ラブレターズ

その110(2002.12.2)アルジャーノンに花束を

ダニエル・キイス著『アルジャーノンに花束を』を読んだ。この作品は、多くの人の涙を絞ったらしい。が、私は泣けなかった。あまりにもチャーリーと自分を重ね合わせすぎたから。

私は、かなりおバカな子供だった。小学校3年の頃の担任は、はっきりと知的障害者扱いをしていたと思う。5年の時の担任は、知能テストの結果を見せてくれた。ひどかった。そして、それがひどいということも、見た時点でわからなかった。でもそのとき、この担任は結果を見せながら、「みよこはのろいからなあ。本当はこのくらいはいくはずなんだけど」と1つ上の段階を指差した。どちらにしても低いことには変わりはないのだけれど、このとき、初めて自信が芽生えてきた。
この先生はその後、ずいぶんいろいろ教えてくれたように思う。例えばノートの使い方。ノートを横に使う場合は、表紙が上にくるように、毎回ノートをひっくり返さなくてはならないような書き方をしないようにとか。また、休むときの言い方については「休みます」と言ったら、まだ許可していないから、そういう言い方は違うだろうとか。ノートの使い方についははっきりと教えてくれたから良かったが、言い方については、当時の私にはとても難しかった。「休んでもいいでしょうか」と言ったら、「ダメといったら休まないの?」と聞かれたり。最終的に、私は「休ませてください」と言ったが、このとき先生はどう言ったら気にいってくれたのか。

中学2年のときの担任は、体育の先生だった。この先生は、クラス全員に、毎日大学ノートに2ページ分、何か勉強して、一週間に一度見せろと言った。で、一人一人見せにいくのだが、その内容について質問される。で、ちゃんと答えられるとほめられる。初めてまともにほめられたなあ。よくやってるねって、ほとんど驚いていた。このとき、書けば覚えるということを学んだ。それからだと思う。急に成績が上がったのは。
この頃、将来小説家になりたいと思った。で、いろいろ勉強していくうちに、小説家って、あまりいい性格の人いないなと、なぜか思った。なあんだ。性格が悪い方が小説家になれるんだと思った。これが後で響いたと、今になって思う。人に対する思いやりというものを一番勉強すべきときだったのではないかと思うのだ。

中学3年のとき、課外授業で、成績別クラスというのがあった。受験対策だ。業者テストの順位でクラスを分け、正規の授業のあと、机を大移動するのだ。AからEくらいまであったのだろうか。私はだいたいBの上の方にいたが、あるときまぐれでAのお尻に入ったことがある。Bのときには楽だったのに、いきなり高度になって、頭のいい人たちはこんなことがわかるんだと思って感動した。そのとき、心のケアも兼ねていたのだと思うが、一番頭のいい子の作文が読まれた。その子は県内で一番偏差値の高い学校を受けることがきまっていたが、今まで、そんなこと考えたこともなかったのに、どうしても受験する学校のレベルで人を見てしまう自分が怖いというようなことを書いていたと思う。その子については私は同じクラスになったことがなかったのでよくわからないのだが、性格は至ってまじめで頼り甲斐のありそうな子だった。

高校3年のときは、クラスの子数人と毎日放課後図書室に行って勉強した。わからないところがあるとみんなで教えあって、それでもわからないと、大挙して先生の部屋に行ったっけ。あの頃は、毎朝新聞配達のバイトをしてから学校に行き、放課後勉強して、家に帰ったらお昼代を貯めて買った文庫本を読むくらいだった。それでも一校しか受けなかった短大に受かって、うれしかったなあ。今でも一番のいい思い出だ。

社会に出ると、初めて知る社会の壁というのが襲ってきた。雑巾の絞り方でしつけがどうのこうのと言われたこともある。いやあ、びっくりしたね。学校は横社会だけど、会社は縦なのよね。
でね、2つ目の会社のとき、私はもともと頭が良くなかったから、自分がわかることが、本来わからなくてはならない上司が理解できないのが不思議だった。ほとんど許せない気持ちになって、突っかかったこともある。ひどいよね。でも、人間って、得意不得意があるわけで、ある分野でどんなに有名な人でもわからないことはあるんだということが、ここにきてようやくわかってきた。

本は、読む人を傷つけないように書いてある。「嫌なやつ」という表現はない。テレビでは、わかりやすくするためか、単純な表現方法をとる。本でチャーリーに自分を投影する人は多いという。チャーリーは決して「嫌なやつ」ではない。
そうそう。一時期、小説家に神経衰弱が多かった。自分を極限に置いて作品を作った人々には、そういう症状もいい作品を作るための試練だったのだろう。
日本語版序文には、「愛情を与えたり受け入れたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこすものである」と書いてある。
とってもよくわかる。


