札幌遠征では、4ヵ所のラーメン屋さんに行った。
まず、9月19日に「純連」。かなりしょっぱかったけど、これくらい濃いとみその香ばしさが出て、私は結構おいしいと思った。マサノリは珍しくしょっぱすぎると言っていたけど。
20日には「てつや」。しょうゆ味のラーメンを食べた。とんこつ醤油の上に背油と、かなり濃厚なスープだが、マサノリ曰く、純連よりはしょっぱくないから良いとのこと。私もまあ美味しいと思った。ただし、麺がかなり固い。急いで食べると胸につかえるかも。
21日は旭川で「蜂屋」。20日にてつやで食べたあとに、富良野に移動、21日に小樽へ移動する途中、旭川に寄ったのだ。なんでも義父がこの地に住んでいたころからこの店はあったそうだから、そうとうの古い店である。
このラーメンは、アジの丸干しの味がスープに色濃く出ている。一口食べたとき、正直この味はマサノリはダメなのではないかと思ったが、そうでもなかったようだ。不思議である。
22日、札幌に戻って「五丈原」。行列が出来ていた。ここは東本願寺札幌別院のそばで、外で待っている間は御香のにおいで落ち着いて並べるし、中に入ってからも、待つのに退屈しないように新聞や雑誌が置いてある。
食べたラーメンはとんしお味。チャーシューがとろけるようで、味もマイルド。後味にミルクの味がしてとても美味しかった。また、ほとんどの人が注文するチャーシューおにぎりもおいしかった。かなり大きなおにぎりだけど、あっという間に食べてしまった。
ここで面白かったのは、最初、おとなしい男の人と学生アルバイトばかりで、カウンターで食べている人も実にゆっくり食べてて、正直、「回転悪いなぁ」と思ったが、途中でおかみさんらしき人が出てきてからは、心遣いを示しながらチャッチャッと元気良く捌いていて、とても頼もしかった。この人が出てきたら、1人のアルバイトの男の子が状況も考えずに一生懸命その日にあったことなどを話し掛けていた。小さい子供がお母さんに話し掛けているようで面白かった。男性ばかりのラーメン屋さんが多いなかで、この店はとてもアットホーム。常連になりたくなる店だった。
こうやって書いてみて、今気づいたわ。1日1軒行ったのね(^^;
札幌公演の初日、会場に行く前に蟹を食べた。
出かける前に夫がホテルから予約した。
「2人で予約をお願いします。ただ、1人魚が全くダメな者がいるんですよ。なので、蟹でコースにしてほしいんですが。」
この話を聞いていて、思わず目を剥いてしまった。魚が全くダメなのは、ほかでもない夫マサノリである。まるで他人事のように言える夫の図太さに、いや~驚いた驚いた(^O^)
そのおかげで蟹をたくさん食べることができた(たくさん過ぎたが) 。ただ、ここでいきなり大変な贅沢をしたため、その後4日間はラーメンが主体になった。まあ、ラーメンも今回の旅の目的の1つなので、その辺は問題ない。
それにしても、夫は行く前からカニカニと騒いでいた。蟹は夫の大好物である。が、これが超わがままな大好物なのだ。どのようにわがままかというと…
まず、毛蟹のほぐしたものと、甲羅に入ったみそが出てきた。1人1つ。ほぐした蟹にみそを混ぜながら食べてくださいということだった。なんて贅沢! 私は嬉々として食べ始めた。が、夫はみそが嫌いである。夫の分のみそは私に回ってきた。何てラッキー!
次に出てきたのが、雌のタラバガニ。内子と外子付き。珍しい! これにも私は大感激! が、夫は内子と外子のようなものも食べない。これらもすべて私に回ってきた。少しつらくなってきた。
その後、向付(毛蟹の刺身)、焼き物(タラバガニの焼き蟹)、揚げ物(毛蟹の甲羅揚げ)と出て、ご飯(雑炊)になった。もう胃袋はパンパン。あとは水菓子だが、ここで時間がなくなってきた。涙をのんで水菓子をパス。急いで会場に向かった。
こんな贅沢は今までしたことないし、珍しいものも食べられてとても嬉しかったのだが、その後が大変だった。コンサートが終わった後、ホテルに帰ってからも胃が膨れてつらかった。翌日薬局で胃薬を買った。
きつければ残せばいいんだけど、貧乏性な私にはそれが出来ないのよねぇ(^^;;;
『ささいなことでカッ!となる男たち』という本を読んだ。
これによると、ささいなことで怒る男の人は、父親もそうだったことが多いそうだ。
理不尽な怒りを受けて育つと、知らず知らずのうちに心の中に怒りを貯め込むそうだ。そして、その子供もささいなことで怒る大人になるそうだ。
実は私の父がそうだった。この本では男性について書いてあったが、女性でも程度の差こそあれ、知らず知らずのうちに父親と同じような怒り方をしていることがある。
星一徹にあこがれる人もいるが、ちゃぶ台をひっくり返してはいけないのだ。
アメリカでテロがあった。これはささいなことではない。大事件だ。
罪のない人の命がたくさん奪われた。理不尽に。でも、テロが繰り返される背景は、長い歴史を遡る。
