私たち夫婦は、テニススクールで知り合った。スクールの旅行で初めて会い、それから1年後に付き合い始めた。それまで2人はほとんど言葉を交わしたことがなかったが、コーチの人たちの応援のもと、結婚に至った。
結婚後も2人ともスクールに通いつづけ、私は運動神経がないので、いつまでたってもあまり上達しなかったが、マサノリは市民大会に出るまでになった。
ユーミンのコンサートに行くきっかけは、チケットをいただいたことだ。もともと2人ともユーミンは好きだったが、コンサートに行くほどではなかった。が、このときからすっかりはまりだし、熱は年々高まる一方。遠征にまで出るようになった。マサノリの熱が高まれば、私も一緒についていく。
マサノリは、自分が夢中になるものに私を巻き込むのが上手だ。おかげで、新婚旅行のときにマサノリが言った、これからも5年に1回とかハワイに行こうという約束は果たされることはない。その代わり、昨年は香港に行けたので、まあいいか。
ユーミン熱が高まるとともに、テニスはご無沙汰になりマサノリがやめたあと、私も結局なんとなくやめることになった。私もやめると言った時、マサノリは少しうれしそうな顔をした。
パソコンは、私が興味を持ち出したのだが、マサノリも雑誌を買い集め、結局2人の趣味になった。そのため、私の仕事にも協力的で、助かっている。が、仕事関係のMLのオフ会には、マサノリは参加しない。私はマサノリに比べて巻き込むのが下手なようだ。
もう少し上手なら、もっと仕事にも役立っただろうと思うが、これでいいのかもしれない。ここでまた凝り性のマサノリが夢中になりだしたら、仕事以外の趣味が影響を受けるかもしれないし。それじゃあんまりさびしいものね。
2003.8.20
確か、 ここにプレジデントという雑誌の特集を読んで書いたものがあったはずなのだが、誤って削除してしまったようだ。気付くのが遅く、復活できないのが残念。
そのうちにまた書けるようだったら、このテーマで書いてみたいと思う。
『マドンナ』の入っている本は、短編集になっている。作者はサラリーマン物が得意なようで、全編サラリーマンが主人公だ。
その中に、『ボス』というのがあった。次の営業部長は自分だと思っていたところに、よそから女性の部長が来たところからこの小説が始まる。その部長が、それまでのバンカラな気風を変えて、合理的にしようという目的をもっていたために、主人公はことごとく納得がいかずに反発する。夫婦同伴のパーティーのシーンでは、夫のあまりの抵抗勢力ぶりに、妻がショックを受けている。また、その部長にスキがないのが気に食わず、何とか弱いところはないものかと食い下がるシーンがあったが、主人公は、上司の人間的なところを見つけて、好意をもつらしい。
電算写植時代に、私はもちろん平社員だったが、似たようなことはあった。その頃の私は、分厚い鎧を着て仕事をしていたのだが、ある上司が自分の仲の良い取引先の人を捕まえてはあいつは生意気だとか何だとか言って、自分の気に入る答えが得られないと、「あ、裏切り者」とか言っていた。
これでは埒があかないので、お話をしたことがあったのだが、私の弱いところをみて、態度が180度変わった。で、私の方も鎧を少しずつ脱いでいった。結局鎧はまた着なおすことになったが、この小説を読んで、その頃のことを思い出した。
雑誌プレジデントを初めて読んだが、なかなか面白い。普段あまり手にすることのない経営者の本だが、サラリーマンが読んでみるのもいいと思う。普段あまり考えない方面からの考え方が見えて、かなり役に立つ。
その2003.6.2号の特集で、「上司と部下の心理学」というのがあった。その中に、女性の部下に心底惚れてしまったらどうすべきかというのがあり、その中で、この小説のことが書いてあったので読んでみた。
作者は奥田英朗。
しっかし、リアルな小説だ。
この主人公は相手にフィアンセとか、あまり自分のそばにいない絶対的な相手がいることがわかればサッと終わるくらいの恋愛感情なのだが、それでも自分のそばに相手に恋をする人間がいれば、嫉妬の炎を燃やし、ジャマをする。好きな人とライバルが一緒に帰りそうだとみたとたんジャマを入れるところなど、かなりの数の男性が経験しているのではないだろうか。
主人公の恋愛期間には、ライバルの独身男との派手な喧嘩まであるが、喧嘩した本人同士は翌日にはさっぱりしてしまうのだから男同士っていいなあ。
この小説の中では語られなかったけど、恋愛の対象になった総合職の女性と、そうならなかった事務職の女性、せっかくうまくいっていたのに、これ、複雑だよね。その頃には上司はそんなこと忘れているのでまさか自分のせいで部下の間がギクシャクしても気付かないだろう。
「年下の男」//www.tbs.co.jp/t-otoko/というドロドロしたドラマがあったが、実際、梓のような女性もいるし。
でも、こだわりあっている女性同士というのも、意外に相手のことを嫌ってはいなかったりする。
この小説は、主人公の一目ぼれから始まっているのであまり複雑なことにはならないが、一般的には双方の感情が絡む。男性の場合、自分が嫉妬の感情もつ=恋愛しているということらしいので、ある程度仕方がないのだろうが、そういう態度を取られれば、相手は何がしかの感情を持つし、周囲も気付く。そうして職場に泥沼の空気が漂うのだ。
今回は、太平記巻二十一の「塩冶判官讒死事」を、谷崎潤一郎が戯曲化した『顔世』について書いてみたい。
この話は、南北朝の初期に、好色な権力者高師直に元公家の女房が自分の顔の広さを自慢したいがために塩冶高貞の妻である顔世が絶世の美女であることをもらし、彼女を得ようとした師直の讒言により塩冶高貞およびその妻子が死に追いやられるというものだ。歌舞伎が好きな方は『仮名手本忠臣蔵』でこの三名の名前はご存知だろう。
谷崎は、この戯曲で奥方に高師直が手紙や使いを寄越して言い寄っていることを知ったときの塩冶高貞の微妙な心理を演出しているように思える。ただ、結末は決まったもので変えようがなかったため、あくまでも暗示にとどまった。時は戦前。当時の谷崎としてもそこまでが限度だったのだろうが、そのために、この妙な演出と台詞が浮いてしまっている。
結局、このとき塩冶高貞に託したかったであろう心理は、後年に書いた『少将滋幹の母』で藤原時平に妻を奪われた藤原国経に託して、完成させている。
ところで、先ほど手紙と書いたが、高師直は2名の者に代筆させているが、そのうちの1人がなんと、あの『徒然草』吉田兼好である。吉田兼好の代筆した手紙は読まれることもなく打ち捨てられたため、以後吉田兼好は高師直のもとへの出入りを禁じられている(はたして本当に吉田兼好なのかは議論がある)。
さらに、この浅はかな女房、元は公家の女房だったが寄る辺がなくなり、京にいるあちこちの武士の屋敷に出入りしていたが、師直を恐れ地方へ逃げたという。なんだか誰かに似ている。そう。あの二条だ。
ただ、このとき彼女が生きていたとしても80~90歳位だし、彼女は京の中では武士とのつきあいをあまりしていないと思われるので、たぶん別の人だろう。時は南北朝初期、両統迭立で上皇が常に複数いた時を経て、その後南北朝に分かれてしまったため、二条のような境遇の人は結構多くいたのだろう。