この作品の舞台になった、昭和5年頃の文芸春秋には、この小説にも出てくる「婦人サロン」の記者として、後に谷崎潤一郎の妻になる古川丁未子さんが入社していた。
丁未子さんは、大阪府女子専門学校卒業後、当時、谷崎の秘書をしていた同級生の江田治江さん(後に、ラブレターズで何度も登場している『谷崎家の思い出』を著す)を通じて、谷崎に紹介を依頼した。
なんやかやあった後、最初に勤めたのが、関西中央新聞社だった。谷崎を通じて岡成志氏に頼み込み、「先生の推薦ならきっと立派な人と思いますから」ということで決まった。
このときの様子を『谷崎家の思い出』には、
そこで、チョマさんの記者生活の第一歩が踏み出された。二人で挨拶に来た。私は、「チョマさんはご覧のように美人だし、誠に純粋な善意の人だから虫のつかんように、岡さんナフタリンになったげてちょうだい」とこんこんとたのんだ。先生も、よかった、よかった、と心から嬉しそうで、二人で時々やって来たまえと、いつになく愛想がよい。当時、岡さんは阪急六甲に住んでいて、私共の倍の年齢で四十五、六歳だったろうか、男としては誠にお気の毒な評価だが女性をあずけても大丈夫という自他共に太鼓判つきの人だから、父親のような気持ちでチョマさんは甘えて色々と指導を受けていた。
と記されている。
岡氏によると、仕事はもう一つだったらしいのだが、この就職は彼女にとって誠に幸せなものだったようだ。
関西中央新聞社に入社して1年半後、自信がついたのか、東京で働きたいと再び江田さんにせっついた。谷崎は普段紹介状を書かない人なのに、菊池寛に入念な依頼状を出したことにより、「婦人サロン」の見習い記者として採用された。
彼女が文芸春秋社に入社した頃のことについての資料を、エキサイトブログで見つけた。
この記事に、当時の文芸春秋の社中綴り方の記事が引用されていた。又引きで申し訳ないのだが、ここに引用させていただく。この引用の前に、丁未子さんによる新入社員のご挨拶も引用されていたが、それは上記リンク先の方で読んでいただきたい(今度は『幻の朱い実』を読まなくては(^^))。
月 日
新入社の婦人記者古川丁未子嬢俄然、断髪で現はる。逸早くこれを発見した馬海松「おや古川さん断髪したね」といへば、「髪はどうしました」と大草實、捨てましたと聞いて、あゝと感慨無量の態、これは、これ亦、新入社の科学青年立上秀二。
月 日
女気のなかつた社へ婦人記者一人女給仕三人合計四人の匂ひが漂ひ出した。
「俄然賑かだなあ」と、ダンスの相手が見附つたような顔をしたのが大草實。[…]
月 日
新入生古川丁未子から「編輯室のエライ方々」と片カナで偉い方々扱ひされた連中、すつかり憤慨して「おひやらかすないあまつちよ。」は少し乱暴だが、中に人の悪いの「此綴り方は丙までいかない丁未だ、フン」
『谷崎家の思い出』によると、丁未子さんは、第一印象がすこぶる悪い人らしく、このときも、どうやら失敗したらしい。上のエキサイトブログの次の記事中にも丁未子さんの綴り方が引用されている。女性が増えて、「屹度来年は景気のいゝ年であらう。」などと書かれているが、このとき昭和5年12月。
昭和5年の夏に入社し、12月に谷崎と東京でデート。翌年1月に婚約してしまった(^^;
しかもこの結婚、周囲は全員大反対。菊池寛も反対だったらしい(そりゃそうだよなぁ)。賛成したのは江田さんただ一人というありさまだった。
ところで、上の引用に、馬海松が登場し、丁未子さんに、「おや古川さん断髪したね」と声をかけている。『こころの王国』でも、「わたし」にいきなり無遠慮なことを聞いているが、こういうことをサラッと言える人だったのね。しかもとびきりの美男なんだから、そりゃあモテたことでしょう。
『谷崎家の思い出』によると、丁未子さんはとっても面食いで、しかも惚れっぽかったらしいので、このときはきっと目にハートが浮かんでいたのではないかしら(^^)
前回、今回と、菊池寛のことは二の次という感じで書いたので、次回は、いよいよ菊池寛について、あの『真珠夫人』と絡めて書こうと思う。
