随分と空いてしまったが、2月10日の苗場のことを書こうと思う。
2日目の帰り、新宿でバスを降り、そこから家に帰るまでの電車でマサノリが風邪をうつされたらしい。このため、結婚以来熱を出して寝込んだことのなかったマサノリが顔を真っ赤にして苦しむ事態になった。結局この日もまだ回復せず、体調のよくない中の出発となった。
ユーミンディナーは、この日は待望のボーセジュールの予定だったが、残念なことに前日に予約満杯。ユーミンディナーがこんなに予約しずらくなるなんて、ビックリ。来年からはもっと厳しくなるのだろうか。で、結局この日はNewYorkで食事することになった。
この日はユーミンディナーではないので窓際の席ではなく、真ん中の方の席に案内された。料理はマサノリがステーキ、私が鴨だったかな。何分にも間が空いてしまって(^^; 記憶がおぼろげだ。セルフサービスの前菜と、ユーミンディナーに比べて大きなお肉のため、かなり満腹感があった。今年のNewYorkはユーミンディナーよりは普通のメニューの方が良かったかもしれない。
部屋に戻ったらひたすら休養。私もひたすら読書ということで、おかげで前々から読みたいと思っていた『白夜行』をだいぶ読み進むことができた。その後『幻夜』も併せて読んだので、これについてはまた後で書きたいと思う。
この日のユーミンは、声もよく出て、リクエストも歌えなくなることなく、とても楽しいコンサートになった。リクエストは、『私を忘れる頃』『帰愁』『ひまわりがある風景』だったが、『帰愁』のリクエストにはユーミンの「松・竹・梅」という毒も飛び出した。私としては『私を忘れる頃』が嬉かった。『ひまわりがある風景』のリクエストはユーミンが嬉しそうだった。
そうそう。この日の会場には正隆さんもみえたが、随分とスマートになっていて、驚いてしまった。
コンサート終了後は真っ直ぐ部屋へ。本当はこの日しかお会いできないユーミンファン仲間にも会いたかったのだが、マサノリは体調の悪さに耐えられず、ダブルコールの『雪だより』の後、すぐに出てきてしまい、そのまま足早に部屋に行ってしまったのだ。
と、ここまでマサノリの体調の悪さばかり書いてきたが、実は私も風邪にかかっていたようで、帰宅後は、マサノリよりも私の方が寝込むことになった。体調がよければもっと楽しく過ごせたのに、その点は残念だった。
連泊の2日目、朝食バイキングはアゼリア。なんだか中国人が多い。それは、初日にも感じたことだった。子供も多く、親が英語でジャパニーズフードを説明している。取っていくメニューをみた限り、あまり他の日本人と変わらない。たまにサラダをお味噌汁のお椀によそっているくらいだ。ただ、団体で言葉数も多いため、やはりかなり目立つ。
ディナーはチャイニーズレストラン「桃李」。メニューのテーマは、そのときにもらったメニュー表によると『春よ来い』。点が足りない(^^;。内容は、
なかなかいいメニューだった。特に蟹爪のフライ、ショーロンポー、ハーブ豚と蕪のやわらか煮あたりが良い。マサノリもこのあたりが大好物だ。が、次の白魚とパプリカの炒めは全部私に回ってきた。
メニューを見たときには、白魚は白身魚、パプリカは香辛料と思っていた。が、出てきたものを見てビックリ。白魚は、シラスより大きいあの白魚。これが揚げてある。パプリカは赤や黄色のピーマン。揚げた白魚とピーマンを合わせて炒めたものだったのだ。彩りもよく、まあおいしかったが、マサノリにとっては論外。揚げた白魚は魚の味はせず、問題はないと思うのだが、やはり姿が見えるのはだめなようだ。
そういえば、前日のニューヨークでも白魚が出てきたなぁ。季節だし、大量に仕入れたのかな。
驚いたのが緑ザーサイ。これがフレッシュでとてもおいしい。ちょっとクセになりそうな味だった。
この日のコンサートでは、『空と海の輝きに向けて』がリクエストされた。1月の壁紙にした曲だ。リクエストされた方は、この曲を聴くと、受験の頃のことを思い出すそうだ。それに対してユーミンも、受験を意識して書いた曲だと告白。やはりそうだったのねと思った。
