ラブレターズ

その115(2003.1.16)二条再び

久しぶりに『とはずがたり』の二条のお話。
いろいろ書いたけど、結局二条はただの女房だったし、扱いしてもただの女房(上臈ではあるけれども)だったのよね。でも、二条としては子供の頃から御所で育ち、後深草院に「あが子」と呼ばれて育ったわけで、どうしても自分は特別な人間なんだという意識があるのよね。それに、もともと家柄はよかったのだし。
二条の娘は誰かという議論があるのだけれども、読んだときにはどう見ても遊義門院のように思えたが、はたしてどうなのだろうか。学説では、比較的高い年齢でわざわざ亀山院に上がった西園寺実兼の次女がそうらしいといわれている。年齢的には合うような合わないような。でも遊義門院よりは合う。
確かに、長女と三女に比べて、この人の扱いはことさら冷淡に思われる。表面上はいずれも北の方の娘なのに。だが、亀山院は彼女をことのほか愛し、彼女もそれに応えて、とても仲むつまじかったようだ。女性関係でいろいろあった亀山院が最後までこの人を愛したということは注目される。もともと二条に関心の強かった院であることを考えれば、なんとなく合点がいくような気がする。
二条がこの日記を書いたときには、この日記に書かれた時期のことを知っている人はほとんどいなくなっている。ただ1人、実兼が生きている。あくまで後深草院との関係を強調しているわりには、雪の曙をことさらかっこよく書いているところに作為はないだろうか。実際、尼になった後、彼の世話になっているようににおわせている。あくまでにおわせているだけで、決してそうだとは書いていない。そして、遊義門院についての思わせぶり…

その後「増鏡」に「とはずがたり」を出典とする記事が多くみられることを考えると、後に彼女は表舞台へ復活できたようだ。二条の父方ゆかりの村上源氏から帝の母も誕生した(これが実際は遊義門院の子かといわれている)。公家の女性でありながら諸国を歩き、教養があり、しかも長生きした彼女が、当時とても貴重な存在になっていたことは想像にかたくない。


その114(2003.1.10)『ママの遺伝子』 

今ごろになって、『ママの遺伝子』というドラマを見終わった。例によってマサノリがビデオにとり、あとでまとめてみるのだ。
主人公の男の子、かわいかった。もしそばにいたら、くちゃくちゃに抱きしめてしまいそうなほど。ぽちゃぽちゃして、目がキラキラして。う~ん、かわいい。
それにしても、このドラマ、私の高校受験のときとそっくり。私、高校は3校受けたんだけど、いきなり滑り止めの滑り止めで落ちてねぇ。このとき、親戚のおばさんが苺を持ってきてくれたわ。とってもやさしかった。先生は、これはいけないと二次募集の受験を勧めたけど、経済的余裕がなかったので断ったら、すねてしまったっけ。でも、その後の滑り止めに受かって、最後の本命にも受かったので、助かった。本命に受かったとき、担任の先生、本当に喜んでくれたけど、最後まで最初の失敗のことを言われたなぁ。
本命の発表のときは、家に帰ったら母が固まっていてね、血圧が上がってた。万事のんびりした母がここまで心配したということにジーンときたものだ。実際、本命に受からなかったら、滑り止めに行くしかないのだけれど、当時そんな余裕はなかった。つまり、受けたはいいけど、行けるわけがなかったのだ。本当に、最後公立に受かってよかった。もし落ちていたら、母は倒れていたかもしれない。

それにしてもこのドラマ、お受験に的を絞っているからあまり深刻にはならなかったけど、実際、同居は大変だよね。私などは気を使わないと決めているので、まあ、相当グウタラな嫁なんだけど、こうあるべきとかあああるべきとか、「ベキ」を言い出したら、やっていけないよね。でも、あまりにグウタラなので、さすがのマサノリも小言を言ったりするが、実際、万事マサノリが決めて旗を振っていれば誰からも文句は出ないし平和なのだ。その分、マサノリにはきついと思う。でも、私がアーダコーダ気にし出したら、相当暗くなるので…許してね。これでも感謝しているのよ、マサノリ。


