随分と遅くなりましたが、ビデオカードの件はひとまず休み、ユーミンのコンサートツアーの感想を、ようやくアップです(^^;
4月14、15、16日今年のユーミンのコンサートツアーに行ってきた。
初日は湘南新宿ラインで行った。
新横浜についてから、まず腹ごしらえ。マサノリはここぞとラーメン博物館に一直線、3ヶ月有効の入場フリーパスを購入する。3日間、可能な限りラーメンを食べようというわけだ。
初日、コンサート前に入ったのは「支那そば屋」。あの佐野名人のお店だ。醤油らぁ麺をいただいた。
そしてコンサートへ。
舞台には傾いた古い灯台と傷だらけのピックアップがあった。どんなステージになるのか、ワクワクしながら待っていると、「ただわけもなく」でユーミンが登場。コンサートが始まった。
このツアーは、会場の都合で幕を閉じた逗子(のコンサート)へのオマージュの意味も含まれているとのこと。
そのことを話したMC直後の曲は「シーズンオフの心には」だった。
パチリ、パチリと写真を撮るような詞の後にくる
「いつまでも ばかな娘ではしゃいでいたかった」
に、ユーミンが苗場のネットパーティーで
「こんなにいい曲だったということを改めて感じている」
と話していたことを思い出した。
あとで、ある方のお話で「ただわけもなく」がトップにくる意味に気づかされた。
そうだ。この一節も、ユーミンの歌からビッと矢のように伝わってくるものがあるのよね。
「きみとすごす日は 決して終わらないと思えた ただわけもなく」
ステージは、時空の移動や喪失感、追憶などを表現するちょっとした小道具とともに、夏の海ではしゃぐ若者の今昔を丁寧に描いていく。
そして最後、やられた…。思わず涙腺が緩んでしまった。
終わった後の人の流れの中で、満足の声が多く聞こえた。
コンサート終了後はまたラーメン。今度は和歌山の井出商店だ。こってりしたおぞうにのような感じのスープだった。
帰りの電車の接続が悪く、帰宅したのは夜中の12時を過ぎ、家についたらまた少し飲みながらこの日のコンサートの余韻を楽しみ、寝たのは朝方4時を過ぎた。
2日目は湘南新宿ラインが工事のため、新幹線で行った。
最初はなんでこんなときにと不運を嘆いたが、さすがに早い。値段も、湘南新宿ラインでグリーン車に乗った場合と比べてそんなに大きくは変わらない。東北・上越新幹線と東海道・山陽新幹線との接続もスムーズ。とっても早く家に着ける。ということで、3日目も新幹線にした。
そうそう。24日はその湘南新宿ラインで線路が歪む事故が…。山手線も止まったので、影響を受けた人も多かったと思う。まあ、大事故になる前に気づいたからいいものの、怖いなぁ。
前回の記述で不明確なところがあったので書いておこうと思う。それは、縦じまは電源を入れた直後に入っているということ。普通の起動のときに固まるのは、起動時の比較的色数の少ない状態から、普段のデスクトップを今まさに表示しようというときだ。たまにそのときに固まらなくても、普段のデスクトップが表示されたとたん、今度は縦じまどころではなく、ほとんどガシャガシャな画面が登場するという状態だった。
このあたりで、なんだか混乱してきた。どうもハードウェアのことは不得手で(^^; このあたりを整理しないとと思いネットを検索してみたら、パソコンの起動のしくみという、「読む Windows PC マガジン」の過去ログページがあった。
ほうほう、最初にいきなり縦じまになってしまったのは、ビデオカードのBIOSが一番最初に立ち上がるからなのか、フムフム。
それから、アットマーク・アイティの、Windows2000を障害から回復する3つの手順も心強い。はじめのうち環境を戻して回復していたのはそれなりに正解だったのね。
セーフモードについては日経PC21のページの方がわかりやすいかも。
これを読むと、セーフモードでは、モニターやマウス等についてはWindowsに備わっているドライバーが使われているのかしら。前回の記述ではここが間違っていたわね。
それから、前回相性の問題を書いたが、読者さんからの情報で、パソコンとの相性の他に、モニターとの相性の問題もあるそうだ。高機能のモニターには高機能のビデオカードを使用しないと、せっかくのディスプレイの能力を生かせないということだ。そりゃそうだわね。
うちのモニターはもうだいぶ古くて、本当は買い換えたいところなのだけど、買うとなればいいものを買いたいので、グズグズしている。久しぶりにAdobeガンマで測定してみたら、かなり経年劣化が(--; こういうのもときどきやらないといけないわね。
あと、もう1つ読者さんから。ビデオカードには冷却用のファンがついているものがあるのだが、これが寿命を迎えてしまうということもあるそうだ。普段からパソコンを自作している人は、このファンだけを買ってきて交換したりするそうだ。
結局、うちの場合の原因はなんだったのだろうか。後でいろいろ調べたら、いろいろ注意すべき点が出てきたので、それは次回以降に(予想以上に長くなったなぁ(^^;)書きたいと思うが、機器診断ソフトでビデオメモリの読み書きにエラーが出たということと、ドライバーについては事前に一応再インストールもしてみたので、やはりビデオカードのビデオメモリの部分がダメージを受けたということではないかと思っている。