実は私もつい最近、仕事をしながら朝を迎えたときにこの曲を聴いて元気が出てきた。もし私が当たったらこの曲をリクエストしようと思っていたのでとても嬉しかった。
『ホライズンを追いかけて』も良かったなぁ。あの曲を聴くと、ドキドキしてくるのよね。
13日、Surf & Snow in naeba 2006が終わった。今年は期間中にユーミンのお父様が亡くなるという悲しい出来事があったが、それを隠してのいつもより長期間の夢の時間だった。
今回は初日、2日目、それから2月10日の3日間を現地で、ネットでは2月3日と最終日に観た。そこで、遅ればせながらしばらく苗場について書こうと思う。
まず初日。この日は朝9時に家を出発。新宿からバスに乗った。ここでさんざんブーたれているにもかかわらず、バスだ(苦笑)。やはりバスツアーの時計は欲しい(^^)。今年のバスはチケットではなく、予約票を見せるという形に変わり、行きのバスも帰りのバスも時間が指定されていた。行きのバスの時間は新宿11時。例によって湘南新宿ラインで新宿に行き、小田急の地下でお弁当を買ってバス乗り場へ。
苗場で仕事をしなくて済むように出発まで徹夜で仕事をしていた私は、バスに乗ってお弁当を食べたらすぐ爆睡。途中の休憩でも外に出ず、ひたすら眠っていた。
チェックイン後、前日にユーミンディナーの予約をしていなかったためダメモトでキャピタルビレッジに電話。そうしたら、3時まで各レストランの分をカバーナで予約受付しているとのこと。急いでカバーナへ。初日、2日目分の予約をした。
レストランをどこにするかということだが、あいにくこの日はデジカメを持ってきていなかった。ボーセジュールのお料理はやはりデジカメで撮りたい。ということで、ボーセジュール以外のところを選ぶことにした(これが後に完全に裏目に出る(;_;))。
初日のレストランはNewYork。メニューは、
驚いたのは、苺とホタテの前菜。生のホタテと苺が重ねてあるのだが、一見ミスマッチなこの組合せ、結構おいしかった。が、これを私が家で作ったらマサノリは絶対食べない。それどころか怒りだすだろう。そんなことを思って、その場でマサノリにツッコミを入れておいた。
量は全体的に少なめで、なんだか物足りなかった。特に男の人なら、通常夕食券で食べられるコースの方が量も多く満足できると思う。
夕食後は、恒例のグッズ購入。今年は基本的なデザインが私の好みで、どれもこれも素敵。特にこれはと思って購入したものは、マフラー、マルチポーチ、パスホルダー付モバイルケース、DOGトートバッグ。モバイルケースは早速使用している。
部屋に帰って一休み後、いよいよ今年の苗場、最初のコンサートへ。
今年から一人ひとり椅子が用意され、全席指定になったため、恒例の並びはなくなり、その分買い物も食事もゆっくりできるのが嬉しい。が、その分どうも部屋でゆっくりしてしまうため、知っている方々を発見するチャンスも減ったのは残念。んー、せっかく苗場に来たのだから、もう少し部屋から出ようよう<マサノリ って、私も部屋でいろいろやることがあって、初日からの連泊は私自身積極的に引きこもっていたわけなんだけど(^^;
ステージのセットは時計の中身。このセットを見たとたん1曲はわかった(^^)。MCでステージの説明が入った直後の曲は予想どおり『夢の中で~We are not alone, forever』だった。全体のテーマを「時間」に合わせたいい選曲だった。
リクエストコーナーでは、「経る時」をリクエストした人が、「苗場バージョンで」と指定したところが、苗場らしくてとても良かった。
第二盲目物語と銘打たれている『聞書抄』を読んだ。実は年末に読んでいたのだが、なかなか書く時間がなく、今になってしまった。
この小説は、先に発表された『盲目物語』を読んだ近江の国の長浜に住む「読者」から『安積源太夫聞書』という文書を託されることから始まる。
この文書は、石田三成の娘で、三成の死後も何とか生き延び、尼になった女性からの聞書きとされる。内容は、「元々三成に仕えていた武士が後に故あって盲目となり、零落して豊臣秀次が悪逆塚の塚守になった始終を伝える」ものだ。なぜ三成の娘が語るかというと、その盲目になった武士が三成の娘にその悪逆塚で出会い、とはずがたりに来し方を語ったからだ。
