ラブレターズ

その345(2007.05.23)『吾登夢』

吾登夢畑谷玲子著『吾登夢』を読んだ。
この小説は、ユーミンカタログの中の「なか見検索」内にあるのだが、あるとき3冊まとめて購入された方がいらっしゃったので、読んでみたくなった。

内容は、吾登夢という少年とその友人が、中学校の国語教師(明らかに著者がモデル)との交流の中で、自分でテーマを決めて文学散歩をするというお話なのだが、この吾登夢君、3Tという呼び名と強烈なキャラクターを持つこの国語教師にかなり振り回される。さらに、この小説の内容も、この教師の性格と一緒でポンポン飛ぶ。
読者も吾登夢君と一緒にこの3Tに振り回されるのだ。
読者としてはこの3Tが明らかに著者自身をモデルとしているというところにも妙にひっかかったりもする(^^;

著者紹介で、彼女はこう宣言している。

永年さだまさし氏の考え方に共感しており、“自分の大切な人達の笑顔を守るために今の自分にできることは何か”考え、本書『吾登夢』を発刊する

どうやら処女作のようだが、読んでみて話がアッチコッチ飛ぶところはあるが、心に残った部分があった。それは、

「吾登夢、学校っていうのはね、勉強をしに来る所じゃないんだよ。勉強の仕方を学習しに来る所なんだ。学校を出て、大人になった時、自分が(これ、どういうことなんだろう?)と、思った時、迷わず調べられる力をつける所が学校なんだ」

というセリフだ。短大に行っていた頃、教授がそのセリフそのままのことを言ったことがあって、とても良く覚えていた言葉なのだ。
そのセリフの通り、この本の中には、読んだ後それができるようになるだけの情報はしっかりと含まれている。

2007-05-29 5月26日に、この小説の作者である畑谷玲子さんから、「何でも掲示板」にコメントをいただいきました。とても嬉しいです。

その344(2007.05.19)奇縁まんだら―佐藤春夫の回(その3)

今日の『奇縁まんだら』は、『つれなかりせばなかなかに』周辺一色だった。タイトルは「佐藤春夫夫人の恋」。和田六郎が妻子をつれて、当時佐久に疎開していた佐藤夫妻のところを訪ねたときの話が中心になっている。

このあたりの話はやはりその312、313に集中的に書いているので読んでいただくとして、和田六郎こと大坪砂男の作家としての本質について、彼の作品を愛読していたという澁澤達彦が、「推理作家というより、ヴィリエ・ド・リラダンやエドガー・ポー風のコント・ファンタスティックの系列に属する」と賛美しているそうだ。
私は大坪砂男の作品は読んだことはないが、だとすると、彼の作風は佐藤春夫よりも、その作品の中で何度も千代夫人を亡き者にした、谷崎が推理物風のものを書いていた時期の影響が濃いのかもしれない。

ところで、今回のお話の中には、和田夫人が息子周氏に話して聞かせた夫と千代夫人のロマンスの話が多く出てくる。これは『つれなかりせばなかなかに―文豪谷崎の「妻譲渡事件」の真相』の中にも出てきているのだが、その中には谷崎が千代夫人を気に入らなかった理由までが出てくる。
夫が妻にそんな話をし、それを聞いた妻が自分の子供にまたそんな話をする。相手が世間をにぎわした有名人だからできる話かもしれないが、それにしてもなんだかすごい。

前回谷崎が白秋の件でもう二度と他所の夫婦の話に口を挟むまいと決心したと書いたが、それでも谷崎は自分の周りの人間の縁談を熱心にまとめたりして、意外にそういうことが好きだったようだ。松子夫人の連れ子である恵美子さんの縁談も谷崎が非常に心を砕いたらしいが、この熱心さは千代夫人離婚後の自分についても当てはまる。
あちこち掛け合って積極的に見合いをしているのだ。妻譲渡事件は、その性質が自分と離婚後の千代夫人の落ち着き先を自分が安心できるようにまとめさせたという側面もあるかもしれない。

