ラブレターズ

その370(2007.12.15)『アンボス・ムンドス』

アンボス・ムンドス桐野夏生著『アンボス・ムンドス』を読んだ。何やら訳のわからないタイトルだが、このタイトルになった作品に書いてある言葉を引くと、「両方の世界・新旧ふたつの世界」という意味だそうだ。作品の中では、そこから、東西、表裏、左右、男女、明暗など、対になる言葉が引き出されている。
この本には、それらの言葉を思い浮かばせる作品が収められている。

この本を読むきっかけになったのは、この単行本に含まれている『浮島の森』という作品が、例の細君譲渡事件あるいは妻譲渡事件と言われる谷崎と佐藤春夫、千代夫人の間に起きた事件をテーマにしているという情報を得たからだ。
実際に読んでみたところ、細君譲渡事件のその後が舞台なのだが、その中心にドッカと鉛のように居座っているのは、作中では『宝物譚』という名前で登場する、佐藤春夫が書いた『この三つのもの』という未完の作品のようだ。
『浮島の森』では、谷崎と佐藤春夫の名前を『この三つのもの』で佐藤春夫がつけた名前がそのまま使用されている(ちなみに松子夫人については、『細雪』での幸子という名前が使用されている)。

『浮島の森』は、娘の鮎子さんを主人公のモデルにしている。
事件後や谷崎の死後、この人にはいろいろな記者や編集者から「何か書いてくれ」、「何かコメントをくれ」と言われ続けただろうが、私が知る限りは、ついに何も書かず、何も語らずにこの世を去ってしまった。その彼女がモデルなのだ。

主人公の女性のキャラクターは、谷崎について書かれたいろいろな資料や周囲のいろいろな人の文章を読んでいくうちに私の中に形作られた彼女のイメージそのままだった。きっと著者も谷崎のファンなのだろう。

作品中では、鮎子さんについて谷崎に「切り捨てられた」と表現されているが、作品中の鮎子さんは、それには多少抵抗している。
私が思うには、切り捨てられたというよりは、結果的に切り捨てる方を選んだというような気がする。
また、それについては無意識の作為もあるかもしれない。結果的に松子夫人と自分との関係を、より自分の母と父との関係になぞらえやすくしたという点で。
それでも自分が死ぬまでにはある程度自分の手で形を整えようとした形跡もなきにしもあらずなのだけどね。

ちなみに、タイトルに使われている浮島の森というのは、佐藤春夫の故郷にある、底なし沼の上に浮かんでいる泥炭マット状の浮遊体だそうだ。
作品の中で、鮎子さんはこの浮島の森に例えられ、それについて一応の解釈もつけられている。だが、それとは別に私が持ったイメージは、確かにこの人は谷崎家の人なのか、佐藤家の人なのか、どっちつかずの中を長い年月過ごさなくてはならなかったのだなぁというものだった。

2007-12-16 もう1つ持った感想。
作中で谷崎が松子夫人に子供を堕ろすように頼むときの言葉で、従来言われている「芸術のため」だけでなく、「鮎子がかわいそうじゃないか」ということも言ったらしいと書かれている。
もし本当にこの一言を松子夫人に言ったとしたら、松子夫人がその一言のためにどれだけ闘志を燃やし続けたかが想像できる。