この盲目になった武士がずっと恋い慕っているのが、秀次の妾の一人である一の台の局だ。この女性には「おみや御前」という連れ子がある。
『盲目物語』は、松子夫人を思い描いて書いたと本人が松子夫人への手紙に書いている。が、この第二盲目物語と銘打たれた『聞書抄』は、私には妹尾夫人を思い描いているように思える。そしてその面影は一の台の局と尼の両方に見えてくる。さらに言うと、尼には『夢の浮橋』の第二の母のイメージが重なってくるのだ。
ちなみに、妹尾夫人には谷崎の実の娘鮎子さんと同じくらいの年の連れ子がいた。そして、かなり年下の夫と結婚している。
この小説の舞台になった佐和山城址やその周辺へは、松子夫人と旅行している。松子夫人にもやはり女の子の連れ子がいる。だが、この一の台の局母子の心情については、その多くを松子夫人とその末の妹の関係から取材しているのかもしれない。谷崎の作品には谷崎をモデルにしているようで、実はその周辺にモデルがいたりするものが多い。これは学生時代を描いた話だが、『羹』という作品など、「この人物のモデルは谷崎だ」と登場人物のモデルの一人が書いたのを、後に谷崎自身がそれは自分に似寄りの誰々をモデルにしたんだと訂正していたりする。それが、『羹』ばかりでなく、色々な作品で起こる。細雪の貞之介だって、普通に考えたら谷崎がモデルだが、どうやら松子夫人の前夫を多く頭に置いているようだし、『猫と庄造と二人のおんな』もそうだ。羹は別として、関西移住後はどうやら芸術的興味を持った相手から作り出したイメージを具現化するのに自分の奥さんを使うということを、手法として確立していったようだ。そして、その役目を実に見事に演じたのが松子夫人だったのだろう。
それにしても、『夢の浮橋』といい、『聞書抄』といい、妹尾夫人の影がみえるもののルーツは「谷崎家父祖伝来の地」近江なんだなぁ。そこに彼女に対する思い入れの深さが感じられるのだ。
松任谷正隆著『僕の散財日記』を読んだ。この本についてはユーミンカタログの方にも少し感想を書いたが、正隆さんでなければ書けない濃ーい内容になっている。
この本はMen's EXでの連載をまとめたものだが、巻末には、連載で書かれた商品の後の通信簿がついている。連載時は買ったばかりのものが多いので、その買ったばかりの気持ちと、それから日数を経たときのそのモノに対する気持ちの変化がとても面白い。
連載のページではモノに対する色々なこだわりが印象に残った。特に、子供の頃から憧れていたものは、現在からみた性能とかそういうものを超越して、現在でも憧れのモノの上位に来ること。あと、意外に出てくるのが「男っぽい」デザインへのこだわり。特にトートバッグについては女性的なイメージを持っているらしく、その中で男っぽいデザインのものを選ぶのに苦心されている。
モノで印象に残ったのは、マフラー。ユーミン手編みのマフラーが2点、それから自分で購入したマフラーが2点(そのうち1点はユーミンとお揃いで購入)。マフラーのお話はどれも心が温まる。
ちょっと毛色の変わったモノでは、ランタン。本文と通信簿を両方見て、その顛末に、「いいなぁ、正隆さん」って思ってしまう(^^)
それにしても、これはもう正隆さんでなければ書けない、なんとも贅沢な、ため息の出るような本だ。正隆さんについては、ユーミンのウソラジオでのお話などから常々マサノリと共通点を感じているのだが、こればかりは真似のしようのない、圧倒的なスケールの違いを感じる。かろうじて共通したモノは、最後にチラッと出てくるカルバンクラインのおパンツくらいだろうか。でも、おパンツについても正隆さんはすごいコレクターのようで、やはり大いに異なる。マサノリは気に入ったら同じ色、同じデザインのものを集中して買うタイプなので。ただし、ブランドは今はもう別のに移っている。マサノリはブランドについてもこれまた気に入ったものを見つけるとしばらく集中し、しばらくすると別のに移っていくのだ。この点にはほんの少し共通点があるようだ。