キャベツがおいしい季節になった。
我が家では、蒸し機能のあるホットプレートでよく豚肉ともやしを蒸してポン酢でいただくのだが、肉に対してもやしが足りなかったときに、試しにキャベツを使ってみたら、ビックリ!とってもおいしかった。キャベツって、茹でたり、炒めたり、生で食べたりはあるけど、蒸すというのはしたことがなかった。で、蒸してみると、なんだか芋のような食感がするのだ。肉と合わさると、トロリとした感じで、とても贅沢な味になる。
以来、すっかりはまってしまって、もやしとキャベツを混ぜたりしている。
でも、ホットプレートをしょっちゅう出してというのは面倒だ。試しにキャベツだけをザク切りにして、サッと茹でてさっぱりしたドレッシングで食べてみたら、これがまたいける。ポン酢でもいいし、もちろんマヨネーズでもいい。キャベツのおいしい季節ならではの食べ方かもしれない。蒸した感じとはやっぱり違うけれども、それはそれでおいしいのだ。
お皿の上にどっさりキャベツ。
この図は、あまり美しくはないし、蒸したキャベツのおいしさを味わう前のマサノリなら「ナニコレ」と言ったと思うが、恐る恐る出してみたら、抵抗感なく食べていた。今度は小鉢にキャベツと豚薄切り肉をのせて、レンジでチンしてみようかな。結構オシャレなおかずになるかもしれない。
ananの好きな男・嫌いな男特集(ユーミンおすすめのバームクーヘンが出ていた号)で、キムタクがV10を達成した。私はもともとキムタクが好きなので、とてもうれしい。キムタクは、このところ発言がオジンくさくなってきているのが気にかかるが、年1、2回恋愛の絡んだドラマをやれば、まだしばらくは1位でありつづけるだろう。
キムタクの魅力は豊かな表情だ。そして声。だから、写真などで見てもあまり魅力を感じない。このタイプの場合、刺激を与えつづけている間は絶対的に強いが、ひとたび遠ざかるとつらい。1位でありつづけるためには、やはり露出しつづけて、ファンに刺激を与えつづけなくてはならない。
そうは言っても…。
役者の場合、ひとたび遠ざかっても、作品があれば、時間を超えて刺激を与えることができる。ただ、キムタクの今の路線の場合、過去の作品を見てその当時の気持ちに戻ることはできても、今ひとつ何かが足りない。1つ1つの細かな演技はすばらしい。実際、今回のGood
Luckなど、実年齢より相当若い役を実に自然にこなしていた。だけど…。
そろそろ代表作が欲しいところだけど、今の路線では無理かな。ということは、キムタクがもう一段大きくなるためには、一度この記録をストップする必要があるのかもしれない。
先日NHKのドラマアーカイブで、「新・夢千代日記」に松田優作が出ているのを見た。魅力的だった。一見とっつきにくいけど、心を許した相手には別の一面を見せる。生前の彼の作品には、残念ながらあまり接していないのだが、この作品で、すっかりはまってしまった。
ベテランになっていくにつれて専属化が進行し、苗場などで休みをとると、その間の仕事が机の上に積みあがり、帰ってくるとなくなるということの繰り返しになった。
この仕事を始めてから、せっせと資格取得に励んだ。ワープロ検定もそうだし、システムアドミニストレータは、第1回の橋本龍太郎の名前の入ったお免状を持っている。時間が止まったような世界の中にどっぷりと漬かることに不安を感じていたのかもしれない。そのために、いろいろなスクールに通った。その様子をみて、ある人は「道場破り」と表現した。その人からすれば、私がわざわざスクールに行ってまで勉強する必要を感じなかったのだろう。でも、私はちっとも自信がなく、不安はますます強くなるばかりだった。お客さんのお客さんが、次に何を求めてくるかを予測して、そのための準備も兼ねていた。
会社にいる間は、機械の陰に隠れるようにして仕事をしていた。おしゃべりする余裕はなかった。それでも普段会社で流れているラジオにあわせて鼻歌を歌いながら仕事をしていたので、周囲にはちっとも忙しそうに見えない。技術的なことで必要があるときは、資料を作って説明したが、紙は読まれない。そして、殻に閉じこもった。
潮時を感じた。
在宅で仕事をしないかと言われたが、その気にはなれなかった。第一、NICEの古い、大掛かりなセットを引き取る場所もない。
退職後はWebの勉強をしたり、組版の自動化のお手伝いに行ったり、Word、ExcelのMOUS資格を上級までとったりして過ごした。正社員の口を探したが、やはり、特殊な環境で仕事をしていたため、潰しが利かない。井の中の蛙になるまいと思いつつ、外の世界では役に立たない自分を感じた。それでも最初に面接に行ったところは、その後自分がしてきたことを考えれば、ぴったりの仕事だった。オペレーターで応募したのだが、履歴書をみて、自動組版のSEにならないかといわれたのだ。ただ、当時まだ触ったことのないソフトでの自動組版だった。すぐ覚えられる自信はあったのだが、どうしても「やります」とは言えなかった。その会社のワークフローが固まっていたことも、「やります」という気になれない一因だった。そして、最初のぎこちなさを恐れるつまらないプライドにいつのまにか侵食されていた。
紆余曲折の末昨年開業し、幸運にも1年目から大掛かりな名簿の仕事が入った。退職する前年に担当したデータベース作成を伴う名簿作成の仕事が役に立った。
(お仕事体験記終わり)
NICEの会社は、社長と電話番の人だけになった。元からの電話番号に電話をすれば連絡がとれる。ひとまず安心した。