その369(2007.12.12)鉄道博物館に行ってきた

9日(日)、マサノリや友人と鉄道博物館に行ってきた。マサノリ含め、年季の入った鉄ちゃんが2人いたこともありとっても勉強になった。

当日の行動は、
・各自来る途中でお弁当を買って、列に並ぶ
外に並んだのだが、気持ちいい陽気で結構楽しかった。休日は結構並ぶらしく、まるでディズニーランドのような仕切りが作ってあったが、この日はそれほどでもなかった。
・SUICAを使って入場チケットを購入。そのままダッシュで友人がミニ運転列車の整理券をゲット(感謝)
整理券1枚で3人まで乗れる。
・ミニ運転列車の時間まで、ヒストリーゾーンで懐かしい列車を見る
電車の「クモハ」とか「キハ」とかの意味に詳しい友人に教えていただき、なるほどーと思う
・ミニ運転列車に乗る
タモリ倶楽部で、小さいことは知っていたが、想像以上に小さかった。乗り降りのときに思わず笑いが出てしまった。運転装置は車種によって2種類あり、本格的。並んでいる間に操作の説明がある。この列車では、途中の駅で停車するも通過するも、運転者の自由。それを説明するときの係員のニヤッとした顔が、とても印象的だった。
写真は、車内から停車駅を撮影したもの。最初はオーバーランしがちだったのが、うまく停車できた。運転者の後姿も撮影したのだが、本人の許可が下りないので、これは掲載なし。
ミニ運転列車の汐留駅
・再びヒストリーゾーンに移動。中で飲食できる列車に乗り、ボックス席でお弁当
窓から見えるホームの風景がリアル。上野駅のように、列車の札が掛かっている。列車の時刻表示はときどき変わる。同行の友人が発見。変わる瞬間を見るのも楽しい。
・お弁当の後、そのままホームからターンテーブルでのC57の方向転換を見る
一大イベントだ。時間になると周囲がいっぱいになる。半周に1回汽笛を鳴らしてくれるのだが、屋根がある中で鳴る汽笛はかなり大きい。子供が泣いていた(^^;
・ジオラマ
いよいよジオラマ。入場まで結構並ぶが、皆さん慣れたものらしく、床の上に座っていた。
列車が発着する駅は「中央駅」というのだが、その近くに鉄道博物館らしきものが、ちょうど大宮駅との位置関係と合うように配置されている。
最前列は一人で見ることができるお子たち専用なのだが、やはり親と離れて一人は心細いらしく落ち着かない子もいた。母親の膝の上でないと無理な子には、狭い専用ルームがあり、そこから見ていた。
・屋上で新幹線とニューシャトルが走る様子を見る
とっても気持ちいい。ニューシャトルは、最近新車両が出てきたのだが、開業当初からのタイプがまだ主流のようだ。まるでおもちゃのようだ(^^; ニューシャトルの大宮駅でこの車両がJACK大宮の周りをくるっと回る様子はなかなかかわいいので、余裕があれば、帰りにでも見て欲しい。
ニューシャトル大宮駅の売店には、ニューシャトルのチョロQも売っている。
・3階の休憩スペースでおしゃべり
鉄道博物館は広いので、気づかないうちに結構足に来ている。
結構長い時間ここでおしゃべりした。
当初は閉館(17時)までいるつもりだったが(計画時にマサノリが主張)やはり無謀だったようだ。18:30からの夕食の予約時間を1時間半前倒し、17時からに変更。
・ラーニングホールで車両や線路のしくみを体験学習
これがなかなか面白い。一通り見た後、博物館を後にした。
・夕食
大宮駅西口すぐの膳丸大宮店で夕食。
ここは、地図ログで見つけ、そこからぐるなびに飛んで決めたのだが、今見たら地図ログに出てない(^^; でも、とってもおいしかった。
前日にマサノリと下見して、あらかじめメニューに目星をつけておいた。
野菜が売りのお店のようだ。お店のスタッフは皆若い。客層は、若い子から中高年まで幅広く、男女の割合も半々のようだ。
飲み物は総じて高めだが、各地のこだわり梅酒がグラス1杯500円で飲める。
料理は、最初に3種類のサラダを選び(これはこの店一押しメニュー)、あとは「農園野菜のMISOバーニャカウダー」、「山形牛冷しゃぶキムチ巻き」、「九条葱のトマトピッッア」、「 いも豚ロースの生姜焼き~溶岩仕立て~」、「ゴボウの唐揚げ~ウコン塩とともに~」、「焼きおにぎり棒」を注文。お腹いっぱい(^^)
・大宮駅で解散
私たちはニューシャトルで帰宅したが、その前にマサノリがまだ食べたいとのことで、大宮のルミネ2の地下で惣菜を購入。帰宅後再び食事。そのまま爆睡。

その時は気づかなかったが、やはり足腰に来たようで、翌日に響いてしまった。
私は家で仕事だし、マサノリは休みだが、他の人は朝早くから仕事に行かなくてはならないのよね。
鉄道博物館は少しずつこまめに見るのがいいかもしれないわ(^^;
その反省点を踏まえて、また企画したいな。

