10月末から続いたこの連載も、今回が最後になる。
ここで、『卍』と『捨てられる迄』がどのように似ているか、それから『卍』が後の『細雪』にどのように発展していくかについて書いていきたい。
『捨てられる迄』は、体裁を気にし、恋愛においても自分が上位になることを画策し、そのために駆け引きするような主人公が、彼女と交際していく間に、男子としての体裁をあまり気にしないと思われるライバルの存在を知り、だんだんライバルと同じように変化していき、最後にはそのライバルに破れ、最後に彼女の歴史を飾るべく、彼女の前で華やかに死のうと決意するというお話である。
主な登場人物は、翻訳作品を書いている主人公と、その彼女、彼女の義姉、それから彼女と彼女の義姉と妙に親しく、主人公の作品の愛読者でもある男性である。
彼女はこの主人公と、主人公の作品の愛読者である男性とを天秤にかけ、両方にやきもちを焼かせるようなことをする。初めは主人公に分があるような感じだったのだが、主人公が段々ライバルと同じように女性化していくと共に、形勢が逆転していき、最後はライバルがごく普通の男性になって、彼女と婚約することになる。
彼女はそれほど賢いとは思えないのだが、裏に強力なブレインがいた。それが彼女の義姉である。具体的な方法はあまり書かれていないが、彼女の行動を操っているのが彼女であることは、読んでいるうちに見えてくる。私が見るところ、義姉は、ライバルと主人公と、どちらが自分にとって都合がよいかを天秤にかけていたように感じる。ところがよく考えてみると、ライバルは主人公の本の愛読者である。主人公の心の中はお見通しである。このあたりに陰謀が仕込まれているのではないかと気がついた。
で、これを『卍』の登場人物に当てはめると、『捨てられる迄』の主人公は『卍』の園子の夫、彼女と姉の2人の役割を光子とお梅どんが担うということになる。そして、主人公のライバルが、綿貫栄次郎である。
『捨てられる迄』と『卍』で最も共通する部分が、対照的な2人の男性の性格が似てくるというところである。谷崎は一時、ドッペルゲンガーを思わせる物をよく書いていたが、この2つの作品とも、ある人間が別の人間に次第に吸収され、存在ごととって変わられることになる。表面に現れている自分を壊して、中にいる自分を表に出したいという欲求が働いているのだろうか。したがって、主人公には彼女の歴史の一部になると言わせているが、実際にはそんなことではないということは、その7で取り上げた『日本におけるクリップン事件』の引用でもわかると思う。
ということで、『卍』では、谷崎は園子の夫と綿貫の両方の中にいるということになる。ある時点までは綿貫を和田青年をイメージして物語に登場させていたが、和田青年が自分の前からいなくなった頃から綿貫を自分を乗り移らせる存在として使っていた節がある。そこへ和田青年のいきなりの来訪である。そこで、『卍』の方でも園子の夫に「光っちゃん僕を第二の綿貫にするつもりやねん」と言わせ、具体的にどのように似てきたかを表現する間もなく、いきなり閉じた。
柿内園子が未亡人になることと、光子が亡くなることは初めに書かれていたため、その点はなんとかうまく格好がついたという感じである。
もう1つ、『卍』について考えているうちに、『捨てられる迄』の解釈に変化があった。彼女と義姉の関係である。『捨てられる迄』では、主人公以外にも、それまで何人かの犠牲者があったということがほのめかされている。つまり、義姉は義妹を結婚させたくないから、主人公の愛読者と結託して主人公を排除しにかかったという解釈が成り立つ。例によって、そのあたりの謎解きはしないのが谷崎作品なので、これは私の想像でしかないが、結構自信のある推理である。そうなると、『黒白』の真犯人も主人公の作品のファンである人物以外、他の人間ではあり得ないということになるのである。
さて、『卍』は当初は標準語で書かれていたのだが、途中から園子に関西弁を使わせることになった。こうなると、園子については松子夫人を頭に描いているとしか思えない。実際、柿内家のモデルに根津家の別荘を使い、そこに、柿内夫妻の形代に使っていたと思われる妹尾健太郎氏と江田治江さんと、それから谷崎で泳ぎに行っている。で、園子が松子夫人となると、園子の夫が貞之介、光子が松子夫人の妹である信子さんになり、これが後の『細雪』につながっていく。