怒りから怒りが生まれ、その怒りのために更に新たな怒りが生まれる。
何とかならないものだろうか。
金沢遠征の帰りに内灘から千里浜のアカシア群生地を眺めながらドライブしたことは、その34で書いた。このとき、銭屋五兵衛記念館を見てから行った。そこで、『銭五の海』上下2巻を買った。
北前船については、前回北陸へ行ったときからとても興味を持っていた。
この本の中に出てくる、金沢から宮腰への一本道「宮腰往還」(現金沢街道?)、砂丘、砂浜、松林など、今回車の中から見た風景を思い浮かべながら読んだ。この松林に、その後アカシアが植えられてあのように松とアカシアが競って生えているのだろうか。
北前船主。当時の男性にとっては憧れの最たる職業だっただろう。命を張った一攫千金、海をまたぐ大きな商売。どれも男性の心を魅了する。でも、それを商売として続けていくにはそれなりの知識や資質が必要だった。
今回読んだ銭屋五兵衛と、その直前に活躍した高田屋嘉兵衛。この対照的な生い立ちと性質を持った2人については、さらに興味が深まった。また、北前船は、何もこの2人だけではない。その他にもたくさんの北前船主がいた。その人たちと、時代の変遷についても深い興味を持っている。
特に、情報格差によって大きな商売ができていたものが、通信の発達によってうまみがなくなり、だんだん衰退していった状況というのは今の状況、これからの状況に似ているのではないだろうか。1つの産業が生まれ、衰退し、さらに形を変えた産業が出現してくる過程など、歴史から学ぶことは多い。
それにしてもこの「銭五の海」、新潮文庫から出ているが、2話に1つはお色気シーンが出てくる。読み物としての構成なのだろうが、電車の中で読んでいるときにこういうシーンに出くわすと、気恥ずかしい(^^;;;
2001.09.15
銭五が罪を得て獄死するきっかけとなった「河北潟投毒疑惑」。
この史実に学ぶことも多い。
その34で書いたが、先日の石川遠征のときに芭蕉の句碑めぐりをした。
今回の最初の句碑、本長寺の「春もやゝ気しき調ふ月と梅」のときのこと。
見終わって、さて忍者寺へと歩き出したときに、私のおでこにくもの巣がぶつかった。思わずギャッと声をあげてしまった。かなり弾力のあるしっかりしたくもの巣だった。
この句碑は、境内の中の本当に目立たないところにある。普段、あまり人は訪れないのだろう。
私のギャッという声が聞こえたのか、隣のらくがん屋さんのご主人が境内に入ってきた。
「芭蕉を探してるんですか?」
素敵な表現である。
ご主人は、このお寺に芭蕉の句碑があることを知る人が少ないことを嘆き、このお寺の景色を見るのは自分の家からが一番きれいであることや、周囲のお寺の事情などを次々と話された。その話し振りに、あらためて訪れる人の少なさを実感した。
忍者寺を拝観後、願念寺、成学寺、犀川大橋と続き、その後タクシーで長久寺(ここは前田利春の三女で利家の妹・津世の菩提寺で、樹齢400年近くの銀木犀でも有名)に行ったとき、60代くらいの女性が入ってきた。私たちを見て
「おたくさん、早かったですねぇ」と言われた。
私の体調があまりよくなかったのと、チェックアウトの時間が迫っていたために、タクシーを使ったのだ。
この方は、ここに来る前にお会いしていたようである。記憶はあるのだが、どこで会ったかははっきりしない。
「おたくさんも芭蕉の句碑を探してるんですね」
これに対して、マサノリが
「ええ。こっちに来たのでついでに…」
みるみる女性の顔が曇った(^^;
「いや、今回、金沢に来る用事があったので、この機会にぜひと思いまして」
とマサノリ即座にフォロー。焦った焦った(^^;
そこからお話が始まった。
この女性は昭和40年代のガイドブックを持って、芭蕉の旅をしているそうである。でも、なにぶんにも40年代のガイドブック。道路は変わっているし、句碑はその間に別の場所に移されてることも多い。すっかり迷ってしまい、人に聞いたりしたが、芭蕉の句碑の場所がわかる人はとても少ない。犀星の歌碑の場所を教えた人もいたそうである。話すうちに声のトーンも上がって行き、体調不良のため途中でタクシーの中に入っていた私の耳にも熱弁する彼女の声が聞こえてきた。
そんなこんなしているうちに別のタクシーが入ってきたので、私の乗っているタクシーが動いた。
「あら、タクシーで来たの?」
この時になって気づいたようである。ちょっと厳しい調子をもって言われてしまった(^^;
興味を持って調べていることや、趣味の世界については、わかってくれる人が近くにいないととてもさびしい。普段なかなか思い切り話すこともできない。
芭蕉についても、研究者だったら学会やネット等を通じていろいろ話をする機会もあるだろうが、そういう手段を持たない愛好家もいる。頭の中に山のようにあるあれこれを心おきなく話し合える仲間を真剣に求めているのを感じた。