その109(2002.11.29)爆笑夫婦問題 

太田光代著『爆笑夫婦問題』を読んだ。太田光代さんとは、爆笑問題のために事務所を設立した、太田さんの頼りがいのある奥さんだ。
読んでいる間中、なぜだか涙が出て止まらなかった。別に泣くようなことが書いてあるわけではないのに、これはいったいなぜだろう。読み終わった今でもわからない。
本の中には夫のことが好きで好きでたまらないことが、これでもかこれでもかと書いてあった。読んでいて思ったのは、相性って、本当に重要だなということ。ある人にしてみればとんでもない短所でも、別の人からみればこの上もない美質だったりする。お互いの性質が、お互いにとって嫌でなく、逆に好ましいと思えるのは相性がいいからだろう。
本の中に、コンピュータ相性占いのことが書いてあった。100%だったそうだ。そのコンピュータでは0%も100%も出ないはずなのだそうだ。相性のいい相手というのはそういうものだろう。
実は、私たち夫婦も、私が生命保険会社の窓口のバイトをしていたときにお客様サービス用の相性診断で100点と出たことがある。診断してくれた人が言っていた。100点なんて初めてだと。

24日にクラブチッタ川崎に行ってきた。本当は23日も行きたかったのだが、残念ながらチケットがとれなかったので行けなかった。この日も取れなかったのだが、幸い譲ってくださる方がいて、貴重なライブを楽しむことができた。
当日は久しぶりにユーミンファンの皆さんに会えた。何だか同窓会のような感覚がして、嬉しかった。で、会う人会う人、皆さんがおっしゃる。
「昨日は来なかったの?」
私たち夫婦が来ないはずはないと皆さんで言っていたそうだ。まあ、どこに行っても見かけるくらい、都内、近郊のライブハウスに出没しまくっていたわけで、そう言われるのも無理はない。こんなにしょっちゅう一緒に出かけられるのも、相性がいいからなのだろう。
当日は私たちの好きなジャズの日で、ジャズも楽しめたし、ケイコ・リーという歌手の友達ということで出演したユーミンの、ちょっと珍しい茶色のメークにブルーのシャドウのかわいらしい姿とおしゃべりも楽しめた。ケイコ・リーさんは、ユーミンより少し年下だと思うのだが、バリバリのタメ言葉だったのが印象的だった。対談というと、妙な間が出来たり、聞いている方が力が入ってしまいがちなユーミンだが、この自然さには、本当に仲がいいのだなと思えた。
ライブの間、マサノリが私のヒザをツネるシーンが何度かあった。日ごろ睡眠時間が不規則な私は、失礼にもライブ中に眠りそうになることがあるのだ。でも、このときは寝てないゾ!となりでちょっと動きが止まると、マサノリは自動的に私が寝ていると思うように習慣づいているらしく、いきなりツネったり、突っついてきたりするのだ。
ライブの間に、いい歳をした夫婦がグチャグチャ言ってるのは何ともはた迷惑なことだ。眠りがちな私がいけないのだけれども、しょっちゅうツンツク突っついたり、ツネったりするのは勘弁してほしい。
でも、私が睡眠のリズムを正しくして、マサノリに余計な心配をかけないことが先なのよね。わかっています。ごめんなさい。

2002.11.30
そういえば、11月29日は松任谷夫妻の26年目の結婚記念日だったのね。
そういう日に、このネタで書けたことがとても嬉しいと思う。
結婚記念日といえば、今年はマサノリがすいすいと高級焼肉レストランに連れてってくれた。今日、マサノリに今年の記念日、気が付いたか聞いたら、
「だから焼肉に行ったんじゃない。えっ?もしかして忘れてたの?」と言われてしまった。
いや、あっ、その、別に、忘れてた訳では…(^^;;;


その108(2002.11.17)文章読本さん江 

エディカラーのMLで、この本を読まれた方が爆笑したと書かれたので、谷崎潤一郎ファンである私としてもこれはぜひ読まねばと思い、早速読んでみた。
タイトル『文章読本さん江』、斎藤美奈子著、筑摩書房が出していてる。
いや~、小気味良かったこと。どんな文豪だろうが大家だろうが、遠慮なく批評するこのすがすがしさ。特に、言文一致運動の頃の試行錯誤中に出てきたトンデモな文体を挙げていって、そのあとにそれを批評するのにその文体を使って書いているところなんか、もう大爆笑!ただ、結論の方になってくると、まじめになっていって、笑いも少なくなってきた。結局は、今までの文章読本をさまざまに取り上げた末に、彼女の文章読本としてのキャッチコピーである「レトリック」というのを持ち出して終わっている、文章読本論という文章読本だね。
でも、それは決して悪口ではなく、これだけ色々調べ上げて、しかも歯に衣を着せずに、楽に読める本を書かれたのには敬服する。いや~、本当に面白かった。

谷崎の文章読本といえば、私も途中まで読んだのだが、志賀直哉の暗夜行路を例文に持ち出した時点でやめた記憶がある。谷崎の文体といえば「だらだら文」とか言われるが、その生涯にはさまざまな文体の作品を編み出している。彼は文章読本で文章に芸術的も実用的もないと書いているが、一瞬ウッソーと思えるようなこの理屈も、意外や意外、結構実践しているのだ。その証拠に、明治大正の頃の作品でも、旧字体が難しいだけで、結構読みやすいのだ。
ただし、春琴抄だけは別だ。百恵友和の影響で、いきなりこれを読んで投げ出した人は数多いだろう。これは谷崎の実験的な小説なのだ。つまり、なるべく点や丸を省いて、せりふと地の文の境目をあいまいに、ずらずらと並べるという、源氏物語を真似た文体なのだ。
その一方で、短歌も書いている。この中にはもう、『サラダ記念日』も真っ青の口語体のものがある。
「我といふ人の心はたゝひとりわれよりほかに知る人はなし」
という作品が有名だが、他には、これ短歌?と思うようなものも多々ある。曰く、小便をたれるように短歌を作ればよいとのこと。手紙が候文なのを考え合わせると、結構面白い。