そうなると、園子の夫に根津清太郎氏をあて、光子(根津清太郎氏と駆落ちした松子夫人の妹である信子さん)に引っ張っていってもらって、谷崎が自分を乗り移らせていった綿貫と園子を残すことで、自分たちの将来を生み出そうとした可能性も考えられなくはない(松子夫人と結婚するつもりはないが)。
谷崎は、『「細雪」回顧』で次のように書いている。
あの吹き捲る嵐のような時勢に全く超然として自由に自己の天地に遊べるわけではない。そこにそこばくの掣肘や影響を受けることはやはり免れることが出来なかった。たとえば、関西の上流中流の人々の生活の実相をそのままに写そうと思えば、時として『不倫』や『不道徳』な面にも亙らぬわけに行かなかったのであるが、それを最初の構想のままにすすめることはさすがに憚られたのであった。
つまり、本来はもう少しドロドロしたものにするつもりだったのだが、時勢柄、あのようにおだやかなものになったということである。『卍』はかなりドロドロしているが、お梅どん等、女子衆を介した関西の上流の家庭同士の行き来のシーンなどを読んでいると、そのまま『細雪』を読んでいるような感覚に陥る。
よく、谷崎の転換点になった作品は、『痴人の愛』なのか、『卍』なのか、『蓼喰う虫』なのかという議論があるが、10月末から2ヵ月の間、このテーマでずっと書いてきた私の結論としては、どうやらそれは『卍』ということになりそうだ。(『卍』と『捨てられる迄』、そして『細雪』終わり)
その6を書いたときまだ途中だった、『黒白』を読み終わった。この作品は、主人公である作家が「人を殺すまで」という作品を書いている途中で、モデルに使った人物の実名を誤って書いてしまったことで、そのモデルが実際に被害に遭う可能性に気づいたところから話が転がっていく。その場合、確実に主人公である作家が疑われるということで、それを回避するために、続編である「「人を殺すまで」を書いた男が殺されるまで」を書こうとするのだが…というお話だ。
結局、続編は間に合わず、予想通りに事件が起き、予想通り主人公が取り調べられ、そこで彼がわざわざ饅頭怖いよろしく自分は痛さに極度に弱いから、拷問などされたらあることないことしゃべってしまうかもしれないなどと言うことによって、自らその方向に飛び込んでいってしまうというところでこの小説は中断している。中断だが、もうこの時点で真犯人が誰か、他の人間ではありえないくらいわかるし、ちょうど主人公のマゾヒストらしいところが出たところで、その続きを書く意味がなくなってしまったのかもしれない。
この作品がまた、主人公の作品のファンによって追い詰められ、最後は破滅させられるというところが『捨てられる迄』とよく似ている。『白日夢』で、昔、従兄弟の妻と恋をした頃を思い出し、芥川との論争のきっかけになった『日本に於けるクリップン事件』では『捨てられる迄』の後に書かれた『饒太郎』と同じように、マゾヒストの心理について力説している。大正13年から連載された『痴人の愛』でどうしようもなく広まってしまい、しかも自分の妻にまで信じられてしまった谷崎の女性の好みに対する「誤解」を解きたいという心理が働いたのかもしれない。
『白日夢』『日本に於けるクリップン事件』と読み進み、『黒白』を読んで、『卍』は芥川の死と関係があるという仮説が確信に変わっていった。谷崎が、芥川の死を自分の中で消化するため、『黒白』と『卍』の2作が必要だったのだと(何しろ谷崎との論争の最中に、しかも谷崎の誕生日の朝に芥川は自殺している)。
よく、『卍』と『蓼喰う虫』は双子の作品と言われる。確かに、完成した作品だけを見て、和田青年とのことをキーにすればこの2作が双子になる。しかし、『卍』は『黒白』と同時に昭和3年3月から発表されたのである。私は、『卍』は、『黒白』の中で描かれる、ある人間がある意図を持って誰かを死に追いやる作品をイメージして書かれた、まさに『黒白』とセットの作品なのだと思う。