先月下旬、ヒデさんから映画『丘を越えて』のご紹介があった。菊池寛のお話ということなのでぜひ見たかったのだが、残念ながら期間中に行けそうもなかったので、原作である猪瀬直樹著『こころの王国』を購入して読んだ。
原作の『こころの王国』というタイトルは、菊池寛が『心の王国』という短編戯曲集を出していたところからつけたものだそうだ。著者は、この戯曲集が、夏目漱石の『こころ』を意識しているという仮説のもと、主人公の「わたし」と、モダン日本の編集長だった、馬海松という美青年、いずれも実在の登場人物に語らせる形で著者の思う菊池寛像を描いている。
この作品は、「わたし」という菊池寛の秘書が、一人称で語る形で描かれている。が、読んでいると、ところどころに文体の破綻が見られる。そのたびごとに「おっとー」とずっこけていたが、その後、この「私」のモデルになった人が書いた本があるということを知り、その本、佐藤みどり著『人間・菊池寛』 (1961年)を入手したことで、この作品の成り立ちが推測できた。
『こころの王国』の巻末には、多くの対談が入っており、それも興味深いのだが、今回、この一文を書くにあたってもう一度あとがきあたりを見直したところ、著者による次のような記述を見つけた。
「わたし」のモデルである佐藤碧子さん。彼女との二年間にわたる問答や、『人間・菊池寛』などの著書、作品から多くのインスピレーションを与えられた。
『人間・菊池寛』は、2003年に新風舎から新たに出ているが(現在は古本でしか入手不能)、『こころの王国』はその前に連載されたものであり、この作品の下敷きになったのは、1961年のものと思われる。
1961年の新潮社による『人間・菊池寛』の裏表紙には、秘書時代の佐藤みどり氏の写真と川端康成による評が掲載されている。『こころの王国』の「わたし」と違い、この作品ににじみ出て来る彼女の実像は、父親に早く死に別れ、その後母親と2人で生きてきたせいか、男女のことに関してはかなり晩生で、その点では信じられないくらい子供である。秘書時代、彼女は日に日にフリルのたくさんついた洋服を好むようになったと書かれているが、その写真を見ると、きっと彼女は菊池寛を父のように慕っていたのだろうと思った。
それだけに、菊池寛と彼女の間に初めて起こった事柄に対する彼女の混乱・失望は大きく、そのあたりの女心が1961年発行の『人間・菊池寛』を読むと伝わってくる。
その作品を出してから40年以上経って、彼女自身が佐藤碧子という名前で新たに作った本も読みたくなった。古本で1冊見つかったので、早速注文した。(つづく)
10日、久しぶりの真夏のような暑さの中、実家の母のねんきん特別便についての相談に行ってきた。
ねんきん特別便に書かれた記録は、見た時点では母の記憶と一致しており、加入記録に「もれ」や「間違い」はなかった。が、もれや間違いがなくても旧姓を記入するように書かれており、これがどういう意図なのかがいまひとつわからず、不安なので担当の人の前で相談しながら記入しようということになったのだ。
行った先は、年金相談センター。こちらのページによると、年金相談センターというのは、社会保険事務所の混雑緩和のために全国の大都市に設けられている施設のようだ。ただ、受付の年配の男性は、ねんきん特別便の相談者が来ると、ほとんど何も聴かずにただ相談申し込み用紙に名前等を書いて順番を待てという指示をされる。
母の場合は記入すべきところがこれで良いのかだけを聞きたいわけで、さらにまた新たに別の用紙にも何かを記入して、20人近くの順番を待たなくてはならないというのは、母も私も少し納得しかねるところだった。
そこで、なおも何か訪ねようとすると、この方にとっては、どうも、ねんきん特別便の業務は自分の本来の仕事ではないという意識をお持ちのようで(実際、あとから来た人に、本来の業務はこちらのようなことで云々と言っていた(^^;)、かなり面倒なようだった。