文体といえば、このLovelettersもねぇ、いつも自分に蹴り入れてるのよ
暗い!何でストレス解消サイトでこんな重い文体で書いてるのよ!
ってね。


その107(2002.11.13)東京タワー 

田口ランディの本が、まだ他にもないかとマサノリのベッドを探したところ、江国香織の『東京タワー』が出てきた。ということで早速読んでみたところ、どうもこれはマサノリの分野ではなく、私の分野のようだった。で、マサノリになぜこの本を買ったか聞いたところ、
「だって、東京タワーだから…」
やっぱり…。
この小説は、大学生の男の子2人が、自分の母親と同じくらいの年齢の女性と交際するお話だ。マサノリに感想を聞いたところ、出てきた言葉は
「ペタジーニ」
マサノリにしてみれば、自分の母親と同じくらいの年齢の女性に恋心を持つなどということは信じられないことのようだ。でも、それくらいの年齢の男の子は年上に興味があったりするのではと聞いたところ、せいぜい10歳くらいまでだよなぁとのこと。
小説のあとがきには、「そんなに若い男の子たちに、おそらくは不覚にも恋をした、 二人のあまり若くない女たちに敬意と同情を禁じ得ません」という作者自身の言葉がある。小説は男の子の側から書かれているため、この女性たちの心情については、その言葉などから想像するしかない。
一人は「私があなたに会うためにこんなに腐心しているのに、あなたは私に会いたいとは思わないのよね」と、歳相応の彼女とも付き合っている相手に怒りをぶつけ、もう一人は「一緒に暮らしたい人と、一緒に生きたい人は別なの。あなた、夫と私のところに引っ越してくる?」彼女を独占したいと思い始めた男の子に対して答える。
それぞれ、男の子の側から読んでいる読者からすれば、何を勝手な…と思うところだが、夫とは別れたくないが、でも、男の子に恋をしている女性の心情が読み取れてくる。ただ、一つ気になったのは、引っ越してくる?と言った彼女の夫が、彼女と大学生の間にあるものを知っていると思われること。この夫婦の関係には、いろいろ想像が膨らむ。一見幸せそうな彼女の中の空洞が透けて見えてくる。

私は一時、恋愛関係の小説やエッセイなどを片端から読んでいたことがある。それに対してマサノリは遠慮がちに苦情を述べていたが、ある日、仕事から帰ってきたら私のベッドにカバーを外したそれらの本がうずたかく積んであった。さすがにそれらの背表紙を並べて見ると、マサノリがよく言っていた「あんたの読む本は変なのばっかり!」という怒りの弁も納得できた。

でも、いいじゃない。想像するだけなんだから(^O^)

マサノリがこの本を私に薦めなかったのはよくわかる。


その106(2002.11.03)昨晩お会いしましょう 

例によってマサノリがベッドの脇に置いた本の中に、『昨晩お会いしましょう』という田口ランディの短編集があったので、読んでみた。タイトル作と、次の作品を読んだところで疲れた。
マサノリに、なぜこの本を読んだのか聞いたら、タイトルに惹かれてということだった。まあ、予想通りだ。
ふとまたベッドの脇を見たら、『コンセント』という単行本があった。田口ランディの初めての小説だ。これもかなり刺激の強いものだったが、これは素直に読むことができた。それどころか、とても好きな作品になった。
この作品は、兄の生きることをやめたような死に方に遭遇し、そのダイイングメッセージのような掃除機のプラグについてこだわっていくうちに、主人公に変化が起こる。そして、最後にはすべての記憶を持っている存在へのコンセントとして生きるようになるというお話だ。
この作品には、彼女の作品の主題が詰まっていた。この作品を読むことによって、ようやく先ほどの「昨晩お会いしましょう」が理解できた。この短編集の中には5つの短編が入っているが、後ろの方にいくと、刺激が弱まってくる。ユーミンファンとしては、そのうちの『満月』がとても共感できるだろう。『昨晩お会いしましょう』という短編集を読むときは、ぜひ『満月』から後ろへ読み、それから『昨晩お会いしましょう』や、その次の『深く冷たい夜』を読むことをお勧めする。もしくは、田口ランディという人に興味があれば、ぜひ『コンセント』を先に読むことをお勧めする。
彼女の肩書きは「ネットコラムニスト」だ。コラムをメルマガ形式で読者に配信している。バックナンバーはMSNなどにある。まずは田口ランディのコラムマガジンに行き、そこからバックナンバーへのリンクをたどって読んでみるのもいいかもしれない。

テーマのはっきりした人は強いなと思う。