その113(2002.12.27)地味なクリスマス 

今年はとても地味なクリスマスだった。理由は印刷業界の「年末進行」である。といっても、いくつも掛け持ちしているわけではないから、「地獄の」というわけではないし、これはまあ印刷業界だけのことではないだろうが、さすがに最後の追い込みはきつかった。
24日は昼からずっとパソコンの前。テレビの夜中の番組から朝の番組までBGMにして延々と仕事を続けていた。お昼頃、やっと上がった前半分を宅急便で送って、ひとまず仮眠。夕方からまた翌日昼まで作業を続け、午後3時頃宅急便に出して、今年の仕事が終了した。つまり、24日の夜から26日の昼まで仕事漬けだったわけだ。
朝の番組って、同じことを同じ表現で何度も繰り返して報道してるのね。朝それぞれ違った時間帯に出勤する人たちが同じニュースを知っているということは、そういうことなんだとわかるけれど、実際に聞いていると、「ああ、そうだったんだ」って改めて思った。普段と違うことをすると、新しい発見がある。

25日発売の地球音楽ライブラリー松任谷由実、初のオフィシャル・データブックということだが、早速マサノリが買ってきた。最後の方に田口ランディのエッセイを見つけた。やっぱりユーミンファンだったのね。
この本が今年のクリスマスプレゼントかな。
そうそう。今日、ようやく仕事用のパソコンが届いた。これで今使っているデスクトップパソコンを修理に出せる。もう少し早く届いていたら、この年末進行も楽にこなせたのに(^^;

2002.12.31
やっと仕事部屋が確保できた。マサノリがせっせとスペースを作ってくれた。感謝。


その112(2002.12.17)『挑む女』 

群ようこ作『挑む女』を読んだ。
この作品は、4人の性格も年齢も違う女性が、いろいろなことにぶつかりながら自分の人生を生きていく話なのだが、まあ、普通この4人は友達にはなり得ないだろうなというような組合せである。1人は学校を卒業後、勤続20年、とても頼りがいのあるタイプ、2人目は学校を卒業以来、お見合いを続けてきたがまとまらず、41歳になるまで一度も就職せず、家事もせず家にいる人、3人目は一度就職したがあまりのドジさ加減に結婚退職後も語り草になっている人、4人目は、今までの三人に比べて年齢が若く、会社に行くのも何をするのもいい男をGETするためと思っているハデハデな人だ。
当然話をすればお互いの言葉にカチンときたり、付き合いきれないと思ったりする。特に、勤続20年の人は、一度も就職してない女性にかなりきついことを言っている。それでも頼られたら嫌と言えない彼女は、初めて就職することになった彼女をハラハラしながら見守っている。
物語は勤続20年の人が、他の三人の就職や転職にかかわり、結局採用されたのは1人だが、その後はそれぞれに居場所を見つけていく。いろいろ欠点があって、あるところではとても浮いてしまったり、使えないと思われるような人でも、別の場所に行けば、ぴったりなじんだりしている。
結局、あるところで自分が否定されたとしても、自分まで自分を否定する必要はないということかな。


その111(2002.12.13)石川セリライブ 

12月2日、赤坂ACTシアターで、石川セリのライブがあった。石川セリももちろんだが、私には村石ドラムも見たいところだった。
当日席につくと、ドラムセットがない。え?ドラム、ないの?と心配になったが、ライブの途中で後ろの幕が開いて、2台のドラムが出てきたときは感激した。
曲目は、懐かしいもの中心にやっていた。演奏する方も、観客も、双方平均年齢が高かった。ムーンライトサーファーは、もう少し盛り上がってもよかったと思うが、比較的新しいからねぇ。でも、デビュー曲の8月の濡れた砂は2回も歌って、やはり観客もこれを期待していたという感じかな。
それにしても豪華なメンバーだった。なんと、ブレバタがコーラスよ!もう嬉しくて嬉しくて。でも、セリさん本人がライブに慣れていないようで、最後をどのように締めたらいいのか戸惑っている感じが初々しかった。話題もダンナのことが多かったかな。井上がお世話になってますとか。せっかくのメンバーなんだから、もう少し何かあっても良かったと思うんだけど…
そうそう、もちろんダンナ(井上陽水)も出演した。仲良さそうに一緒に歌ったりして。ちょうど文春?かなにかに危機説が出てたけど、どうなんでしょ。同業者だといろいろあるのかな。真偽のほどはわからない。
まあ、私は仕事については束縛されたくないな。もともと仕事は当然するものと思っていたし、マサノリも当たり前のように受け入れてくれた。仕事をどうするかという考え方が一致していないと、難しいよね。
マサノリは私がフリーのDTPオペレーターとして開業することも反対しなかった。とっても感謝している。