NICEというソフトは、8インチフロッピー1枚、5インチフロッピー2枚のセットでコピープロテクトが入っていた。正副2セットが手元にあるが、正のメディアが壊れた場合、副で使っている間に開発元に新しいメディアを送ってもらうことになる。そのうちに、8インチのフロッピー自体が貴重品になってきた。それまで写研のデータを出力センターに運ぶのにも8インチが必要だったのだが、3.5インチも可能になってきたころだった。そこで、販売店の人に聞いたところ、3.5インチ2枚にしたものがあるとのことで、それに切り替えることにした。あきらめていたバージョンアップだ。さらに、写研がタショニムというフォント指定方式を発表したときは、こちらで何とかした。画面で操作する方のソフトは、それからしばらくしてメーカーが対応した。
タショニムの前か後か、画面で作る方のソフトで作ったデータをお客さんがHTMLで欲しいと言ってきた。ホームページにのせるためだ。が、組んだデータをHTMLにするのは当時は大変だった。ちょうどその1年位前から、PDFについての情報を得ていた。PDFにすれば、印刷する感覚でページそのままの状態で保存できる。手間もかからない。そこで、PDFにしてはと提案し、動き出した。
画面で処理するソフトも、NICEも(当然)、その時点ではPDFには対応していない。でも、画面で処理するソフトについては簡単なことで対応できることはわかっていた。そのソフトの代理店の人に相談したところ、やはり同意見で、早速メーカーに問い合わせた。可能だということで、それからしばらく待ってバージョンアップとなった。とりあえず数台あるうちの1台についてだけバージョンアップしたが、これが結果的には大掛かりなバージョンアップになった。NICEについては、印刷データをプリンタに出さずにファイルに保存すればと思ったが、実はNICEは、ページプリンタでの出力は棒組み状態でしかできず、棒組み状態でデータをチェックし、出力に出すというワークフローになっていた。そのような状態でたとえファイルにできたとしても無駄だと思い、あきらめた。
写研の方ではどうかと調べたところ、PDF対応がはじまったところだった。が、対応している会社がまだ少なく、そこへPDF化を発注するにも、結構費用がかかることがわかった。
PDF1つ作るのにこんなにコストがかかるようではと、いよいよ写研以外の道を考えるときが来たと思った。
その頃になると、私は銀行関係の仕事でほぼ専属状態になっていたが、Wordのデータを直してそのまま紙で納品する仕事が入ってくることになった。そこで、私が使うWindows機を1台購入してもらい、Wordの処理に使う傍ら、NICEのデータの移行方法を個人的に探りはじめた。
そんな中、SMI EDICOLORがバージョン3(2.2からWindows版が出ていたが、デモ版を試してみたところまだとっつきにくかった)を出した。研究のため、個人的にこのソフトを購入し、準備を始めたところに、添削の仕事でバーコードを入れる話が出た。これについてはCorel
Drawというソフトのプロフェッショナルエディションにバーコードソフトがついていたので、バーコードが入る添削問題のヘッダの部分をEDICOLORで組み、そこにバーコードソフトで作ったバーコードを貼り付けた。ソフトの購入費用は、この時点で会社から出してもらった。
漫画のワークフローができたころ、法律関係のハードカバーの本の組版を1冊1人で担当した。テキストデータ先方支給で、外字が入力されているところは化けていた。また、縦書きにもかかわらずX1だのX2だのが入ってくる。今なら当然sedの登場というところだ。が、当時使っていた画面で編集するタイプのソフトでは、縦書きの中に下付文字があるというのがどうもうまくいかない。結局ルビ機能を使って対応することにしたのだが、そこに到達するまでに画面で四苦八苦した結果、1章分は手でやってしまった。また、2章からはsedを使ったが、それでも画面での微調整が必要だった。それでもこの仕事自体は結構早くこなすことはできたが、この件で、画面で作業することの不自由さを実感するようになった。決定的だったのが、当時まだ処理が追いつけないために外注していた添削問題と解答を組む仕事が、画面で作るタイプではどうしても不自由だったことだ。
罫巻きというのだが、解答を入れるところに四角を書いて、その中に解答番号を入れる場合、画面処理のソフトでは罫線をその場に書かなくてはならない。後で文字が追加になってずれた場合に、罫線もずらさなくてはならなかった。ファンクションなら、その四角が文字と一緒に動くように組むことができる。
sedを教えてくれた人が勤める販売店では、NICEというファンクションオンリーで組むタイプのソフトを販売していた。これは値段も結構張って、しかも「ノーファンクション」といわないとソフトが売れないような風潮から、苦戦していた。でも、画面で作るタイプと、ファンクションで作るタイプと両方あることは、仕事の幅を広げるのに有利だと思い、ぜひ買ってもらえるように担当役員と一緒に運動した。
運動の甲斐があって導入が成り、役員、私、もう1人の社員の子の3人が講習を受けることになった。講習を受けているうちに、私は夢中になって、どんどん先走った質問をしたが、それに従い役員の顔は真っ白になっていった。ファンクションというのはそれだけとっつきにくいのだ。
NICEは、書院というワープロでファンクションと文字を入力する。あらかじめ組体裁や部品のファンクションを頭に入れたファイルを用意しておけば、あとは単純な作業で同じ体裁のものが作れる。そういう雛型を作って作業をするのに便利なソフトだった。sedで変換していた部分も、ファイルの頭の方に命令を入れておけばよいので、また手間が1つ減った。外注の方が多かった添削の仕事も、徐々にこちらで処理できる分が増えるようになった。
そんなとき、NICEの開発元が不渡りを出した。ノーファンクションという世の中の流れには対抗できなかったらしい。
このときは全く立場がなかった。あのときの社長の私を見る顔を今でも覚えている。でも、私自身は全く心配はしていなかった。