さて、待つこと2時間くらいでようやく順番が回ってきた。
相談ブースで早速用紙を見せると、担当の方がそれらの用紙を確認。まず、母の旧姓を尋ねた。
母が旧姓を言うと、早速端末で確認。母の名前の読み方が、別の読み方もできるということで、その分も合わせて端末を確認してくださった(母の名前は、普通はそうは読まないでしょうというような読み方をする)。
そうすると、出てきた出てきた。案の定名前を読み間違えて登録されていたものがあったのである。
母としては、父と職場結婚した会社より前に、短い期間臨時雇いのような形で勤めていたところだったため、まさか払っていたとは思いもしなかったようだ。
ちなみに母は現在年金受給中である。この結果により、修正が決まるまでにはさらに1年くらいかかるそうである。
それにしても、行ってみるものだ。待っている間のモヤモヤした気持ちが一気に吹っ飛んだ。面倒でも確認するのは本人のためなのだ。
ただ、ねんきん特別便の説明が不親切なために、送られた人それぞれが気を揉まなくてはならないのと、新たな業務が増えた人にとっては迷惑な事態になっているようだ(相談の担当の方はとっても親切だったけど)。
会社が変わるごとにその会社の担当者がさっさと新たな番号を作ってしまうということが多かったり、年金受給の際には自分で請求しないと支払われないという、この制度の運用自体に問題があった分、ここに来て、国民全体が大変な労力とコストを支払わされているということだろう。
なお、社会保険庁のホームページには、ねんきん特別便コーナーというページがあり、一応どのように記入すべきかの説明があった。でも、転職歴があったり、改姓していたり、名前が読みにくかったりする人(って、該当する人はかなり多いと思うけど)は、面倒でも確認に行くことをお勧めする。
手続きが終わった後、お茶しながら、母の記憶の奥から引き出されてきた思い出話を聞くのも面白かった。
ラサール石井著『笑いの現場―ひょうきん族前夜からM-1まで』を読んだ。
ユーミンカタログの中のコンテンツである、「なか見検索」新着順索引に登場したことから興味を持って、購入したものだ。
この本では、第1章で、ラサール石井がお笑いの世界に入ったきっかけから、コント赤信号の活躍を通して、これまでのいくつかのお笑いブームについての考察や、その副産物としてのお笑いの地位の向上、テレビ界の変遷などが語られる。第2章では、お笑い芸人列伝と題して、ビートたけし、明石家さんま、志村けん、とんねるず、ダウンタウンが取り上げられ、それぞれの笑いの違いが論じられている。
新書ということで、文字がギッシリと詰まっているものだが、ラサール石井の分析力と文章力で、読みやすくて説得力のある本になっている。
お笑いの地位向上を印象つけるものの代表としては、ひょうきん族にサザンオールスターズやユーミンが出演し、「アミダばばあの唄」を作曲したり、エンディングテーマを歌ったりしたこと、さんまさんがお笑い界で初めて女優と結婚したことが取り上げられている。
本の中では書かれていないけど、「アミダばばあの唄」は桑田さんが作ったのよね。そして、ここでエンディングテーマと書かれているのは、ユーミンのあの曲(^^)。
ということで、YouTubeで貴重な映像を見つけたのでここに貼付。
こういうものを、こうやって見ることができるなんて、いい時代になったわねぇ(^^)
テレビ界の変化については、そのつど番組制作の方法の変化や、それが各テレビ局に波及していく様子などが書かれているが、その中で1つ引っかかったところがある。
ひょうきん族以降に確立されたものらしいのだが、次のようなテレビ局の出世形式のことだ。
プロデューサーやディレクターに昇進したばかりの若手スタッフが若手の芸人たちと深夜番組で実験的な番組をつくり、そのままゴールデンで冠番組に発展し、同じように年を経ていくというのがこれ以後フジテレビのパターンとなり、各局もこのスタイルを踏襲することになる。
と書かれている。
