紫式部は、中宮彰子付きの女房が引っ込み思案なのでつまらないと噂されていることを、日記で気に病んでいる。紫式部によると、それは、軽薄なことを嫌う中宮自身の性質により皆が右へ倣えしているうちに、そうなってしまったと書いているが、そこに表現される中宮の性質は、まさに紫式部そのものだ。そして、中宮も噂を気にして、女房たちにももう少し男の人たちとの実務的な話の取次ぎをしっかりできるようにして欲しいと言っていると書いている。
ところで、紫式部にはとても仲のいい女房がいた。小少将の君という人で、紫式部が書くその性質はまるで源氏物語の夕顔のように頼りない。でも、この女房とは世を憂う気持ちを手紙で書き合い、出仕のときはいつも同室だったようだ。そのことを、お互いに秘密にしている通い人がいたら不都合だろうと道長にからかわれても、自分たちにはそんな秘密などないから気楽だと書いている。
どうもこの女房と紫式部は恋愛関係にあったらしいとみるむきがある。私も最初に出てきた和歌の贈答では、あまりの熱烈な訳ぶりに、「そこまで意訳しなくとも」と思ったが、大切な行事の日に、2人で局で髪をとかしあってのどかに過ごしているうちに遅刻してしまい、ばつが悪かったと書いているのを読んで、「これは…」と思った。確かに同僚女房の美しさなどを見る紫式部の筆はなめるように細かいし、うたた寝をしている同僚に、かわいさのあまりちょっといたずらをしてその同僚に抗議されたりしている。さらに、小少将の君以外にも、熱烈な歌の贈答をしている人がいる。
彰子中宮の女房たちは男性と実務的な話すらはかばかしくできなかったようなので、実質的に女性ばかりで生活していたともいえる。女性ばかりでいれば、女子高のような感じで擬似恋愛もありうると思う。そんな中で、紫式部には同性の美しさを丹念に見る性質が他の人より特に強かったのかもしれない。
そういえば、こういうこともあった。宮中で女房が2人追剥の被害に遭う事件があり、そのとき紫式部は同僚を起こしたり、現場に手荒く引っ張っていったり、身分の差も忘れて女官に自分の弟を呼べと指示したりして、活躍している。気味が悪い事件だと書きながら、その後もその裸姿が忘れられず、何だかおかしくもあったと書いている。これ、もし紫式部自身が被害に遭っていたら、それこそ自殺するくらいに嘆いただろうに…。いつもは何につけても自分に引き寄せてあわれを感じるこの人にしては珍しい反応ではある。
『紫式部日記』を読み終わった。他人を次々と批判している部分は、日記ではなく手紙形式にしている。そして、その部分については「これは他の人に漏れたら大変なことになるから読んだらすぐに返してね」と、架空のあて先人に言っている。でも、中宮の最初の出産と2回目の出産の間にあったさまざまな行事などを記録して、道長の栄華を強調するための日記の中に記されているわけで、あなかしこみたいに書きながらとっても挑戦的なのだ。
紫式部は源氏物語のために相当目立ったわけで、当然かなり槍玉には上がる。そのためにいろいろ中傷されたことが悔しく、弟の彼女の手紙に当代一の風流人が集まっているのは自分たちのいる斎院のところだと書いてあったことに腹を立てたことに続いて、そういえばあれも、はたまたこれもと、連鎖式に怒りを書き記していったようだ。
私信の形式を借りて、普段は「一」という字も書けないくらいにホケたふりをしている位なのになんで私が知識を鼻にかけていると言われなくてはならないのかと書いて、その勢いで、「実際は弟より出来たのよ、私は」などと言っている。人の悪口など言うものではないといいながら、人の悪口を書き、知識をひけらかす人間は軽薄だといいながら、思い切り自慢している。まあ、それくらい怒りが日々鬱積していたのだろう。でも、紫式部は中宮の家庭教師なのだから、知識があって当然なのであり、そんなに気にしなくてもいいのにとも思うのだが、それを気にするのが紫式部のやっかいなところなのだろう。
清少納言については、漢字を書き散らして賢がっているなどとさんざんに書いているが、その後で自分もそんなようなことを書いているし、人の悪口を憶測で言うなといいながら、清少納言についての悪口も憶測でしかない。これについては『面白いほどよくわかる源氏物語』に、清少納言が枕草子で夫の縁者のことを滑稽に書いた仕返しだとか、道長をめぐってのさやあてだとか書いているし、紫式部日記の解説では、定子サロンを有名にした清少納言が憎らしかったのだろうと書いている。
結局何が引き金なのかはわからないが、日記中でも自分だって気楽に華やかに過ごしたいけど、出来ないのよみたいなことを書いているので、清少納言のようなタイプはうらやましくもあり、憎らしくもあったのだろう。でも、「言霊」が信じられていた当時に、将来ろくなことにならないとまで書いているのは、これはもう呪詛と言ってもいいと思う。
和泉式部については、昔から親しかったこともあり、人柄について批判しているわけではない。ただ、けしからぬところがあると書いてあるが、それはまあ、2人の親王との恋愛騒動などのことや、口の軽さなどの程度で、特に和泉式部を嫌ってはいないことは読んでいてわかった。ただし、和歌については、時としてはっとするようなすばらしい表現をすることもあるけれど、それはまあ、あくまでも感情を吐露したものであり、本当の歌詠みではないと、2度も書いて強調している。つまり、和歌については自分の方があくまで上と言いたいようだ。では、誰がすばらしい歌詠みなのかというと、中宮彰子付きの女房である赤染衛門を挙げている。