前回書き忘れたが、症状の一つに、「セーフモードでは立ち上がる」というのがある。セーフモードというのは、周辺機器を動かすソフトウェアなどを読み込まず、基本的な部分のみで立ち上げて、起動の障害になっている部分を確認するモードだ。機種によってそのセーフモードで立ち上げる操作は異なるが、私の使っているパソコンの場合は、電源を入れてメーカーのロゴが表示されたところでF8を押すと、起動方法を聞いてくる。その中にセーフモードというのがあるので、それを選び立ち上げる。
このモードで立ち上げると、普段よりかなり解像度の低い(つまり、アイコンでも何でもやたら大きくなる)画面が出てくる。普段使っている解像度で綺麗に表示するためには、パソコン本体に標準でついているビデオカードではなく、拡張ビデオカードを使用している。詳しくはこちらを見ていただくとして、セーフモードで立ち上げると、この拡張したビデオカードの機能を読み込まないのだ。普通の起動のときにあと少しのところで固まってしまったのは、この拡張ビデオカードの機能を使ったときに問題が発生したからということになる。何らかの理由で正常に起動できなくなったときに、このセーフモードで立ち上がるかどうかというのは重要な判断基準になるので、覚えておくと便利だ。
セーフモードが立ち上がれば、設定→コントロールパネル→管理ツールまたはマイコンピュータを右クリック→管理でイベントビューアを起動して、何が起動の障害になっているかのあたりをつけることも、システムに詳しい人なら可能だ。
で、ビデオカードに問題が発生していると認めたくなかった私はそのときにバックアップを復元することを考えていたわけだが、このセーフモードでメールなど大切なデータを別のハードディスクドライブにコピーするなどして保護した。これで安心してシステムドライブを少し古い時点のバージョンに戻すことができる。
さて、いよいよビデオカードの購入だ。
まず、古いビデオカードをパソコン本体から外す。私の使っているパソコンは、ドライバーなどを使わなくてもカバーがパカッと開くタイプ。これを開いてマサノリが問題のカードを取り外した。
そしてこのカードを持って新しいカードを買いに行く。
ビデオカードは、お店によって、ビデオボードとか、グラフィックボードとかいう名前でコーナーが作られている。似たような形をしたものにサウンドボードというのもあるので、購入するときはしっかりそれらの文字を確認する。
が、私たちはここで大きな失敗をやらかした。実はここでせっかくビデオカードを外したのに、なんと買いに行くときに持っていかなかったのだ。
最初のカードを購入して自宅でいそいそと取り付け始めたときに、インターフェースの形の違いに愕然。再度買いに行くハメになった。
ビデオカードをパソコンにつなげるインターフェースには、いくつか種類がある。私のパソコンの場合は、AGPという、ビデオカードとメインメモリ間のグラフィック専用バスを使う。お店には、今主流の「PCI Express」のタイプのものが多く並んでいるため、最初に間違ってこちらを買ってしまったのだ(少し見にくいが、写真を見ていただくと金色の部分の形が異なるのがわかると思う)。新しいビデオカードを買いに行くときは、まず、古いカードを持参して、お店の人に相談することをお勧めする。これでとりあえずはインターフェースが違うことによる無駄足は防げる。今回の貴重な教訓だ。
また、ビデオカードとパソコン本体の間には、インターフェースの問題の他に、相性というのもある。お店の人もそのあたりまでは相談に応じられない。お店では相性の問題などでの交換は受け付けていないので、新しいビデオカードを買いに行くときには、事前に自分のパソコンのメーカーのサイトなどで、相性の合うビデオカードの目星をつけておくことが重要だ。
今回の場合は相性以前のインターフェースの規格の問題なので返品はできたかもしれないが、この件で、マサノリはにわかにパソコンの自作に興味を持ち出した。今度自作するときのために、間違って購入したビデオカードは、我が家に保存されることになった。(つづく)
この事件は一部の人は経過をよくご存知なのだが、貴重な経験も含まれるので私自身の備忘と少しでも皆様の役に立てればと、書くことにした。
前兆は突然やってきた。
あるソフトを立ち上げた状態でインターネットを検索していたら、急にカーソルの周りにピンクの影ができ、画面全体にもピンクや緑の点々が広がっていった。それに伴い、カーソル自体は動くのだが、何もクリックすることができなくなった。ちょっと変則的なフリーズだ。
こうなるともう、電源ボタンを長押しする強制終了しかない。そして再度立ち上げると、画面に縦じまが入った状態になり、起動の途中で固まってしまう。この嫌な症状、気にはなっていたのだが、立ち上げる途中で環境を少し前に戻す操作をすると、立ち上がることが多く、ちょうど忙しかったこともありしばらくそれでしのいでいた。
