その13(2017年8月25日)『蘆刈』文学散歩(4)(2016年11月のお話)
きつねうどんで温まったところで、後鳥羽上皇の離宮であった水無瀬殿の跡に建立された、水無瀬神宮に行きました。
あれっ、順徳天皇祭が十月十四日、『春琴抄』の佐助と春琴の命日ですね。この日は、これまで「心中天網島」(『瘋癲老人日記』にも登場しますね)の心中の日として、『春琴抄』の読解のためにチェックしていたのですが……。あ、十月十四日って、松花堂昭乗の亡くなった日でもあるんですね。何だかこの日付、調べればいろいろ出てきそうです。
『蘆刈』では次のように書かれています。
その水無瀬の宮というのは増かゞみの「おどろのした」に、「鳥羽殿白河殿なども修理せさせ給ひて常にわたりすませ給へど猶又水無瀬といふ所にえもいはずおもしろき院づくりしてしばしば通ひおはしましつゝ春秋の花もみぢにつけても御心ゆくかぎり世をひゞかしてあそびをのみぞしたまふ。所がらもはるばると川にのぞめる眺望いとおもしろくなむ。元久の頃詩に歌をあはせられしにもとりわきてこそは
見わたせば山もとかすむみなせ川
ゆふべは秋となにおもひけむ
かやぶきの廊渡殿などはるばると艶にをかしうせさせ給へり。
「増鏡」からの引用はまだまだ続きますが、まあ、このくらいにしておきます。
ところが、まず目立つのは「水無瀬駒」関連の碑。かなり推しています。
島本町指定文化財 第一号なのですね。
『夢の浮橋』にも能書家が登場し、かなり重要なキーになっているようなので、水無瀬家もチェックした方がいいかもしれません。ということで、見てみたら……、著名な人物、支流、分家に目が留まりました。
境内に入ると、離宮の水。おいしい水があるから、おいしいお酒もできるのですね。
『蘆刈』文学散歩はこれにて終わりますが、その前に、ちょっと気になったので、饂飩屋さんの周辺を、前回の地図から探ってみます。
山崎西黒門跡。西国街道沿いというのも気になります(ラブレターズその472(2011.08.11)第25回残月祭(3)参照)。谷崎関連で文学散歩したり調べたりすると、時々出会うんですよね。なぜこの饂飩屋さんをあえて登場させたのか、「正宗」の件もあるとは思いますが、それだけではないと思いますので(どちらかというと「正宗」の登場の方が東西の河川と中洲をだぶらせるためのものと思うので)。これは追々情報を集めていきたいと思っています。
次回は、いよいよ翌日に行われた、京都精華大学の西野厚志先生によるレクチャーガーデン「谷崎文学を歩く」のお話です。