大塚ひかり著『面白いほどよくわかる源氏物語』を読んだ。源氏物語のさまざまな謎に深く分け入って、紫式部の知識や性格をあぶりだしている。
紫式部は、当時宮中ではあまり知られていなかった儒教的な思想を持っていた。それは学者である父のもとで育ったことによる。そのため、同僚女房の浮気な様子が許せない。でも、女房をする限り、男性に顔を見られるし、貴人との関係も生じる。
つまり、女房という仕事をしている自分が嫌でたまらない。でも、仕事はキチンとやっているという自負がある。さらに、知識をひけらかす人は嫌いだが、自分の知識についてのプライドは高い。自分の中に相当な矛盾を抱えていたようだ。
だったら、人のことなど批判しなければいいのに、清少納言、和泉式部をはじめ、親戚にあたる人まで紫式部日記でかなり強烈にけなしている。相当に生きにくかったことだろう。大塚氏の説によると、どうもこの日記を書いていた頃の紫式部はノイローゼに陥っていたらしい。
紫式部日記は以前読んではいたが、『面白いほどよくわかる源氏物語』を読んだら、もう一度じっくり読んでみたくなった。
ある女優さんがこのところ急にきれいになった。それをマサノリに言ったら、急にキッとして「だんなが死んだから?」という答えが飛んできた。そのときわたしはその女優さんのご主人が亡くなったということを知らなかったが、マサノリの反応にビックリしてしまった。そして言うのだ。
「だんなが死ぬときれいになるっていうのが信じられないいんだよな」
それから何ヵ月かたって、ドラマでその女優さんを見たとき、「やっぱりきれいになったねぇ」などと思わず言ってしまったことがあったが、今度は返事もしなかった。なかなか強烈な反応だ。
実家の父が常々冗談まじりに
「男は妻に死なれると、後を追うようにすぐ死んでしまう人が多いけど、女はすごいよな。初めは見るも哀れになっているのに、いつのまにか前よりきれいになっていたりするんだから。だから母さん、先に死ぬなよ。」
などと言うものだから、気にしていたのだろうか。
これはもうマサノリにはぜひ長生きしてもらって、わたしを見送ってもらうしかない。
田原総一郎夫妻の『私たちの愛』という本を読んだ。奥さんが癌になったことで、自分たちの記録を残したいということで出版されたようだ。本には不倫の末結婚に至ったことが書いてあるが、じっくり読んでいると、行間にいろいろな思いが感じられる。特に、奥さんの前夫に関する記述には、複雑な女心が垣間見える。
この本には、夫妻それぞれの言葉を通して、死別してしまった夫婦、離婚した夫婦、そして死が2人を分かつ時を目の前に感じながら生きている夫婦が書かれている。
昨日のEZテレビで正隆さんが正隆さんの結婚前の行動範囲は自宅中心だったとおっしゃってたが、実はマサノリも自宅派だった。時にはデート中もいったん家に帰り、用を足してから、またデートに戻ってくるということもあった。わたしはこれがとても理解できず、また、待ってていいものかどうか不安になったりして(声、小さいからね(^^;)待ちきれずに帰ってしまったこともあった。
マサノリはもともとあまり1人でどこかへ出かけたりすることはない。結婚前にテニスへの行き来以外で1人で歩いているところをテニススクールの人に初めて見られたのが、わたしが電話で呼び出したときにその場所まで歩いているところだったくらいだ。それ以外は家にいるか、テニスをしているか、テニススクールのフロントに入り浸っていた。
わたしはというと、ひとたび家を出れば、フラフラあちこちに行って、なかなか家に帰りたがらない。食事のために1人でお店に入ることもできるし、1人で喫茶店に長居をしたりすることもできる。
というわけで、デートは恐ろしく単調だったが、結婚したとたん、あちこちと2人で出かけはじめた。結婚前に1人では行けなかったところにどんどん行くという感じだ。なので会話も多い。マサノリは人見知り傾向があるので、人前ではあまり話をしないが、あれで結構話し好きなのだ。
結婚してみて相手の性格に驚いたというのは、よくある話だが、わたしの方からすれば、意外に楽しい人なのでほっとしたくらいだ。でも、マサノリの方がわたしに驚いたようだ。新婚の頃、よく言っていたことは、「こんなに気が強いとは思わなかった」だ。気が強いのではなく、新婚当時は生活環境の違いから料理の味付けから何からぶつかることが多いだけのことだったと思うのだが、でも、やっぱり気が強いのかしら。
あ、でも、わたしからすればマサノリはわがままに見えたっけ。マサノリの祖母にも「自分中心に地球が回っている」と言われていた。でも、そういうと、マサノリは「わたしはわがままじゃない!」とムキになってたっけ。今思い出してみると、何がわがままに感じたか思い出すのが大変だったりする。でもそれは、わたしのわがまま度の方が年々大きくなってきているからかもしれない。