そうこうしているうちに、特定のソフトで画像を見ると、その画像の中の文字がやたら歪んで見えるようになってきた。そのときはその画像自体が歪んでいるのかと思ったが、それからしばらくして、例の症状が発生。その後はいくら環境を元に戻しても再び正常に起動することができなくなってしまった。後で考えると、このときはもうかなりビデオカードが悲鳴を上げていたらしい。
つまり、だんだん状態が悪化していって、ついに行くところまで行ったということなのだろう。
ことここまで来ても、私はバックアップを復元することで何とかなると思っていた。忙しいさなかだったが夜を徹して作業をしても一向に立ち上がらない。それどころかますます悪化していく。長時間操作をしていたための熱暴走も疑って、半日寝かせてから再びトライ。が、やはりダメ。
ここに至って、ようやく私もこれは容易なことではないと思い始めた。
まずはノートパソコンを立ち上げていろいろネットで検索した。
すると、少ないながらも似たような症状のケースが見つかった。いずれも最終的にはビデオカードに行き着いている。
私はソフトウエア上での問題なら何とかなることもあるが、ハードとなるとお手上げだ。だから、この可能性を最後まで頭の中で否定していた。できることならビデオカードの交換は避けたい。というか、私にはできないからだ。
ちょうどパソコンメーカーのサポートも切れていたところで、それも頭の痛い問題だった。
だが、ここでグズグズしているわけにもいかないので、メーカー提供のハードウェア診断ソフトをフロッピィで起動してみたところ、ビデオメモリの読み書きにエラーが出た。まあ、画面に異常が出ているのだからこれは当然か。でも、これで問題はビデオカードかモニターに絞られたことになる。
この結果をもってパソコンメーカーのサポートに電話。今までだったらその日か翌日にエンジニアを派遣するという答えが出てくるところだが、ちょうどサポートが切れていた。エンジニアを派遣するにしても、部品を交換するにしても費用がかかる。ということで、サポートの人も極力原因を絞ることに集中してくださった。
まず、うしろのケーブルをパソコンから外してモニターの電源を入れる。これで縦じまが入らなければ、モニターは問題ない。で、やってみたところ、縦じまは表示されなかった。これでビデオカードが原因と判明した。
ここからが問題だった。サポートが切れているので、まずは見積りをして、それからエンジニアを派遣ということになるのだが、エンジニアが派遣されるまでに1週間かかるという。この答えに思わず半泣きのような声が出てしまった。ちょうど確定申告を控えていた時期で、それでは確定申告の期限が過ぎてしまうのだ。
ここで救世主登場。この日はマサノリが休みだったのだ。そんなに時間がかかるのなら、自分で買ってきてつけてしまおうということになり、早速マサノリとビデオカードを買いに出かけた。(つづく)
ドラマに触発されて『白夜行』、続いて『幻夜』を読んだ。いずれも直木賞候補になりつつ惜しくも受賞できなかった作品だ。
『白夜行』の方は、主人公の二人をあくまで外から見た形で物語が進行していく。外からなので主人公の内面については外から推し量っていくことになるが、その部分をドラマでは解き明かしながら進行している。もちろん原作とドラマではかなり異なるところもあるので、比較してみるのも面白い。
一方『幻夜』の方は、読んでいくうちになんだか『白夜行』のリベンジのように思えてきた。設定を豊かでなかった生い立ちから阪神大震災におき、視点をより主人公二人においてわかりやすさを出している。進行も、同じようにアーモンド形のやや吊り上った目を持つ美しい女性を中心にしながらだいたい『白夜行』と同じように流れていき、途中までは、なぁんだくらいに思っていた。が、最後の方でそれだけでないことに気づいた。最後まで消えない謎が1つあるのだが、これは『白夜行』を読んだ人なら解ける謎だ。一度読み終わった後、よーく読み返してみるとカギが見つかる。そしてそれにより余計にこの主人公に深く入り込むことができ、そのことがよりこの作品の読後に余韻を与えている。
この2つの作品は、『風と共に去りぬ』のスカーレットオハラとレットバトラーの関係を理想とする作者によって描かれた究極の男女関係らしい。そのことは本人がここで語っているが、いくら憧れていても実際に身近にこんな女性がいたら大変だろう。芸術至上主義の谷崎はその解決策として、妻の芝居気に求めたが、この人はどうなのだろうか。
ところで、作者である東野圭吾は読者の心を掴むためにその時々に注目されている事柄や人を手法として使う傾向があるようだ。ユーミンが出てくる作品がいくつか見つかるのも、もしかしたらそういうことなのかもしれない。ただ、阪神大震災に舞台を求めたのはそれだけではなく、非日常の異常事態としてこれ以上わかりやすい舞台はないということだろう。が、経験した人にとってはまだ経過した時間が短すぎるし、こういう使われ方に一瞬ムッとすることもあるだろう。逆に私のように経験していない人間には、いまいち状況が掴みにくい。読みながらそんなことも思った。