『卍』は、何らかの事情で自殺をしたい徳光光子が、何の関係もないけどどうやら自分のことを好きだと思っているらしい柿内園子、およびその夫を心中に巻き込もうと画策し、結果、園子には自分の生きた証を預け、園子の夫と心中するという結果で終わっている。何らかの事情で自殺をしたいというのは私の想像だが、最後、無理やり心中へ持っていったのは、明らかに光子なのである。
芥川との論争は、谷崎が『日本に於けるクリップン事件』で次のように書いたことから始まった。谷崎が本来注意を留めて欲しかっただろう部分、筆の勢いなのに芥川に取り上げられてしまった部分を合わせて引用する。
私は讀者諸君に向つて、此の事に注意を促したい。と云ふのは、マゾヒストは女性に虐待されることを喜ぶけれども、その喜びは何處までも肉體的、官能的のものであつて、毫末も精神的の要素を含まない。人或は云はん、ではマゾヒストは單に心で輕蔑され、翻弄されたゞけでは快感を覺えないの乎。手を以て打たれ、足を以て蹴られなければ嬉しくないの乎と。それは勿論さうとは限らない。しかしながら、心で輕蔑されると云つても、實のところはさう云う關係を假に拵へ、恰もそれを事實である如く空想して喜ぶのであつて、云ひ換へれば一種の芝居、狂言に過ぎない。何人と雖、眞に尊敬に値ひする女、心から彼を軽蔑する程高貴な女なら、全然彼を相手にする筈がないことを知つてゐるだらう。つまりマゾヒストは實際に女の奴隷になるのではなく、さう見えるのを喜ぶのである。見える以上に、ほんたうに奴隷にされたらば、彼等は迷惑するのである。故に彼等は利己主義者であつて、たま〳〵狂言に深入りをし過ぎ、誤つて死ぬことはあらうけれども、自ら進んで、殉教者の如く女の前に身命を投げ出すことは絶對にない。彼等の享樂する快感は、間接又は直接に官能を刺戟する結果で、精神的の何物でもない。彼等は彼等の妻や情婦を女神の如く崇拝し、暴君の如く仰ぎ見てゐるやうであつて、その眞相は彼等の特殊な愉悦を與ふる一つの人形、一つの器具としてゐるのである。人形であり器具であるからして、飽きの來ることも當然であり、より良き人形、より良き器具に出偶つた場合には、その方を使ひたくなるでもあらう。芝居や狂言はいつも同じ所作を演じたのでは面白くない。絶えず新奇な筋を仕組み、俳優を變へ、目先を變へて、やつて見たい氣にもなるであらう。
芥川は、この最後の、「絶えず新奇な筋を仕組み、俳優を變へ、目先を變へて」というところに反応した。志賀直哉の『暗夜行路』を読んでから、それまでの自らの作風を後悔していた芥川は、ここに谷崎批判の最初の一声を上げるのである。
実際芥川は、その後一生懸命志賀直哉風の心境小説を書いていたようだ。そして確かに当時の谷崎は『痴人の愛』が成功した以外、随分長いことスランプに陥っていた。この当時の谷崎は、まだ自分の中にある理想の女性像の原点を認識できておらず、自分が理想としている女性像を見つけられていなかったのかもしれない。それを感じた芥川が、谷崎が作品を書く精神について、芥川が自分に引き寄せて「材料を生かす為の詩的精神がない」と指摘したのが、『文芸的な、あまりに文芸的な』である。
ところが、その第1回の谷崎への文章を読んでいると、谷崎を挟んで佐藤春夫に対するやきもちまでほの見えてくる。
それを読み取ったからなのだろうか、昭和2年3月、佐藤夫妻と谷崎夫妻と芥川の5人で芝居見物をし、その帰りに谷崎と芥川の2人だけで大阪の旅館に泊まっている(『当世鹿もどき』では、なぜかそれを大正15年末のことと書いている。しかも2度も。その時期を、どうしても論争と結び付けたくない意識が働いたのかもしれない。)。
さて、ここからは私の推測なのだが、この時、芥川は谷崎とできれば心中したいと思っていたのではないだろうか。この時、芥川はダンスホールに行く谷崎のタキシードか何かのボタンを、谷崎の前に膝をついて嵌めてあげる等、尋常ではない行動をとっている。だから、芥川のファンだった松子夫人が芥川に会いに来たいと言っていることを知った谷崎が、気の進まない芥川に対して一緒に会ってくれよと口説いたのに対して