谷崎はその推理物風の作品で千代夫人を何度も亡き者にしているのだが、それは千代夫人には何の落ち度もないのに、自分のせいで千代夫人が夜ごとシクシク布団の中で泣くという状況が耐えられなかったかららしい。かといって離婚して後々まで自分を恨んでいる人間がこの世に存在しているのが耐えられなかったと。ならばいっそのこと、亡き者にしてしまおうという、何とも身勝手な話なのだ。

そこへ佐藤春夫が現れ、ならば二人をくっつけてしまおうとしたが、かといって谷崎は自分が寂しいのは耐えられない。だから千代夫人の妹で『痴人の愛』のモデルであるせい子さんと結婚しようとするのだが、断られてしまったものだから、いきなり約束を反故にする。これが小田原事件だが、もしかしたら、そのまま千代夫人と離婚してしまったら、せい子さんとのつながりも切れてしまうのがつらかったのかもしれない。

その後千代夫人と修復しようとするが、やはり無理。そんなところに和田青年が現れ、佐藤春夫との時のように千代夫人と円満に離婚しようと画策した。ここで心を砕いているのは、千代夫人が幸せになること。しかも自分の寂しさも最小限にすること。佐藤春夫のときもそうなのだが、谷崎は、目立たないように行き来して、千代夫人が徐々に相手方の人になるという方法をとろうとするのだ。

だから、後に谷崎が『佐藤春夫に与えて過去半生を語る書』で千代夫人への自分の気持ちについて一見虫のいい話を書いているのは、言い訳には見えるが本心だったのかもしれない。(奇縁まんだら―佐藤春夫の回終わり)

その343(2007.05.19)奇縁まんだら―佐藤春夫の回(その2)

5月12日の『奇縁まんだら』は、佐藤春夫の第2回だった。
この回は、千代夫人と佐藤春夫のほほえましいエピソードで始まった。千代夫人が

「水道がこわれたのを直しに来ているから、見てちょうだい」

と呼びに来たところ、佐藤春夫がいとも気軽にひょいと腰を上げていそいそと台所へ行ったという話だ。で、

「ああいうことをさせておくと、喜んでる。好きなの。時計しまっておきなさい」

と千代夫人が筆者に言うというものだ。
このエピソードは、『つれなかりせばなかなかに』にも出てきた。

千代夫人のこういう話は、谷崎と結婚しているときにもあった。
ラブレターズでも何度か出てきている高木治江著『谷崎家の思い出』の中の、谷崎が具合が悪くなったときの話だ。彼女が谷崎から

「お千代に言って、薬と水差しを持って来ておいて下さい」

と言われ、何病とも言わなくていいのかと戸惑ったとき、千代夫人は

「病気の時ほど扱いやすいおやじさんはないのよ。とにかく、頭痛でも腹痛でも薬はアスピリンでいいんだし、食べものの苦情は言わないし、平素読みたい本をだまって読んで、その後ぐっすり寝ればすうっとするんだから、病気の時が一番気を遣わなくてすむのよ」

といい、全くその通りであった。というものだ。
千代夫人の人扱いのうまさのよくわかるエピソードだ。

続いて、例の小田原事件から和田青年の件、そして妻譲渡事件までの顛末へと話が進む。最後はその和田青年のその後で締めくくられた。
なお、和田青年の件等、今回の記事に出てくる内容についてはその312、313も合わせて読んで欲しい。

ところで、途中、小田原事件のあたりで北原白秋の2番目の妻との離婚事件に触れていた。瀬戸内晴美著『ここ過ぎて―白秋と三人の妻』に出てくる話だが、谷崎はこの2番目の妻に頼られて、北原夫妻をさっさと離婚させてしまった。これは北原家と2番目の妻とのいざこざから起きた事件なのだが、北原白秋は全く別れたくなく、この2番目の妻も後で妙な具合に谷崎の名前を出したりしたものだから、北原白秋からは恨まれるし、谷崎はすっかり彼女のことを嫌いになってしまった。
谷崎はこの件で、後々までもう二度と他所の夫婦の話に口を挟むまいと決心するのだった。