そうそう。図録は5,000円する。私は手が出なかったが、マサノリは最初に行ったとき買ったのだろうか(未確認)。その後マサノリは外に出るたびに鉄道関係の雑誌を見つけるらしく、いくつか買ってきて、ときどき見せてくれる。詳細Book検索「比較検討」「鉄道」で調べてみると、9,204件、「鉄道博物館」で調べてみても22件出てくる。やはりブームなのね。
各本ごとにGoogleブック検索連想検索エンジンreflexaへのリンクもつけてあるので、お時間のある方は見てみてね。結構楽しめるわよ(^^)

その368(2007.12.08)『当世鹿もどき』(その3 芥川龍之介が結ぶの神)

随分と久しぶりになったが、『当世鹿もどき』の続きを書きたい。
今回は「芥川龍之介が結ぶの神」というタイトルが付いた一文について。

谷崎が松子夫人と知り合ったのは、松子夫人が芥川龍之介のファンだったことによる。芥川龍之介が谷崎と一緒に松子夫人のよく知る旅館に来ていることを知った、当時大店の御寮人だった松子夫人が、ぜひお会いしたいと旅館のおかみにお願いしたことが出会いのきっかけになった。

芥川龍之介はまったく乗り気ではなかったのだが、当時岡本に住んで、阪神間の上流夫人たちとの交流を始めていた谷崎にとって、こんな機会を逃せるものではない。ぜひ会いたいということで、東京に帰りたがっている芥川龍之介を谷崎が必死に引き止めた。と、この一文では書いている。
で、しぶしぶながら芥川龍之介が了解し、会食することになった。おかみさんの話では、電話をすればすぐに来るという話だったが、結局3~4時間待たされた。後で松子夫人に聞いてみると、出てくるときに当時の夫である根津氏に引き止められたということだそうだ(そりゃそうだろうなぁ)。
そのあたりのことが次のように書かれている。

後で聞きますと、そんな文士の座敷へなんか行くことあれへん、と旦那さまが云ひますのを「奥さん」が聴きいれず、いゝえ、こつちから約束して引き留めたあんねんさかい、今更行かんちふ訳には行かしまへんと、ちよつとした押し問答がありまして揉めたんださうでございます。

こうして会食が始まる。その様子は次のように書かれている。

「奥さん」は誰かお附きの人でも従へて来るのかと存じましたら、誰も連れず、全くの一人きりでございました。千福には時々見えることがあるらしくて、おとみさんとは余程お馴染みらしい言葉遣いでございました。旦那さまと一緒にこゝの座敷へ藝者を呼んで遊んだりすることもあるとみえまして、二十三四と云ふ年に似合はず、いかにも世慣れた、応対を心得た、もの怖ぢをしない態度でした。その時芥川さんは三十五歳、手前は四十一歳の筈でございますが、その「奥さん」はその年でさう云う二人を向うに廻して、夜の酒肴を適当に注文したりしまして、それから三四時間の間主人役として座を繋いでゐた訳でございます。

なんとも大胆だが、この本によると、それは大正15年12月(この12月中に昭和元年になる)の出来事となっている。
松子夫人の当時の夫である根津氏が、松子夫人の妹である信子さん(『細雪』のこいさんのモデル)と駆け落ちしたのは昭和4年、恵美子さんが生まれてすぐ(これもまた何とも)のことなので、この頃すでにそういう兆しがあって自棄になっていたのだろうか。
この出会いの時期についても、他の資料によると谷崎と芥川の間に文学論争が始まったばかりの昭和2年3月ということになっている。

この時期すでに芥川龍之介の精神が厳しい状況であったことは次の文でも見て取れる。

余談にわたりますけれども、芥川さんが自殺されましたのはこの事件の明くる年、即ち昭和二年の七月のことでございますが、もうその千福に泊まつた時分から、よほど尋常でない様子がございましたな。たしかその晩もその明くる晩も、廣い座敷に手前と二人向ひ合つて寝たんでございますが、芥川さんはひどい不眠症に悩まされてをられるらしくて、酒とヂアールとをちやんぽんに飲み、それでもどうしても寝られないと零しとられました。
(中略)
手前はその頃社交ダンスに凝つてをりましたので、あまり気の進まない芥川さんを誘ひ出して、引っ張って行つたことがございました。その時手前がタキシードか何かを着ようとしまして眞珠のボタンをワイシャツに嵌めようとしてをりますと、芥川さんは何を思つたか、
「僕が嵌めて上げませう」
と、手前の前に膝をついて手傳つて下さいました。芥川さんがこんなことまでして下さるのは忝いけれども、それにしても少し親切過ぎる、何だかなさることが尋常でない、何か変だなと感じましたつけが、その時気がつきましたのは、芥川さんの眼の中に一滴の涙が潤んでゐるのでございました。ほんの一瞬間のことで、その涙は消えてしまひましたけれども、どうも手前は薄気味が悪く、不吉な豫感のやうなものを感じたことでございました。