これについては、マサノリが常々文句を言っている。
深夜で低予算の中で作られているからこそ面白いものまで、ちょっと受けるとゴールデンに行って、大物レギュラーを加え、ゲストを入れて膨らませて放送される、その状況が彼には許せないというのだ。
確かに、世代交代を促進し、常に面白い番組を作り続けるためのシステムとして効果的であり、これまではそれがうまく機能してきたのだろうが、やはり深夜向きの番組とゴールデン向きの番組というのは、私から見ても、あるように感じられる。
しかも、これからはますますリアルタイムよりも録画で見る形が主流になってくると思われるので、深夜だから、ゴールデンだからという広告的な問題よりも、その番組そのものの味を重視する方法をそろそろ考えた方がいいのではないだろうか。
ちょっと硬い話になってしまったので話題を変えて(^^;
この本には、M-1の第1回から第7回までのラサール石井による採点も書かれている。お笑い好きな人にはたまらない本だと思う。
私も「ユーミン」という文字にひかれてエイッて購入したが、当たりだったと思う。
西村京太郎著『華の棺』を読んだ。
この作品は、この作品は、ミステリー作家山村美紗の恋人だった西村京太郎が、彼女とのことを書いた『女流作家』の完結編として書かれた小説だ。
登場する作家のモデルは、山村美紗と西村京太郎の他、松本清張と思われる大作家が『女流作家』『華の棺』を通して(この人だけ、『華の棺』で苗字が変わった)、『華の棺』ではそれに加えて高木彬光と思われる大作家がいる。
いずれも朧化処理がされているが、読んでいれば誰のことかは一目瞭然である。
初めに読んだのは『女流作家』だった。携帯で何か面白そうな小説はないかなと探していたのだが、「事実八割」というコピーに惹かれ、ダウンロードして読んでみたのだ。
この作品を読むまで、山村美紗と西村京太郎が恋人同士だったなんて知らなかった。第一、それぞれの作品さえ読んだことがない(^^; でも、山村美紗が亡くなったときのニュースはなぜか鮮明に覚えているので、興味深く読んだ。
それにしても、山村美紗ってもてたのねぇ(^^;
しかも、結構ややこしい状況だったと思うんだけど、山村美紗本人がその状況を嫌だと思っていないのねぇ。
さすがに人が亡くなるという事態ではショックを受けていたようだけど。
ただ、その事件もなんだかちょっと腑に落ちないのよねぇ(^^; 恋人だった西村京太郎の筆によるものなので、腑に落ちないところは他にもところどころあるわ(^^;
それはさておき、西村京太郎という人がいるということを知っていながら両巨頭が隙を見ては積極的に出て来るんだもん、西村京太郎も大変だったと思うわ(^^;
でもこれ、どういうもんなんだろうか。
「なんであいつなんだ?」とか、「あいつよりは俺の方がいいだろう」という意識なのだろうか。
それでも両巨頭のうちの一方については山村美紗も、もしかしたらある程度気があったのかもしれないというのは読み取れたわ。小説の中に出てきた言葉からも、これはもしかしたら西村氏に対しての男女としての別れの言葉だったんじゃないの? と思える表現もあるし。作中の西村氏は、その時はそうは思ってなかったようだけど(^^;
それから、山村美紗には夫もいたのだけれど、これまた不思議なのよねぇ。
彼女の死後は画家になって、ひたすら彼女の肖像画を描いている。
小説では離婚したことになっているけど、本当に離婚したの? それとも離婚はしていなかったの?
なんだか夫だった人と西村氏との両方で、彼女の死後も彼女は自分の女性だと主張し合っているようで(^^;
ところで、作中には書かれていないけど、山村美紗の死後、西村氏は彼女が執筆中だった小説を受け継いで完成させている。
『女流作家』『華の棺』を通して描かれる二人の関係を考えれば、それはごく自然のことに思われる。ネットで調べると、どうやら生前からの約束もあったようなのだが、たぶんそんな約束などなくてもそうしていただろうと思われる。