その342(2007.05.09)若者・ユーミン

ふるだぬきさんに『奇縁まんだら』のスクラップをいただいたとき、「今確認できているいちばん古いユーミンの記事」ということで、1971年5月のセブンティーンから、加橋かつみに提供した『愛は突然に』についての記事と1976年のグラフNHKから、高塚せいご氏のイラストによる「いらすとかわら版」という貴重な資料もいただいた。

『愛は突然に』の方は、

荒井由実・17歳。マリファナ事件のあと、心身の衰弱から自殺まで決意していたかつみを救ったのは、この少女との出会いであった……。

というリードで始まる。
この記事でユーミンは、東京でも有名なミッションスクールに通う、現代的なフィーリングのお嬢さんと紹介されている。そして、加橋かつみの詞に曲をつけた、そのきっかけが語られる。

それによると、『愛は突然に』の原形となったのは、高校1年のとき、親友のひとりがボーイフレンドと別れた悲しみを詩にしたものに曲をつけたものだそうだ。そのテープを聴いた、ミュージカル『ヘアー』で加橋かつみと共演したシー・ユー・チェインさんが、2人を引き合わせたそうだ。

もうひとつの資料、「いらすとかわら版」の方は、これがメチャクチャ面白い。
ユーミンは、若いこだまDJ6人衆の1人として紹介されている。
それにはユーミンの部屋の様子(ロッキングチェアやソファー、モジリアニ・ルノアール・ユトリロなどの絵画やビーナスの石膏などが置かれている)やアナブースや打合せでのユーミンの様子などが事細かに書かれている。さらに高塚せいご氏の文章で、

NHKは「自由にやって下さい」と言っている。そう言うと何を言い出すか分からないと不安がられれたのは昔のこと。今の若者は自分を心得ている。
ゴーゴーバーで浮かんだ詩、電車の中でメモした曲がもう100曲くらい出ていて億の単位をかせいでいるとか。
何十年もその道でゲイジュツを掘り下げて、なお食っていけない詩人や作曲家はアタマに来るはなし。

と書かれている。

書かれ方は若者だし、ゴーゴーバーなんて時代を感じる風物があったりするけど、不思議なくらい今と変わらないユーミンが描かれている。

それにしてもこの「いらすと・かわら版」面白いなぁ。シリーズだったらしいので今度古本屋さんを探してみようかしら(^^)

その341(2007.05.08)鉄ちゃんとツイスターゲーム

毎週金曜日のドラマ「特急田中3号」を、鉄道ファンのマサノリは気に入って見ている。田中君のあのハイテンションは若干疲れるのだが(^^;、私もまあ面白いかなと思っている。

そんな中、4日のお話で信越線の廃線跡を歩くというシーンがあった。
大宮に生まれ育ちながらなぜか長野の短大に行った私は、大宮と長野の間を「特急あさま」でよく往復した。だから、あの廃線跡のシーンにはキューッと胸を締め付けられた。

で、標題の件だが、上記の旅行で秋山扮する桃山がツイスターゲームを持っていくシーンがあった。左手を青とか、右足を赤とかいうアレである。
実は、もう20年も前になるが、テニススクールの旅行でマサノリがこれを持っていった。
そのとき私はスクールの旅行初参加。私の同行者(当時高校生)がその前の回でマサノリと知り合い、行きのバスで何だかんだと話しかけていた。
このときの私のマサノリに対する第一印象は「おじさん」。31歳だったと思うが、年齢を聞いたときには思わずウッソーッ! て思った。少なくとも35は行ってると思ったのだ。幸いあれからマサノリの見た目年齢は止まっているか、若干若くなっているが、本人いわく、やはり学生時代からあだ名は「おっさん」だったそうだ。それが今では私がマサノリから「おばさん」と呼ばれている(T_T)
話はそれたが、宿での部屋割で私は高校生と分れてやはり初参加のおとなしめの子たち(20歳くらい)と一緒になったためゲームには参加しなかったが、このシーンを見てそのことを思い出し、マサノリに「そういえば…」と突っ込んでみた。
マサノリは俯いたまま、ただニヤーッと笑っていた。

2007-05-10
このドラマに出演している俳優の塚本高史、結婚していたのね。
私、この俳優結構好きなの(^^)
今日スポーツ新聞に出るらしいわ。

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