他の資料(市居義彬著『谷崎潤一郎の阪神時代』)に引用されている、谷崎による芥川龍之介の追悼文『いたましき人』の一部ではこうなる。

君はその明くる日も亦私を引き止めて、ちょうど根津さんの奥さんから誘われたのを幸い、私と一緒にダンス場を見に行こうと云うのである。そして私が根津夫人に敬意を表して、タキシードに着換えると、わざわざ立ってタキシードのワイシャツのボタンを嵌めてくれるのである。それはまるで色女のような親切さであった。…

しっかし、追悼文にこんなこと書くかねぇ(^^;
両者を並べると、引き止める人間が逆だ。さらに、ダンスに行ったのは、松子夫人との会食の翌日らしいのだが、『当世鹿もどき』では、会食の後、芥川は夜行で帰ったことになっている。芥川とダンスに行ったときと松子夫人とダンスに行ったときは別であるかのように書かれている。
これについては、その後谷崎と松子夫人がダンスホールで踊っていることを記事にされて当時大店の夫人だった松子夫人が親戚中から非難されたことを思い出し、さすがに会食の翌日に3人でダンスホールに行ったと書くのは憚られたのかもしれない。
時期については、谷崎と芥川が文学論を話していたという松子夫人の証言があるので、やはり昭和2年3月、つまり論争の初めの頃のようである。

ちなみにさきほどの資料だが、引越し魔の谷崎が阪神時代に住んだ各家を年代順に検証しているものである。谷崎と芥川が千福に泊まったのは谷崎が岡本好文園というところに住んでいたときで、このときは谷崎はなぜか家族とは別に近くに一人で勉強部屋を借りて住んでいる。この本が書かれたときには和田六郎のことは知られていなかったため、著者の市居氏はさかんに首をひねっている。
後に和田六郎との件を発表した終平氏にもこの本の中でこのときの事情を確認をしているのだが、終平氏はとぼけている。

その367(2007.11.25)WOWOW 「シャングリラIII」

23日夜、シャングリラIIIの映像がWOWOWで放映された。

これまでのシャングリラの映像は、カメラの切り替えが激しかったり、過剰とも思えるエフェクトで若干ストレスを感じることもあったのだが(もう少しじっくりと聴かせてよって感じで(^^;)、今回の編集では、ここぞというところにストップモーションとスローモーションを使い、ライブでは、観客の目が一部のアクトに集中しがちなところで人魚姫の動きを入れるなど、物語のキモがわかるように作られていた。作った人の思い入れを感じさせる編集だった。

特に、「朝陽の中で微笑んで」(私はこのシーンを「後朝(きぬぎぬ)の別れ」と勝手に命名している)で、少しずつ夜が明けていく中で水面を泳ぐデデューの動きには、思わずジーンとしてしまった。そしてついに太陽が姿を現して完全に夜が明け切ってしまったときの、「あー、明けちゃった」という感覚。そこから事件(クーデター?)が起こるまでの絶妙な間。いつも混乱したこのあたりが、ようやくすんなりとつながった。

物語の流れも、よりわかりやすくなっていた。「人魚姫の夢」のDVDを思い出して、「あー、こうなっていたんだ」と思い、そして切なくなった。

その366(2007.11.17)『芸術脳』

芸術脳茂木健一郎著『芸術脳』を読んだ。ユーミンを含む10名のクリエイターとの対談集だ。
今回はその中でユーミンとの対談についてのみ書かせていただく。

ユーミンとの対談は、2006年5月8日、銀座アップルストアで行われた対談で、フリーペーパーdictionary誌に掲載されたものを再編集したもので、その後ろに茂木氏による感想が2ページ入っている。
お話は「真珠のピアス」におけるテーマと実際のユーミンから受ける印象のギャップ、そこから作品の持つ質感へと話が進んでいっている。

