもともと受領階級の役だからといえばそれまでだが、そうとは思えないくらい明石入道が気品高く育てた人のはずなのだが…。それに対して明石入道の竹中直人ははまっている。ぴったりだ。
話題になっているのが松田聖子。揚げ羽の君って何???と思ったら、物語にはない、この作品だけの創作の役だそうだ。どういう経緯で彼女になったのかはよくわからないが、ちょっと楽しみではある。
でも、私が一番楽しみにしているのは岸田今日子の源典侍だ。スケベというイメージはないが、飄々としたおかしさをかもし出してくれそうである。
私は結婚してからかなり太った。かなりどころではない。ものすごく太った。
結婚したら太ることは、母をみてある程度覚悟はしていた。でも、これほどとは…。
マサノリが家に来たとき、父が言った。
「今はこうですが、将来こう(母を指差して)なります」
見事的中(^^)笑い事ではないか。
新婚旅行から帰ってきたときには、もう太っていた(^^;; 以来、マサノリは人の顔を見れば
「デブデブデブデブ、サギサギサギサギ」と言い続けている。そういわれながら、とうとう30代を太ったまま過ごしてしまった。
1度かなり体重を戻したこともあったけど、すぐリバウンドしてしまった。このときは、妹に
「お姉ちゃん、もうだめだね。やせないよ。」
と断定されてしまった。
でも、やっぱりやせないとねぇといいながら、なかなかやせようとしない私。
う~ん、やっぱりやせないと…
2002.3.16
この間、香港に行くためにパスポートを申請してきた。
そのために、新婚旅行のときにとったパスポートを久しぶりに見たんだけど、上の写真(2005.02 削除しました)より更に細面。夫が「まるで別人」と言っていたけど、確かにねぇ。
でも、そういう夫も今よりかなり細長い顔をしていて、しかもメガネをしていないので、ちょっと怖い(^^;
窓口のお姉さん、写真を見て一瞬「えっ」と言ったような(^^;;;;
渡辺淳一は、阿部定にとても興味を持っている。いや、定自身よりも、その相手の吉蔵にあこがれに近い感情をいだいているのかもしれない。このままだと定に殺されるかもしれないとわかっていながら逃げなかった吉蔵に。
突っ走る女性の意思を、逃げ腰にならずに受け入れることができれば、それはその女性を愛しているということだというのが渡辺淳一の思想なのかなと、文学館でのビデオや、そこで購入した本を読んで思った。
文学館で購入した本は、『渡辺淳一の世界』という集英社で発行しているもので、直筆のサインが入っている。 A4で250ページ以上あるとても重い本だ。この中には書き下ろしの短編まで入っている。なかなか読み応えのある本だ。
そういえば、失楽園でヒロインを演じた黒木瞳が、98年にSADAで阿部定の役を演じている。
札幌遠征のとき、例によって文学散歩をした。そのうちの1ヵ所、渡辺淳一文学館について書きたいと思う。
さすが現役作家の文学館だけあって、1日中いても飽きないような文学館だった。特に、地下の講義室ではビデオが上映されていて、なんと1本1時間半位! 本当に盛りだくさん。こんなに長いビデオを上映する文学館はめずらしい。どういう経緯で作家になったとか、どういうことを書きたいのかとか、とにかく自分のことを知ってもらいたい、また、ここに来たからには楽しんでもらいたいという熱意を感じた。
渡辺淳一の本は、文庫本になっているものの多くは読んだ。男性の心理を知るのにとても役立つ小説が多い。ただ、読んでいくうちに女性の描き方に不満を持ったりして、ここのところご無沙汰していた。そのあたりのことは、『うたかた』のあとがきで本人がこう書いている。
「男女の小説を、男の視点から書き始めてからほぼ八年になる。それまでは主に女の視点から書いていたのだが、それでは女流作家が書いた女のリアリティーにおよばないかもしれない。しかも女が主人公では、小説を書いているあいだ中、こういうときは女はどう考え、どう行動するかと、常に女形の発想を保ち続けなければならないのも辛い。
ならば一層、男に徹して男を書き、女はそのつど、男の目に映る女としてだけ書こうと思ったのがきっかけであった。むろんこの場合の男は、既成概念でつくられた、いわゆる男ではなく、外見の男らしさのなかに無数のいい加減さや猾さ、曖昧さ、女々しさ、好色さなどをもった、本音の見える男である。
当然、そのなかには、中年の傲慢さとともに、疲れや侘しさ、そして優しさや虚無など、さまざまなものを矛盾しながら内包している。」
確かに、多くの小説では男性は「かくあるべき」男性像として描かれるか、「こうあってはいけない反面教師のような」男性像として描かれる場合が多かった。ただ、何作品も読んでいると、女性のモデルが同一人物のようで、「またか」と思ってしまうのである。そう、女優なら黒木瞳のような。渡辺淳一作品のヒロインは彼女が一番似合う。
そんな中で、伝記物には好きな作品が多い。島村抱月と松井須磨子のことを書いた『女優』や、与謝野鉄幹、晶子夫妻のことを書いた『君も雛罌粟我も雛罌粟』や、北海道が産んだ歌人、中城ふみ子のことを書いた『冬の花火』など、男女の心理についてとても勉強になった。
今回この文学館を訪れて、改めてまた色々な作品を読んでみたくなった。また新たな発見があるかもしれない。
今後のテーマも気になるところだが、それを占うような映像があった。
それはここで見たビデオの最後の方にあった。
ある老人ホームを訪問して、渡辺淳一は、こういうところは男性が少ないから、男性はもてるのではないかと言っていた。それに対してホームの女性が言っていた。
「歳をとると、知性が邪魔しなくなるのでとても正直に気持ちを表現されます。ただ、いざそういうことになったときにうまくいかないと、男性はとてもがっかりされて悶死なさいます。だからそういう気の毒なことにならないように気をつけてます。」
なるほど。やっぱり男性は大変なのね。