「少し馬鹿々々しいやうな氣がするな」
と言っていたのかもしれない。
結局この出会いにより、芥川が谷崎に言いたかった、当時の谷崎の不足な点が埋められることになった。晩年、谷崎が『当世鹿もどき』で改めて「芥川龍之介が結ぶの神」としてこのことをあえて取り上げる気になった理由がわかる気がする。
前回の記事を書いていて、「ああ、これまで谷崎は善か悪か、白か黒かばかり書いてきたけど、これでグレー(さらに深化して陰翳)を知ることになったのだなぁ」などと思っていたところ、そういえばこの頃、『黒白』という小説を書き、中断したままになってしまったことを思い出した。そこで、図書館でこの『黒白』の入っている谷崎潤一郎全集 第十一巻、網野菊のことも知りたかったので、自筆年表と『震災の年』というエッセイの入っている『網野菊全集第三巻』、それから『卍』の連載回数をはっきり知りたかったため、改造目次総覧の収録されている「雑誌『改造』の四十年」を借りた。
まず、『震災の年』で、網野菊が一緒に旅行に行き、震災に遇って京都に行った相手がやはり湯浅芳子であったことを確認。それから『卍』の連載回数は合計22回。特に、昭和5年の2月3月号は休載して、4月号で最終回になったことを確認。結局1月2月は難航どころか書けず、そのまま4月号で閉めたということが確認できた。
そして『黒白』だ。この作品は、『卍』と同時に連載が始まった作品である。まだ読んでいる途中だが、谷崎の作品においてのモデルの名前の付け方からくる問題や、これまで作品中で千代夫人を思わせる人物を何度か殺害して物議を醸したことなども出てくる。この時期は、和田青年と千代夫人に家を明け渡し、自分は一人ですぐ近くの家に下宿のような形で住んでいたためか、冒頭から病んだ空気が漂っている。
しかし、この作品に入る前に、いきなり冒頭の大正15年に書かれた『白日夢』に注目することになった。後に谷崎の弟子と自認する映画監督によって、妙な話題を作られてしまった曰くつきの作品である。
この作品は、歯科医院を舞台にしているのだが、ここに患者として来た青年が、麻酔で意識を失っている間に見た夢のお話だ。
患者は、谷崎の子供時代そのものの少年、令嬢、青年、その他何人かがいる。少年が結局痛さに耐えられず治療せずに去った後、令嬢が呼ばれ、次に青年が呼ばれ、2台ある治療台のそれぞれに坐るところから話が転がっていく。
この令嬢の名前が葉室千枝子。千代夫人の実妹せい子さんの女優としての名前である葉山三千子の葉山と、千代夫人の千代子を合わせたような名前だ。この女性が青年の夢の中で、青年によって殺害される。そして、夢の中で死んだ彼女を思うさま罵る。
淫婦! 淫婦! 淫婦!
と。これを読んで、「ああ、この頃すでに千代夫人と和田青年は不倫の関係になってしまっていたのだな」と感じた。
そして、この作品の舞台が歯科医院だということで、なぜこんなに似ているのだろうと思っていた『卍』と『捨てられる迄』がつながった。和田青年との件は、その昔、従兄弟の奥さんと恋仲になったことに対する報い(この従兄弟は、事件後歯科医になった)だと思ったのかもしれない。
この作品では、千代夫人を嫉妬によって、計略など使わず、公衆の面前で殺害し、自らも公衆から人殺しと罵られるという、これまでの谷崎の作品にはない方法がとられたことにも驚く。谷崎がこれほど正面から夫人に対する感情を作品にぶつけたことがあっただろうか。この時期、せい子さんが別の男性と暮し始め、姉妹が二人とも自分から離れていってしまったように感じたことも、このネーミングと激しい行動の裏にあるのかもしれない。そして、あえて葉山と結びつけやすい葉室とつけることで、これは千代夫人ではなく、せい子さんがモデルであるかのように誤魔化したかったのかもしれない。
『卍』は、雑誌「改造」に昭和3年3月から断続的に連載され、5年4月で終わった。その間、確認している範囲で4年6月と4年11月に休載されているので、計24回ということになる。