『芸術脳』になる前の「Dictionary110」も読む機会に恵まれた。
『芸術脳』を読む前にこちらを読んだが、それを読んだときの私の感想は
「確かにユーミンの作品は、季節の質感という素材を提供する芸術だなぁ」
というものだった。
その素材から、私など下手なのに毎月壁紙を作っていたりする。

『芸術脳』のユーミンとの対談では、ユーミンと茂木氏の芸術というものについてのやりとりが、いろいろな例を伴って、とてもわかりやすく伝わってきた。

その中で、コンサートをやっているときの、熱中しながらも、そんな自分を第三者的に見ているという状態が、実は脳の仕組みからいうと危険なことなのだという茂木氏の発言があった。メタ認知状態というんだそうだが、これをバランスを取れない人がその状態を繰り返すと向こうに行ったままになるんだそうだ。
それに対してユーミンがプレスリーの例を思い出しているのだが、ここから続く1ページくらいのお話は、私に小説家というクリエイターの例を思い浮かばせた。

たとえば谷崎と芥川龍之介。この二人は普段から仲が良かった。
青空文庫には芥川龍之介による微笑ましいエッセイ『谷崎潤一郎氏』があったりするのだが、谷崎が松子夫人と知り合うきっかけになったのも芥川龍之介との交流からだ。
だが、松子夫人と知り合うきっかけになったとき、谷崎によるとすでに芥川龍之介には異常な様子が見えていたそうだ。結局その後谷崎と芥川の間に起こった文学論争のさなか、芥川は自殺する。しかも谷崎の誕生日の朝に。その直前、芥川から贈り物が届いたが、論争のさなかにそんな贈り物をするのはけしからんと、谷崎は返してしまった。後から考えれば形見分けのつもりだったのだろうと、谷崎は大変後悔している。

話が随分とそれてしまったが、ユーミンは、茂木氏から崖の淵にいるような創作過程での恐怖の経験を聞かれて

それはいっぱいありましたね。過去だけじゃなくて、いまだってそう。ファンの人は私のことをすごく安定した人格の持ち主だと思っているかもしれないけれど、けっしてそうじゃない。いつもいろんなことを考えて、「ああ、このことを徹底的に突き詰めて考えていくと廃人になっちゃうんだろうなあ」とか。

と答えている。
『芸術脳』では、こういう深い話が伝わってきた。

新しい言葉を発明することはとても難しいという茂木氏の意見についても話が出てきた。
これについてはユーミンが「ギャランドゥ」の例を出して、「私、作りましたよ!」と言ったのだが、それに対して茂木氏は自分が作った「ピピたん」という言葉はちっとも流行らなかったと言って悔しがっている。
でもこれ、真面目に言ってるの?
この言葉が流行らない理由は茂木氏の理論からもはっきりわかるのだけれども、それともこれはユーモアで、わざと流行らない言葉を例にしているのかしら。
いや、茂木氏の理論をよりわかりやすく表現するためにこの例を引き合いに出したのかもしれない。

でも、この「ピピたん」という言葉は、一度聞いてしまうとその音感から使いたくなる要素を確かに持っている。理由と共に知った今ならば、確かに使いたくなる。
でも、初めてこの言葉を聞いた人には何だかわからないものねぇ。「ギャランドゥ」との違いはここよね。

そうそう。「爆睡」がユーミンの発明だというのはこの本で初めて知った。
やっぱりユーミンってすごい次元でのクリエイターなんだわということをこの言葉を発明したということで改めて認識できた。

それから、質感は失われやすいものということも出てきた。それについては、この対談集でも実感できる。
『芸術脳』のユーミンとの対談は、元はアップルストアで行われた1本のイベントだ。それをフリーペーパーに載せる時点で、ライブでの話しているときの表情とかそこに漂っているニュアンスはある程度失われる。さらにそれを編集することでまた失うものもある。
でも、フリーペーパーや本では、ライブでは流れてしまうものを紙の上に定着することができる。
対談という1本の素材を通して、そこから何を感じ取り、焦点を当てるか、それは筆記者や編集者の脳を通してできあがる。
対談を紙の上に定着したもの。これも1つの芸術なのだと改めて思った。

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