新潮文庫版を見ると、その33で終わっている。ということは、1号に1~2話ということになる。江田治江さんが助手を引き受けたときには、少ししか進んでいなかったという証言があるので、当初は1号1話だっただろう。そして、江田さんが助手を担当したのが4年の2月号からなので、『卍』の連載が始まってから12号目からということになる。
ところで、昭和4年2月には、松子夫人の夫、根津清太郎氏が、松子夫人の実妹信子さんと駆落ちしている。1月に松子夫人が恵美子さんを産んだばかりの時である。
その九、その十では、綿貫と光子が宿屋で着物を盗まれるという事件が起こり、園子が光子と揃いの着物を届けるという事件が起きている。もしかしたらこの件も参考にされているかと思ったが、んー、少し時期がずれているか。
でも、駆落ちをする前に、ここまで行かなくても、松子夫人がこの2人のことを知らざるを得ない事件が起こっていたとしたら、それをその九~その十へ続く事件の参考にしたということもありえる。
これに続いて、今度は光子の妊娠事件が起こる。これは、結局光子による狂言ということになるのだが、このリアリィーは何だ。もしかしたらここでは千代夫人の妊娠・中絶騒動が、ある程度そのまま写し取られたのかもしれない。ただ、今の感覚からすると随分と乱暴なと思える表現があるが、当時の闇で堕ろさざるを得ない社会状況と、結局光子の狂言であるということを考慮しての表現と思えば納得はいく。
綿貫の容姿は前にも書いた通り、和田青年に思える。
そこでよーく名前を見てみると、苗字は和田青年で、それに松子夫人の夫、根津清太郎氏の清太郎と、和田青年の六郎、ほんの少し、谷崎の弟精二が組み合わさったような名前である。細江光著『谷崎潤一郎―深層のレトリック』によると、この当時、谷崎は千代夫人に母を重ねていたということなので、和田青年は「母」の恋人、松子夫人にはお嬢様育ちの母のイメージを重ねていたと思われるので、根津清太郎氏は「母」の夫、谷崎の弟精二は、実母に一番可愛がられていたということなので、この3人の共通点は、「自分に向けられるべき母の愛情を横取りする人」ということになる。単純に、当時の谷崎を苦しめていた人間を集めたともいえるが(^^;
この綿貫が、だんだん悪役化していく。もしかしたら実際に証文がどうのこうのに近いこともあったのかもしれない。佐藤春夫への手紙の中にある君を呼んだためニどうなつたかうなな(ママ)つたと、あとで文句が出てハ困るを読むと、特にそう思う。実際、弟精二とはこの当時、親類の借金のことで証文がどうのこうのというやりとりをしているので、そのこともあって証文という表現を使ったとも考えられる。
しかし、「百%安全なるステッキ・ボーイ」という悪口はひどい。これは、その頃にはこのキャラクターにその当時の谷崎自身を埋め込んできた結果だと思われるが、東京にいる和田青年にはこれがどう映るだろうか。何しろ容姿は自分だ。和田青年を知る周囲の人間にも、たぶん登場時からこのモデルは和田だと思われていただろう。いくら小説の中のことだと言っても、これが自分に対する中傷と受け取らないとは限らない。
実際、和田青年は、谷崎家から京都に陶芸の勉強に通っていたという経緯がある。園子と光子が通っていた技芸学校と重ねると、千代夫人に会う口実もあるとしても、一言何か言いたくなったかもしれない。
ちなみに、ステッキ・ボーイというのは、新潮文庫版の解説によると、ステッキ・ガールという、当時東京の銀座に出現した新しい風俗で、散歩の際、ステッキ代りに同伴する代わりに一定の料金を取る女性の男性版として造られた言葉だそうである。
ここでは、アクセサリー代わりに連れて歩け、しかも一定以上の関係になることは百%ないという意味だろう。
ところで、千代夫人に母を重ねているという件についてだが、宮本徳蔵著『潤一郎ごのみ』を読んでいたら、昭和7年に書かれた谷崎の『正宗白鳥氏の批評を読んで』という文章から次のような引用を見つけた。
私の近頃の一つの願ひは、封建時代の日本の女性の心理を、近代的解釈を施すことなく、昔のままに再現して、而も近代人の感情と理解に訴へるやうに描き出すことである。女大学流の道徳や倫理を信じそれに縛られてゐる一人の女性を、眞に生かして書いてみたいのであるが、何事にも慎み深く、感情を殺すことばかり馴らされて生活し、夫以外の男子にはめつたに顔を見せなかつた往時の女子を主人公として、その微妙な心の動きを写し出すことは容易ではない。見かけは貞女のやうな女にも、形に表れない不倫な恋があつたであらうし、嫉妬、憎悪、残虐、その他いろいろな背徳な感情のかげが淡く胸中を去來したのであらうが、それらを少しも外に出さないで、内部でばかり生きてゐたさう云う女を、彷彿と浮かび上がらせることは極めてむづかしい。
これは松子夫人の妹で、後の『細雪』の主人公雪子のモデルである重子夫人を思い浮かべて書いていると思われるが、途中に現れる「形に表れない不倫な恋があつたであらうし」というのは、まさに若く美しかった頃の母をイメージしているのだろう。谷崎にとって幼馴染である笹沼源之助氏と並んで善人の代表だった千代夫人が和田青年との不倫に堕ちたことにより、千代夫人を、若くて美しかった頃の母に重ねたということも、確かに考えられる。(その6に続く)
その2には、まだ誤りがあった。最も肝心な手紙の日付である(T_T)。江田治江さんが手紙を受け取ったのが昭和4年1月25日、同日付と書いた佐藤春夫宛の手紙は、2月25日付だった(その2の該当個所は修正済)。
ということは、その2で書いた前提が危うくなる。1ヵ月あれば状況の変化もあるだろうから。
ただ、「過日来君ニ会いたい心切であつたが、君を呼んだためニどうなつたかうなな(ママ)つたと、あとで文句が出てハ困ると思ひ差支へてゐた。」という状態を考えると、谷崎の心境としてはやはり佐藤春夫にこの話をつぶしてもらいたかったような気がする。というのは、あとで文句が云々というのは、谷崎自身が『卍』で疑心暗鬼な話を書いていたし、独身の青年からすれば、そのように思うのは当然と思うからだ。
それから、その1で「微妙な一年を過ごした」と書いたが、たぶん昭和4年5月の時点で完全にこの話はなしということになっていたのだろう。昭和4年5月2日の佐藤春夫宛の手紙に次のようなものがある。
先日はお騒かせした、來てもらはないでもいいやうになつた、本月十四日母十三回忌につき十日前後妻子同伴上京、宿をホテルにする豫定也
覆 水 返 盆
この春は庭におりたち妻子らと
茶摘みにくらす我にもある哉
をかもとの宿は住みよしあしや潟
海を見つつも年をへにけり
いづれ拝顔の節萬〃
五月二日
いろいろな意味の含まれている手紙だと思う。特にタイトルの「覆水返盆」だが、確か瀬戸内説では、小田原事件で壊れた話を復活させるぞという意志表示の意味もあるとのことだったが、この時点では、単に和田との話が壊れ、別れないで済んだという意味のような気がする。 で、1句目はなんかホッとするような感じが漂い、2句目は、その結果、これからも続くことになった家庭について思うときの微妙な感じが含まれているような。
となると、昭和5年の和田青年のいきなりの来訪には、『卍』に関わることしかその理由はつけられなくなる。それだけでわざわざ出向くには弱いかもしれないが、そこに終平さんの思惑(昭和4年のときは嫂が和田青年のところに行ってしまうのを壊したかったが、今度は嫂を佐藤春夫に取られるのではないかと不安)による後押しがあればと思うのは、私の考えすぎだろうか。
さて、その『卍』の内容だが、想像以上に実生活が反映されていたように思う。そしてその反映は、その九から始まる事件での綿貫栄次郎の登場から始まったのではなかろうか。
この作品の場合、当初は実生活とは別の次元で、恐らくは昭和2年の芥川龍之介自殺から端を発してこの作品を書く動機が生まれたのではないかと、私は思っている。つまり、自殺をしたい人間が、一人で死ぬのが心細いのか誰か道連れを求める、そしてついに心中に至る、その過程を描きたかったように思うのだが、目の前に心中もしかねない恋愛事件が出現したために、筆がそちらに移ったのではないか。『卍』のその九から次々と起こる事件の緊迫感は、もしかしたら現実にこれにかなり近いことが起こっていたからなのではないだろうか。(その5に続く)